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勝手に生きる(2)ぼくが犬に噛まれて、コーヒー屋をはじめるまで(其の二)〜小田光康

「無知は罪なり、知は力なり」。明治大商学部卒のぼくのおやじの格言だ。ただし、哲学者ソクラテスの「無知は罪なり、知は空虚なり、英知を持つもの英雄なり」をもじって作った。まあ、語感だけはおやじの作品のほうがいい。「明治、前へ」。ぼくはこの格言を言われ続けてきたが、つみびとのままだ。狂犬病の予防ワクチンさえ打っていれば問題は無かった。この一件で、ぼくは狂犬病に興味を持った。

なので、動物の病気の基本書を買って勉強した。動物と人間との間で感染するのが人獣共通感染症であり、その一つが狂犬病だ。こんなことも知らなかった。いや、とっくの昔に忘れていた。狂犬病という名前は知っていた。でも、日本国内で狂犬病が発生して人間に被害が及んだ記事など読んだことが無い。

海外から持ち込むなどの例外を除けば、国内で狂犬病の発症例は60年ほど無い。日本は世界でも有数の狂犬病清浄国なのだ。狂犬病が無い国は世界で10カ国も無い。他には英国、アイスランド、オーストラリア、ニュージーランドなど島国が多い。防疫がしやすいからというのもある。だが、日本の場合、医師や獣医師、保健所の職員や警察官の努力みならず、当時の新聞報道がその鎮圧に大きく寄与した。

(厚生労働省の狂犬病発生マップ)

戦前から戦後にかけての狂犬病撲滅史について、獣医師の唐仁原景昭さんが膨大な量の新聞記事や官報を収集し、その分析をライフワークとしている。ぼくもこの貴重な資料を拝見させてもらった。千葉の九十九里浜近くにある先生のお宅におじゃましたが、狂犬病の資料で部屋が埋め尽くされていた。

どこどこ村に狂犬が出没しただの、野良犬を何匹捕獲しただの、予防接種をどこでやるだの、当時の新聞には結構な詳細に狂犬病関連の記事が載っていた。中には「町をうろついていた狂犬を警察官が警棒で撲殺した」などという物騒な記事もあった。いまのご時世だったら、動物愛護団体の面々が飛んできて、それこそその警察官は袋だたきにされるだろう。

まさに新聞が狂犬病の警笛を鳴らした。唐仁原先生からお借りした目まいがするほどある狂犬病の資料を、ぼくのゼミの優秀な学生がきちっと整理して論文にまとめた。ぼくも目を通したが、殺伐とした無味乾燥のお役所文書で、すぐにやめた。役人の文書がおもしろいワケがない。ゼミ生が忍耐強いのか、不感症なのかはなぞ。

だけれど、この資料の中に出てきた、狂犬病予防接種済みを示す、「犬」の文字のシールが頭にこびりついた。これが後々、コロンブスの卵を生み出すことになる。いや、その予定だ。

ぼくが小学生だったころ、東京・中野のおばあちゃんの家で犬を飼っていた。もう50年くらい前の話だ。その頃は東京でも番犬を飼う家庭が多かった。ちなみに、この頃は家の中で犬を飼う習慣はほとんどなかった。そしてその家庭の玄関には必ずというほど「犬」という文字が目立つシール、門票が貼られていた。

このシールはどんな意味を持つのだろう。飼い犬に狂犬病の予防接種をした証、ということだけではない。同調圧力の強いこの国では、このシールを貼っていない犬を飼っている家があったら村八分にされる。

新型コロナの「マスク警察」ならぬ、狂犬病の「犬シール警察」が町のそこら中で目を光らせ、厳戒な狂犬病の警備体制を敷いていたのだ。「犬シール」という強烈なメッセージ・メディアなくして、日本は1950年代での狂犬病の清浄化はなかったろう。

(狂犬病予防接種済みを示す門票)

ちなみに、ぼくの命を気づかってくれる殊勝な農工大の女学生がある日、この「犬」のシールをプレゼントしてくれた。彼女はいま、北海道で牛の獣医さんとして大活躍している。小娘ながら(こんな表現したらジェンダー論者にこっぴどく叱られる)、根性あるよな。

まさにこれがぼくの「お守り」だった。ぼくはこのシールを大事にしようと、スマホ本体の裏面にバカ丁寧に貼り付け、そしてスマホにはいつもはしないカバーまで付けた。この「犬」のシールを拝む度に、ワクチン5回打ちの教訓を心した。そして、今度こそは軽率な行動はしまいと、気持ちを改めていた。

だけれど、そんなのもつかの間。スマホは死んだ。またしても、軽率なぼくの行動がその悪夢を生み出した。その事件の朝、ぼくはジーンズのケツのポケットに、スマホを無造作に突っ込んでいた。

オートバイのチョイスは背もたれ付きヤマハのビッグ・スクーター(グランド・マジェスティ250)だった。ちなみに、オートバイに関してだけは、ぼくは細かいところまでうるさい。なにせ、将来はオートバイの修理工になるのが夢だから。

そのオートバイに跨がって、発進した矢先のことだ。お尻のほうから、なんだか弾けたような音がした。バイクから降りてスマホを取り出すと、画面がブラック・アウトしていた。そして、ぼくの頭の中はホワイト・アウト。また、やった。。。

その朝のバイク選びは悔やんでも、悔やみきれなかった(ぼくはオートバイのオタクなので何台も持ってます、にやり)。なんで、フラットシートのスポスタ(20年前のハーレー・ダビッドソンのXL883)にしなかったんだろう。

もっても半年。ぼくはそのたびにスマホを買い換えている。この大失態以外にも、洗濯機やトイレで水没させたり、記憶のない飲み屋に置き忘れたりと、すべてがぼくの不注意だ。だから、iPhoneは買えない。ドコモのキャリアも使えない。経済学的にいえば、費用対効果が悪すぎる。勢い、SIMフリーの激安中華スマホに、LINEモバイルなど激安キャリアに手が出てしまう。

それにしても、日本の電機メーカーにはもっと頑張ってもらいたい。たかだか体重90キロ程度を受け止める歪力を持ち、水洗便所に浮かぶ褐色の物体から生じるカルマン渦列にも屈しないスマホを作ってさえくれれば。半年に一度、必ず見舞われるこの大惨事にぼくは直面しなくて済む。オタク以外の誰も使えないガラケー作って悦に浸っているうちに、日本経済が立ち上がれないほど没落した。

また、話が脱線した。陸続きなら、狂犬はいとも簡単に国境を跨いで侵入してくる。実際に中国、インド、パキスタン、ミャンマー、バングラデシュなど陸続きの国々では狂犬病は手の施しようが無いほど深刻だ。一国単位の狂犬病予防策はあまり意味をなさない。

これは狂犬病の最強汚染国である中国とインドに挟まれた国、ネパールで大問題となっていることで裏付けられる。狂犬病と日夜戦うネパール人獣医師、ラケッシュ君がつね日頃、これを嘆いていた。

(ネパールで狂犬病の予防接種をする獣医さん、ラケッシュ先生)

ラケッシュ君は最近まで農工大のセンターに国費留学していた後、かの英国ケンブリッジ大学にも学んだネパール民主共和国の星だ。海など見たことも無いはずのチベット出身ながら、なぜか湘南海岸でサーフィンをした後、ビールをがぶ飲みする気の良い青年だ。酔っ払うとより饒舌の早口になり、英語か犬の声か分からないほど意味不明の音声と化す。これも一種の職業病だろう。

ここはタイ・チェンマイ県北部のアルノータイ村。かつてのゴールデン・トライアングルのど真ん中にある中国国民党残党の村で、ミャンマーまで歩いて行ける距離にある。村の住所や道案内の看板は漢字だし、中国語の学校や関帝廟もある。屋台で売っている朝食は豆乳と揚げパン。まるで国民党の台湾にある一風景だ。

(タイ・チェンマイ県北部のアルノータイ村。中国人の村で墓地も中国式)

狂犬病の恐怖におびえる中国国民党残党の村。まさにジャーナリスティックな題材に溢れているではないか。UPI通信(現・ロイター通信)のカメラマン、沢田教一さんのベトナム戦争時の報道写真『安全への逃避』に匹敵する光景がそこにあった。ぼくはこの村の取材でピューリッツアー賞を取ることを夢見た。

沢田さんは1960年代、ベトナム戦争時の米軍の爆撃下、泥川を渡って命かながら逃げまとう家族をカメラに収めた。これが超有名な『安全への逃避』。世界の歴史を変えた一枚の報道写真だ。もちろん、ピューリッツアー賞を受賞した。お恥ずかしながら、実はほんの一瞬だが、いちおうぼくもロイター通信のカメラマンだった。

(沢田教一さんと『安全への逃避』、Wikipediaより引用)

2018年3月17日土曜日の午後1時。ぼくは山奥のタイとミャンマーの緊張感溢れる国境チェック・ポイントで、この密入国の現場をこの目で押さえた。ぼくは無我夢中でカメラのシャッターを切った。ぼくが目撃した一瞬は、世界を揺るがす特大スクープ。

になるはずだった。写真に写っていたのは緊張感のかけらもないダラダラとした犬の姿と、微笑みの国タイの兵隊さんのニヤニヤした表情だった。しかもだ。国境を守る兵隊さんは、人間の国破りにはすかさず銃を向けるが、犬となると見逃すばかりかエサまでくれてやる。こんな辺境にも理不尽なダブル・スタンダードがあることも思い知った。

ここで少し、国境と難民について話をしよう。日本人がイメージする国境は海で隔たれた明確な境だ。だから、外国を「海外」と表現する。これが日本語特有だと意識する日本人はそう多くはないのでは。しかもだ。日本人のほとんどは一カ所で定住生活をするが、そんな生活様式を持たない人々が世界中ごまんといる。移動生活を続ける遊牧民(ノマド)がその代表例だ。焼き畑農業を生業とする山岳少数民族もその一例だ。ちなみに近年、ノマドという用語はITを自由に操り様々な場所で仕事をするワークスタイルを指す。

このアルノータイ村はタイと陸続きのミャンマーの国境を跨いで位置する。建前としての行政単位の村と、実際の村の領域とは異なる。村の中をふらふらしていると無意識のうちに国境を跨ぎ、国破りの罪を犯してしまう。

もともとあった村の中に、村の人たちに面識すらないまったく関係のない人たちが勝手に国境線を引いたためだ。しかも、この村はつい最近まで中国国民党残党が支配していた。この村のタイ側は近年になり、ようやくタイ政府の施政が及ぶようになった。ミャンマー側は独立運動を繰り返すシャン族の領域だ。ミャンマー政府の施政が届いているとはいえない。国境など、あってないようなものだ。

2021年3月現在、ミャンマーからカレン族の難民が大量にタイ北部のメーホーソン県に押し寄せたというニュースが日本国内でも流れた。この近くには第二次世界大戦中、日本軍による無謀極まりないインパール作戦の戦略拠点もあった。日本軍の戦死者を慰霊する記念館もある。また、そこからさらに南下するとミャワディというミャンマー内の国境の町がある。ここで2007年、日本人カメラマンの長井健司さんが市民と僧侶による反政府デモを取材中に殺害された。ぼくは何度もこれらの地を訪れている。

(タイ・メーホーソン県にあるタイ日友好記念館にある日本軍戦死者の慰霊碑)

この地域はソルウィン川を境にしたタイとミャンマーの国境地帯で、カレン族を中心に少数民族が多く暮らす。近くを通る国道105号線沿いにはミャンマーからの難民キャンプもある。山々に囲まれた盆地になっており、3月下旬から5月上旬かけての暑期は、まさにうだるような暑さだ。

雨季には国境線のソルウィン川は暴れ川になり、到底徒渉などできない。いや、この地帯全域、クルマでは足を踏み入れることができなくなるほどのぬかるみになる。この地域にソップ・モエというカレン族の村がある。雨季では穏やかな日を狙い、この川を伝ってボートでしかここに行けない。

こんな風に語ると、いかにも辺境の地をゆく「戦場ジャーナリスト」然としたストーリーになる。そういえば、ぼくはミャンマーが民主化するまで、その入国ビザが下りなかった。ロイター通信時代、日本国内で生活するアウンサンスーチーを支持するミャンマー人の反政府活動を写真報道したのがその原因のようだった。

だが、ミャンマーのこういうブラック・リストもなんだか緩い。国境の町にまで行くと、日帰りのビザなら簡単に取れた。なのでぼくはミャンマーの国境の町、ミャワディやタチレイには野良犬のごとく越境できたのである。しかもだ。乾季の様子はまるで違う。雨などまったく降らないので洪水などない。水かさが減り、子どもでも渡れる川になる。いまニュースになっているカレン族の難民は乾季のこの川を渡ってきた。

こうしてタイに越境してきたミャンマーのカレン族が、行き着いたところが難民キャンプなら難民、支援してくれるカレン族の集落なら不法移民となる。この付近を通る国道105号線沿いに難民キャンプがあるが、一見するだけではふつうの山岳少数民族の村落と見分けが付かない。しかも、タイ政府は労働力確保のため、不法移民には目をつむっている。

国境や難民にもいろいろ事情があるのだ。いや、そもそも国境とはなんだろう。国民国家成立以降の概念だが、部族ごとに暮らしていた地域にはそんな概念があろうはずがない。作為か不作為から分からぬが、いままさにミャンマーの軍事クーデターが問題になっている最中、日本のマスコミはこうした事実は伝えない。この状況がミャンマーの難民問題を、ますますややこしくしているのは確かだ。(つづく)