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こちらアイスランド(113)母といっしょに「ちっちゃな石がみっつ」の思い出〜小倉悠加

爪の周囲が真っ黒だ。手はよく洗ったし、爪も切って爪楊枝まで総動員して爪の周囲の土を除去しようとした。それでも黒い縁取りは鎮座している。

来月89歳になる母は庭が好きだ。四季折々を映す植物を植え、花を愛でる。そうか、私は母に似たのかもしれない。私の背が母よりも高くなる頃から、母は私に枝切り鋏を差し出して「あの木の高いところが切れないから、あなた切って。背が高いから届くでしょ!」と頼んできた。庭木の剪定はその頃からやっている。

頼まれることは嫌ではなく、むしろ庭いじりは楽しかった。草木と向き合うことで我を忘れるというか、なぜか無我夢中になれる。雑草取りは禅の心を育むのかもしれないと思うほど。

そんな庭仕事の楽しみを私に教えた母は、手入れが必要な木々を数年前から淘汰し始めた。私が日本にいないこともあり、手入れが追いつかないという。

去年は家の中、特に異常に多い窓を全部きれいに掃除した。今年は時間が限られているので、細かなことは放置して、生え放題に蔓延った踏み石の間の芝を削除したり、レンガの小道の縁取りを直した。小さな庭なのに結構力仕事が多い。腰を曲げての作業も多く、時間と労力の割には見た目の違いが少ない。そんな仕事を庭師に頼むと、高額なのは目に見えている。その点、庭木の剪定は楽だし、結果がすぐに見えるからいいなぁと思う。

母は大きな踏み石の間に、小さな四角っぽい石を三つほど入れていた。文章では分からないので、ズルして写真を。

実家を出る前、記念にと撮っておいた写真。確かに各所に三つほど石が入っていた。

見た目何のことはないけれど、これは私が考古学者よろしく発掘したものだ。発掘前の写真は撮っていないので比較ができないが、この場所は芝に占拠され、大きな踏み石さえ見えるか見えないか状態だった。このような小さな石が入っていることなど、一切窺い知れない風情だった。

「あの間に、かわいいちっちゃな石がみっつずつ入ってるのよ」と言われても何のことやら。

何度も「ちっちゃな石がみっつ」と言うので、「掘り出してほしい」という意志を汲み取った。

「ちっちゃな石がみっつ」のことは私も全く覚えていなかったので、最初は踏み石の淵と芝生の境界線をきっちりしただけだった。表面を刈り込むだけではなく、石を持ち上げて石の下に這う芝の根も排除した。

そうして綺麗に整えられた芝を見て、母はきっと「あの下にちっちゃな石がみっつ」を強く思い出し、希望したのだろう。

今回の日本滞在の最後のご奉公とばかり、私はこんもりと生えた縦長の芝をふんにゅと根の底からもちあげ、「ちっちゃな石がみっつ」を救出した。「あら、本当だ。石が入ってる!」

母はこの石の周囲に、「小さな玉砂利を置くと石が強調されてかわいい」というのだが、発掘が終わる頃には夕刻の闇となり、そこまで手が回らなかった。

石を持ち上げ、しっかりと張った芝の根をむしり取る。軍手から容赦無く土が入り、私の爪の周囲を真っ黒にしていった。

母が朝一番にサッシュを開けると、まず見えるのが庭のこの場所だ。

「この石が見えなくなってもう10年以上かな。こんな感じだったんだ。やっぱりかわいいわぁ」と嬉しそうだ。

幸いなことに、立春の声を聞いてからの関東地方は晴天に恵まれた。窓の拭き掃除もギリギリで間に合った。自己満足にすぎないけれど少しはこなせてよかった。

私が戻る直前の日曜日は、息子が来て、3世代で夕食もとることができた。彼は料理が好きで、今回はスコーンを焼いてきてくれた。前年は材料持参で自家製肉まんを作ってくれた。

スーパーで買った刺身やら、前日の残り物を寄せ集めた夕食でも、心温まるひとときだった。夕食後、母が風呂に入っている間に息子と話す機会が少しだけあった。アイスランド語の教科書を見せると、「へぇ、Ég er frá JapanってI am from Japanと同じだね」と、すぐに英語の構文と同じであることに気づいたようだった。

翌朝、実家から横浜に移動する途中、父が入院する病院に寄った。コロナで面会はできないが(非人道的。これは人権侵害!)、たまたま父は病室の外の見晴らしのいいテーブル席で食事を取っていた。近くの係員に声をかけ、父を私の方に振り向かせてもらった。言葉は交わせないけれど、互いに手を振ることができた。

父はPCを使えるし、現在はiPad miniで交信ができる。共有アルバムも作ったので、少しは時間つぶしになることを願っている。電子機器に弱い母にも、ついに私のお下がりのiPad miniを持たせた。ボタンを押すだけ仕様。こちらも写真を見てくれればうれしい。Facetimeまでは指導が行き届かなかった。

何の変哲もない日々が、とても貴重に思えた今回の日本滞在だった。一瞬一瞬を大切に過ごしてはきたつもりだけど、残っているのは「思い」のみだ。そう、結局残るものはそういった「思い」でしかない。

爪の周囲が黒いのはいただけないけれど、指先の黒さが愛おしくもある。この黒土が指先から消える頃には私はアイスランドの空の下だ。来週からまた、アイスランドの話題に戻りますね。

(アイキャッチの写真は、お揃いの農作業帽をかぶってはしゃいでいる母と私)

小倉悠加(おぐらゆうか):東京生まれ。上智大学外国語学部卒。メディアコーディネーター、コラムニスト、翻訳家、ツアー企画ガイド等をしている。独自企画のアイスランドツアーを10年以上催行。当地の音楽シーン、自然環境、性差別が少ないことに魅了され、子育て後に拠点を移す。好きなのは旅行、食べ歩き、編み物。

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