(写真:狂犬病の研修を受けるタイのお坊さんら)
東京農工大の水谷先生は「折り紙動物」専門の獣医だが、大松先生はコウモリとヤギが専門の獣医だ。そして実は、狂犬病の専門的な研究者、国立感染症研究所の井上智先生とそれまで、タイ国立チェンマイ大学医学部と共同で、タイ北部で狂犬病予防の研究をしていた。コウモリは狂犬病ウイルスを媒介するメディアだ。中国・武漢で発生した新型コロナ・ウイルスもコウモリが媒介したといわれる。
大松先生はコウモリやヤギのウイルスの研究をしている。と、ぼくに必死になって訴えるが、どうも怪しい。その証拠に研究室にあるパソコンの待ち受け画面は愛娘の写真だ。本気でコウモリに取り組んでいるなら、ぼくなら愛くるしいコウモリの写真を選ぶ。しかも、その目くらましのためか、日本人のくせに論文は英語でしか書かない。これなら英語が苦手なぼくにウソはバレないと踏んでいる。
ホントウは暇さえあるとフィリピンに行って真夜中にカスミ網を張ってコウモリを捕まえたり、沖縄で泡盛を片手にヤギ汁を楽しんでいるようだ。できればぼくが代わりたい。こんな研究ができるなら、ぼくはジャーナリズム論など今すぐ放り出す覚悟だ。朝日新聞の『論座』に寄稿したぼくの記者クラブ問題の記事など、どのみち読むのは暇をもてあます変人学者か、いかれたマスコミ記者くらいだ。書いても無意味。
井上先生と大松先生は東大時代の先輩後輩の関係で、二人ともムカつくほど頭が切れる。多種多様かつ難解なデータを飲み込んでは、なぜかいつも速攻で的確な結論を出してくる。ホントに不思議だ。ぼくはいつもポカンとしてしまう。研究の結果、タイ北部の都市部での狂犬病被害を減らすことにつながった。ただ、農村部や山間部はそうはいかなかった。二人は医師や獣医師が少なく、公衆衛生の行政が行き届いていないのが原因と、いつになく言い訳をしていた。
とはいえ、狂犬病被害は人の命に結びつく深刻なもので、野放図にしてはおけない。アドホック的にこれらの地域で予防策が繰り返されているが効果は限定的だ。ぼくは狂犬病のことなど、まったく分からない。でも、なんとか井上先生と大松先生の研究にからみたい。
必死に考えた。狂犬病の予防法は確立している。なぜ、狂犬病被害が無くならないのだろう。井上先生と大松先生の会話を聞いていて、ちょっと分かった。話が難しすぎる。日本語で話しているようだが、ぼくにはさっぱり分からなかった。こんな調子でタイの子供たちに話しても伝わらない。もっといえば、こんな文章を読まされたのでは、たまったものではない。この部分なら、ぼくもなんとか協力できるだろう。なにせ、ぼくは長年、読者思いのわかりやすい記事しか書いたことがない。
狂犬病の予防法が浸透しない背景には予防方法というコンテンツそのものではなく、その情報のフローとメディアの表現に問題がありそうだ。井上先生はこのコンテンツに関しては誰よりもよく知っている。でも、その知識をどういう方法で、どう表現したら子供たちにうまく伝えられるのかまでは、よく考えたことが無かったそうだ。
タイ国内でも公衆衛生策は専門家が考案し、それがメディアを介して、市民社会に伝わる仕組みがある。ここでの情報フローとメディア表現を考えるのは、ひっとするとコロンブスの卵かもしれない。この仮説を実証しようと、ぼくは井上先生から狂犬病の共同研究者であるチェンマイ大医学部のウィライワン教授を紹介してもらい、すぐさまチェンマイに飛んだ。
といいたいところだが、なかなかうまくいかない。すぐに墜落しそうになる。チェンマイへは東京・羽田空港から深夜発のタイ航空便だと翌朝9時には着く。「まあ、飛行機で寝ていけばいいや。じゃあ、明日からの気付けに一杯」と安易に考え、羽田空港行きの京浜急行に乗る品川駅付近の居酒屋で飲んだくれてしまう。時計を見ると「やばっ!」となり、タクシーに飛び乗る。タクシー代だけでチェンマイ1週間分の滞在費になってしまう、トホホ。かくして、チェンマイ行きはマイナスからのスタートとなった。
チェンマイは「北方のバラ」といわれるかつて栄えたラーンナー王朝の古都だ。お堀に囲まれた旧市街は古刹が数多くあり、ゆったりとした時間が流れている。タイは仏教国として有名だが、実はチェンマイは多宗教都市である。特に「ピー」といわれる土地の神様を崇める精霊信仰は広く浸透している。家の玄関や庭先にある小さな祠がそれだ。また、山岳少数民族の間にはキリスト教徒も多いし、チェンマイ市内にはイスラム教のモスクも数多くある。人種も多様だ。タイ人のほか近隣国の中国人やミャンマー人もいれば避寒に来て居着いてしまった西洋人も多い。チェンマイは国際色豊かな都市でもある。
旧市街の西側にチェンマイ大学の広大なキャンパスが広がる。面積にすると山手線内とほぼ同じ。1964年にタイ北部の発展のために創設された。大学の紋章にはチェンマイの象徴、ゾウの絵柄が刻まれている。敷地内には湖もあり、市民の憩いの場にもなっている。医学部棟はそのど真ん中にそびえ立っている。
わが明治大学は東京・駿河台の23階建てリバティ・タワーがその威容を誇る。だが、チェンマイ大は医学部だけでもそんなのが3−4本も建っている。獣医学部は、郊外に地平線まで見渡せる農場と共にゾウ専門の動物病院や最新の実験施設が建ち並んでいる。
農学部に至ってはジャングルを所有してコーヒーを植え、なぜかステーキハウスやフリーマーケットまで運営している。その市場ではマンゴー、スイカ、キウイ、イチゴ、スターフルーツ、ドリアン。。。近郊の農家さんが持ち込んだ数え切れないほどの熱帯の新鮮な果物が所狭しと並べられ、ただ同然の値段で売られている。
学食もすごい。これでもか、というほどの種類の料理がある。定食は自由に選べる3種類のおかずとライス、スープが付いて250円ほど。明治大の学食で、量だけが売りの体育会御用達「トリプルカレー」540円が霞んでしまう。キャンパス内に確認しただけで10カ所はある。いや、もっとあるはずだが、広くて見つけられない。
圧巻はキャンパス脇の屋台街だ。直線距離にして約2キロ。夕方になるとどこからかやってきた屋台がずらりと並ぶ。日中は暑さが身にしみるチェンマイだが、日が暮れるとなんともいえない気持ちのいい気温にまで下がる。ここは標高が約350メートルあり、森に囲まれているからだ。屋台でガパオライスやグリーンカレーなど大好きなタイ料理をたらふく食べて、ゾウのマークのチャンビールをあおるほど飲んでも2000円程度だ。ここで先のタクシー代が悔やまれる。どうなってるんだチェンマイ大学は。タイの高等教育は近年になり、相当進化した。日本の大学はおちおちしていられない。
ウィライワン先生は私財を投じて狂犬病予防のボランティア団体を設立し、その活動を続けている。週末になるとチェンマイのあちこちで、お寺のお坊さんや軍隊の兵隊さん、村役場の職員さんを集めてワクチンを無料で提供し、その打ち方を教えている。タイ国内では医師や獣医師でなくても、研修を受ければ犬にワクチン接種ができるからだ。
先生は少し前までご主人のソムサック先生が副院長を勤める国立脳神経外科病院の敷地内に住んでいた。6畳二間の掘っ立て小屋のような家で、ウィライワン先生がどこからか拾ってきた片足を引きづった老いぼれた犬と一緒だった。窓を開けると目の前がソムサック先生の診察室だった。
二人とも名門チェンマイ大学医学部を卒業した後に、ドイツの大学に国費留学をして博士号を取得している。当然ながら、ドイツ語も英語も堪能。タイのエリート中のエリートだ。タイの公務員の給料は驚くほど安い。帰国後はそれぞれ公務員として大学と病院で献身的に働き続けた。ほんとうに善良なご夫婦だ。こういう人たちを聖人君子、先生という。ウィライワン先生と狂犬病予防とメディアの関係をチェンマイ県内の都市部と農村部で子どもたちを対象に調査をすることにした。
とはいえ、ウィラワン先生とて完璧ではない。普段の姿はまさに「品の良い大阪のおばちゃん」。先生と一緒に調査に行くと、やたらと時間がかかる。なぜなら、稀代の方向音痴で、おしゃべり好きだから。自分で作ったボランティア事務所の行き方すら覚えられない。「みつ(ぼくのことです)、私の事務所どこにあるのかしら。遠いからすぐ忘れてしまう」と、いつも、そして何度も聞いてくる。先生の研究室から車で10分くらいの場所にあるのだが。。。
調査に行こうとするとまず、先生の研究室を出てから駐車場まで、たかだか2−3分の距離を歩く。そこで会う人会う人と、話し込む。挨拶程度でなく、話し込む。これだけでゆうに30分はかかる。行く先々で人に道を尋ねれば、その人とも話し込む。お店に入れば、お店の人とも話し込む。これには普段温厚なソムサック先生もイライラしているのが痛いほど分かる。ぼくはこうやって悠久に流れるタイ時間の奥深さを理解した。
調査の結果、都市部ではスマホが主なメディアであるのに対して、農村部ではそれはテレビだった。これは経済格差として理解できる。一方で、山岳少数民族が多く住む農村部で興味深い結果が出た。都市部に比べて農村部の子供たちは狂犬病の恐ろしさをよく知っているのに、その対処の仕方が分からない。これはなぜだろう。
ちなみに、チェンマイの小学生は自由奔放、天真爛漫だ。アンケート調査中、10分もじっとしていられないガキが多かった。地べたに寝転がり、友達とおしゃべりしたり、スマホを取り出したりしてゲームを始める。先生がその度に叱りつけるが、悪ガキどもはその度に、ニヤニヤっとタイの微笑みでその場をかわす。日本の小学校にも学級崩壊があるが、たぶんそれ以上だろう。タイでも日本でも小学校の先生はたいへんだ。
狂犬病の予防法が農村部の子供たちにうまく伝わらないのは3つの原因が考えられよう。一つ目は言語そのものの問題、二つ目は言語コードの問題、そして、三つ目は情報流通とメディア表現の問題だ。
一つ目の問題である。チェンマイ県内では公式なタイ語とタイ語の北部方言、そして山岳少数民族言語と不法移民や難民のミャンマー語が使われている。これらの間にある言語の問題が、タイ語による狂犬病予防の情報を伝わりにくくしているようだ。タイの公式言語はタイ語だが、チェンマイなど北部の人々は北タイ語、あるいはチェンマイ語と呼ばれる方言を話す。これはタイ語よりもラオス語に近い。柔らかい響きがあり、タイ語よりも優雅といわれる。日本でいえば京ことばに近いのかも知れない。また、チェンマイはラーンナー王朝の都でビルマ文字に似ているラーンナー文字も持っていた。
さらに、「山地民」と蔑まれる山岳少数民族はタイ語でなく、独自の言語で会話をしている。ぼくがいま狂犬病とコーヒーのことで一緒に仕事をしている山岳少数民族のラフ族はラフ語を話す。村のお年寄りや子供たちはタイ語は話さず、ラフ語だけ話す。なので、調査はより一層ややこしくなる。日本語から英語を介してタイ語に、そしてタイ語からラフ語にと翻訳する必要がある。
ラフ語の会話は主語を省略することが多く、目的語の次に述語が来る。日本語と同じだ。そして文字を持たない。一方、タイ語は英語と同じく主語、述語、目的語と並べる。そしてタイ語とラフ語では単語も異なる。これらの違いは大きい。日本語と英語くらいの開きがある。
フランス人やドイツ人、イタリア人が英語を話すなんてたいしたことない。文法も単語も似ているからだ。何カ国語も話すことを鼻に掛けるヨーロッパ人がいるが、数種類の方言を使い分けているに等しい。薩摩弁と津軽弁を使い分けるほうが偉い。
ラフ族は穏やかな人柄と移動生活を送るために、他の山岳少数民族との交流も多い。このため、ラフ語は山岳少数民族間のリンガ・フランカ(共通言語)として使われている。タイ国内では初等教育制度が広く浸透し、ラフ族の村にも小学校がある。当然だが、ここではタイ語による学校教育が行われている。
そして、その近くにもう一つ学校がある。これはタイ語と薬物乱用防止の学校だ。学校といっても屋外教室のようなもので、ここにタイ族で正しいタイ語を話す先生が週に数回教えに来る。ここで就学前の子供たちが勉強している。
山岳少数民族の子供たちが狂犬病の怖さを知っているのは、家の周りに野犬やコミュニティ犬がウロウロしており、時折、テレビで狂犬病被害のニュース映像が流れるからだろう。タイ国内でも狂犬病の対処法の印刷冊子が役所に置いてあったりする。でも、少数民族がその対処法を知らないのはタイ語を良く理解できないからかもしれない。
ここで井上先生と大松先生が使う日本語と、ぼくが使う日本語が違うことに気づいた。お二人の日本語は理路整然としている。ぼくの日本語は「あれって、あれだよね」と、見ず知らずの他人が聞いたら意味不明だ。英国言語学者のバジル・バーンステインが言語には異質な他者が集まる中で論理的、抽象的に伝える「精密モード」と、同質的な集団の中で主観的、感情的に伝える「制限モード」があると指摘した。制限モードは共有認識を多く持つ集団内でないと成立しない。
ラフ族のラフ語はこの後者に当てはまる。ラフ族はラフ族だけの集落で生活している。当然、共有認識が多く、細かな説明を伴わなくても意思疎通ができる。学校で教わるタイ語は、論理的な精密モードである。山岳少数民族の子供たちは母語がタイ語ではないうえ、制限コードの母語を持つ。つまり、精密コードのタイ語を、頭の中で制限コードのラフ語に翻訳してから、理解している可能性がある。タイ国内の山岳少数民族の学力が低いのはこれが一因と考えられる。
ちなみに、ぼくは日本語でも制限コードの言語環境下で育った。だから、精密コードで教えられる学校の勉強が大の苦手だった。本を読むのも、論理的に理解するのも、普通の人の3倍はかかる。文章をそらんじることはできないし、文章を書くのもとても時間がかかる。なので、興味が無くなるとすぐに放り出してしまう。記者会見で取材先に脊髄反射的に問題の本質を突く質問を浴びせることもできなかった。発達障害に近いのかもしれない。
だが、一度行った場所の要所要所の建物や看板、道順は必ずといっていいほど覚えている。土地勘の無い場所でも、頭の中に地図がすぐにインプットされる。だから、張り込み取材だの、被災地の取材は大の得意だった。いまは大学の教員だが、いまだ制限コード的な思考をするため、ゼミの学生からは、思い込みが激しく、感情的だと非難されている。
タイの山岳少数民族の村々のことを思い浮かべた。薬物乱用防止や焼き畑禁止のポスターがやたらと多い。村に麻薬中毒や煙害が蔓延しているからだ。ポスターは文字で説明されているのでなく、写真やイラストが多かった。焼き畑禁止のポスターは分かり易いが、薬物乱用防止のものはちょっとイメージし難かった。そして、子供たちの服やかばん、文房具には日本のアニメや漫画のキャラクターが付いていた。
そこで閃いた。狂犬病の予防方法の浸透を阻む原因はやはりその方法という情報そのものでなく、情報フローとメディア表現の問題だ。しかも、そこには言語だけでなく、言語コードの問題も横たわっている。この仮説を検証して、その結果をもとに狂犬病予防のためのメディア教材を開発すればいい。誰でも使えるメディアを選定し、子供たちだけで楽しく気軽に学べる教材を作ればいい。
そういえば、ぼくの専門はジャーナリズム・メディア教育だった。日本のアニメや漫画のキャラクターを使って、なるべく言語を介さず、ビジュアル的に狂犬病予防の啓蒙を促す。これであれば言語や言語コードの壁を越えて予防法を伝えられる。シンプルに、楽しく、分かりやすく。われながら、いいアイデアだ。これならうまく行くかもしれない。
さっそくこの話を井上先生と大松先生にした。「あっ、それいいですね!」と二人とも合点してくれた。文部科学省の科学研究費を申請すると、運良く通った。ウィライワン先生を交えて次の調査対象を検討した。タイ国内の狂犬病発生箇所で、周囲に医療機関や中等教育機関が無く、貧困や差別が残る山村。これがつぎにぼくが目指すところだ。(つづく)
小田光康(おだ・みつやす)1964年、東京生まれ。麻布大学獣医学部環境畜産学科卒、及び東京大学運動会スキー山岳部卒。パブリック・ジャーナリスト兼社会起業家、明治大学准教授。専門はジャーナリズム教育論・メディア経営論。現在、東南アジアの山岳少数民族に向けた感染症予防メディア教育開発プロジェクトに携わる一方、長野県白馬村でコーヒーのフェアトレードとヒツジ牧場の経営を軸とした地域振興策に関わる。将来の夢は白馬村でコーヒー屋とヒツジ追いを経験したのち、タイ・ラオス・ミャンマーを転々とするオートバイの修理工とゾウと水牛の獣医師になること。写真はタイの屋台で焼き鳥にかぶりつく筆者。