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ただ1人の女性裁判官が可能にした世紀の判決ーー夫婦別姓裁判の最高裁判決に思う 女性裁判官の必要性〜阿部藹

6月23日、最高裁大法廷は、夫婦同姓を定めた民法750条の規定と、婚姻届に「夫婦が称する氏」を記載する定めた戸籍法74条1号の規定が憲法24条に違反せず、「合憲」であるとの判断を示した。

2021年にもなって未だに夫婦別姓が法制度として認められないこと、そしてそれが両性の本質的平等を謳う憲法に照らして「合憲」と判断されてしまうことに日本という国の前時代性を感じたが、それ以上に愕然としたのは今回の判決を決定した15人の裁判官の内13人が男性裁判官であり、女性の裁判官はたった2人であるという事実だ。

原告側の弁護団長である榊原富士子弁護士も今回の判断を受けて「最高裁の半分が女性だったら、このような結論には絶対にならないと思う」と語ったという。

榊原弁護士のこの言葉を読み、頭に浮かんだのはパトリシア・パラシオス・ズロアガ博士だった。パトリシアは私が学んだEssex大学で、女性と人権という講座を担当していた。骨の髄までのフェミニストで舌鋒鋭い彼女の講義は刺激的で、学生との間で激しい論争が起こることも頻繁だったが、特に女子学生には人気があった。私も受講し多くを学んだが、彼女が強く強調したのが「意思決定の場に女性、特にジェンダーの問題に理解がある女性がいることの重要性」だった。その例として、レイプの定義を変え、史上初めて集団レイプや性暴力をジェノサイドの罪として裁いた画期的判決を可能にした女性裁判官、ナヴィ・ピレイの闘いを語ってくれた。

ルワンダ国際刑事裁判所、ただ1人の女性裁判官

ナヴィ・ピレイの名前を世に知らしめたのが1998年9月2日に示された「アカイェス・ケース」と呼ばれる事案についての判決だ。(判決読み上げの音声は今でも国連のホームページで公開されている)

1994年、ルワンダ共和国ではフツ族とツチ族の対立から、わずか100日ほどで50万人とも80万人とも言われる多くのツチ族の人びとが虐殺された。事態のあまりの重大さに衝撃を受けた国際社会の声を受け、国連安全保障理事会は1994年、大量虐殺の責任者を訴追するためのルワンダ国際刑事裁判所を設置する。ちょうどその頃、旧ユーゴスラビアで集団虐殺や戦争犯罪を犯した人々を訴追するために国連安全保障理事会によって設置された旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所がモデルとなった。

しかし、国際司法裁判所があるオランダ・ハーグに設置された旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所とは違い、ルワンダ国際刑事裁判所の運営は困難を極めた。裁判はルワンダの隣国タンザニアで、検察による調査はルワンダで、控訴審はハーグで行われるという変則的な体制の上、ルワンダや国連から十分なリソースが提供されなかったためだ。資料室の棚は空っぽで、ある弁護士などは”ドアの板を机代わりに”使わなくてはならなかった程だったという。

そのような過酷な、そして一つの国の中で起きた大量虐殺を国際法廷で裁くという難しい裁判を任された6人の裁判官の1人が南アフリカ出身の女性裁判官、ナヴィ・ピレイだった。6人の内、女性はただ1人。しかしアパルトヘイト(人種隔離政策)下の南アフリカで、故郷・ナタール州で初めて非白人女性として自らの法律事務所を開いて以来人種差別と性差別と闘ってきた彼女が怯むことはなかった。(ナヴィ・ピレイはインド系南アフリカ人)

そしてナヴィ・ピレイはルワンダ国際刑事裁判所が扱う最初の事案、「アカイェス・ケース」を担当する3人の裁判官の1人に選ばれることになる。

ナヴィ・ピレイさん(@UN Photo/David McCreery)

いびつな起訴状

この事案の被告人、ジャン・ポール・アカイェスは、1993年の4月からルワンダのギタラマ県にあるタバ市で市長を務めていた。選挙で選ばれるまでは教師をしており、コミュニティからの信頼が厚く、大きな影響力を持っていた。タバ市では1994年4月7日から6月末にかけて少なくとも2000人のツチ族の人々が民兵や地元の警察によって殺害された。アカイェスはタバ市の法と秩序の維持の責任者であったにもかかわらずこれらの暴力や虐殺を防止する手を打たず、それどころか虐殺を奨励し、関与し、扇動したとしてジェノサイドや人道に対する罪などに問われたのだった。

アカイェスに対する起訴状をよく見ると、いびつな形をしていることに気づく。通常、国際裁判所の起訴状は、段落ごとに一から整然と番号が振ってあるのだが、アカイェス・ケースの起訴状では、起訴内容が書かれた12段落の後に、13段落ではなく、12A段落、12B段落が続いているのだ。

実は、検察が提出したアカイェスに対する最初の起訴状には2000人のツチ族の虐殺や暴力、非人道的扱いなどの犯罪は記載されていたが、現地で大量虐殺とともに行われていたレイプや性暴力に関する記載は一行も含まれていなかった。そのまま裁判が進めば、ルワンダで横行していた集団レイプや性的暴力は、「犯罪」として認識されることも、裁かれることもなかったのである。

しかし裁判を行う中で、証言者のJ(報復を防止するために証言者の多くは名前を公表せず、アルファベットで表記された)が当時6歳だった自分の娘が集団レイプされたことを自発的に証言すると、次の証言者Hも自らがレイプされたこと、そして他にもレイプされた人を目撃したことを証言した。

この証言に素早く反応したのがナヴィ・ピレイ裁判官だった。性暴力事件に精通していた彼女はすぐさま証言者に質問し、これらのレイプが単発的な事件でないことを察知。検察官に対し、タバで行われたジェンダーに基づく暴力について再度調査を行い、必要であれば起訴状を修正するよう求めたのだった。

そうして修正された起訴状に挿入されたのが12A、12B段落だった。そこには市の庁舎に助けを求めて避難してきた多くのツチ族の女性が地元の民兵やコミュニティの警察によって連れ去られ、敷地内でレイプされ、暴力を受け、殺害されたこと。継続的な恐怖、暴力、そして性暴力の中で、女性たちが肉体的・精神的に破壊されたこと、そしてアカイェスが庁舎の敷地内で行われていたそれらの性暴力を止めず、扇動したと記載された。

レイプや性暴力はジェノサイドを構成する

起訴状に12A、12B段落が挿入されたことで、アカイェス・ケースでは史上初めて集団レイプや性暴力がジェノサイドの罪として国際法廷で審理されることなった。そして1998年9月2日、歴史的な判決が示されたのだ。

アカイェス・ケースの判決は様々な観点から画期的なものだが、ここでは恩師のパトリシアが力説したジェンダーの観点から見た二つの意義を紹介する。

一つ目の意義は、この判決が古いレイプの定義を変えたことだ。それまでレイプは「同意のない性行為」だと一般的に理解されていた。しかし判決ではレイプを「強制的な状況下で人に対して行われる、性的性質を持つ身体的侵入」と定義した。暴力を振るわれ、脅迫され、監禁されているような状況下では「被害者が同意したかどうか」には実質的な意味はない。むしろレイプかどうかを見極める基準は「強制されたかどうか」である判断を示したのだ。また性行為に限定せず、「性的性質を持つ身体的侵入」としたことで、例えば「物を挿入したり、体の一部を使ったりする行為も含まれる。本質的に性的であるとは考えられない身体の開口部に物を挿入したり、使用したりする行為も含まれる」との見解を示した。この解釈によって、例えば証言者KKが目撃した、死に瀕している女性の性器に木片を突き刺すような行為もレイプに相当すると解釈できるようになった。

こうしたレイプの定義はその後、ルワンダ国際刑事裁判所だけでなく旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所でも採用され、国際的に認められた性暴力犯罪の定義になった。

そしてもう一つが特定の集団を全体的に、または部分的に破壊するという意図を持って行われた場合、「レイプや性暴力は、大量殺戮などの行為と同様にジェノサイドにあたる」ことを初めて認めたことだ。1948年に国連総会で採択されたジェノサイド条約の第2条はジェノサイドを、特定の集団を全体的に、または部分的に破壊するという意図を持って

(a) 集団構成員を殺すこと。

(b) 集団構成員に対して重大な肉体的又は精神的な危害を加えること。

(c) 全部又は一部に肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に対して故意に課すること。

(d) 集団内における出生を防止することを意図する措置を課すること。

(e) 集団の児童を他の集団に強制的に移すこと。

のいずれかの行為と定義している。条約の文言にはレイプや性暴力などの記載はないものの、裁判官は集団レイプや性暴力が(b)にあたるだけでなく、特にツチ族の女性を標的とすることで、彼女たちの破壊だけでなくツチ族全体を破壊するために行われたと解釈し、ジェノサイドと認定した。

戦争における性暴力を規制した1907年のハーグ陸戦条約など、戦時や武力紛争下におけるレイプや性暴力を禁じる国際法は存在していた。しかし実際には国際軍事裁判において性暴力の加害者が訴追されることはほとんどなかった。この「アカイェス・ケース」がレイプをジェノサイドに含むと判断し、ジェノサイドや人道に対する犯罪と同じ地位を与える判断を示したことでレイプを「戦争犯罪」とする新たな法制度に大きな貢献を果たした。

1998年にワシントンポスト紙のインタビューに答えたナヴィ・ピレイは「太古の昔から、レイプは戦争における戦利品とみなされてきました。これからは、それが戦争犯罪とみなされます。私たちは、それはもはや戦争の戦利品ではないという強いシグナルを発信したいのです。」と答えている。

ナヴィ・ピレイは1人ではない

ここまでパトリシアに教わった裁判官・ナヴィ・ピレイの闘いと、彼女が可能にした画期的判決について紹介してきた。しかし実を言うと、パトリシアは講義の中で「ナヴィ・ピレイ」の名前を口にすることは一度もなく、終始「女性の権利のエキスパートである1人の女性裁判官」と表現していた。それはなぜだったのか。今になって考えるとパトリシアの意図がよくわかる。

パトリシアは、ナヴィ・ピレイの個人としての功績ではなく、「女性裁判官の存在」がもたらしうる変化や可能性の大きさを伝えたかったのではないだろうか、と。1人の女性裁判官によってこれまで見過ごされてきた性暴力やレイプが再定義され、ジェノサイドや戦争犯罪として裁くことを可能にした。ではもし2人、3人いればどれほどの変化が起こるだろうか。だからこそ「意思決定の場」に女性が、そして男性・女性の二元論に限らず、多様なバックグラウンドを持つ人が居ることが大切なのだ。

意思決定の場に女性を

今回の最高裁大法廷の判決は夫婦別姓を認めない法制度を「合憲」と判断した。この判断には失望したものの、大法廷の2人の女性裁判官うちの1人である宮崎裕子裁判官の存在に非常に勇気づけられた。自身も最高裁判事として初めて旧姓を使用しているという宮崎裁判官が宇賀克也裁判官と共同で書いた反対意見。そこには「姓を選択する権利」が女性差別撤廃条約16条で保障されており、女性差別撤廃委員会の再三の是正勧告にもかかわらず国会が法改正を行わず、問題を放置していることは条約上の義務を果たしていないだけでなく、憲法24条2項違反とする理由の一つであると述べられていた。女性差別撤廃条約などの国際人権法が裁判の法源としてほとんど認められていない日本で、最高裁判所の裁判官がその判断理由として女性差別撤廃条約を明記したことは画期的であり、国際人権法を学ぶ1人の人間として大きな可能性を感じた。

2014年、3月8日の国際女性デーに合わせて当時国連人権高等弁務官だったナヴィ・ピレイの寄稿文がハフィントン・ポストに掲載された。その冒頭、彼女はこのように述べている。

世界中の司法手続きでジェンダーに関する有害な固定観念がはびこっており、このことによって、あらゆる者の基本的人権を守るはずの司法制度それ自体が、女性の権利を否定しかねないような状況になっています。

ナヴィ・ピレイはルワンダで、ただ1人の女性裁判官として闘った。しかし重要なのはその闘いを讃えることだけではなく、もっと多くのナヴィ・ピレイが活躍できる社会に変えていくことだ。そしてそれは日本の最高裁判所も例外ではないはずだ。


阿部 藹(あべ あい) 1978年生まれ。京都大学法学部卒業。2002年NHK入局。ディレクターとして大分放送局や国際放送局で番組制作を行う。夫の転勤を機に2013年にNHKを退局し、沖縄に転居。2015年から沖縄の抱える諸問題を国際人権法の観点から分析し、情報発信を行っている。2017年渡英。エセックス大学大学院にて国際人権法学修士課程を修了。2021年、沖縄の女性のエンパワメントのための事業を行う一般社団法人「IAm」を設立。