政治を斬る!

こちらアイスランド(150)人口38万の国で10万人が集結した「女性のストライキ」〜男女平等14年間世界一!全女性よ、すべてを投げ出し団結せよ!〜小倉悠加

度肝を抜かれる規模、熱気、主張、団結力ーーー2023年10月24日レイキャビクはアルナルフットルArnarhóllの丘で、男女平等、性的暴力の撲滅等を訴える大規模集会『女性のストライキ』が行われた。

1975年、女性の90%が参加したという初回の試みにに続き、2023年は動員数も、内容も、圧倒的な熱量をもって歴史的なイベントとなった。

まずは私が2021年に書いたこの文章で、この集会のルーツをおさらいをしてほしい。

今回の集会も女性は圧倒的な団結力を示した。警察発表によれば動員人数は約10万人。アイスランドの総人口は38万人だ。そのうちの20万人が首都圏に住んでいる。10万人という数字は全人口の25%であり、首都圏人口の半分だ。首都圏の全女性が参加したと言っていいだろう。驚異的としか言いようがない。

2018年に続き、私がこのイベントに参加するのは2度目だ。実は2016年にも機会があった。にも関わらず、「これから女性の会合・集会(ミーティング)へ行く。あなたも来たら?」と言われた時、恥ずかしながら何のことかを知らず、「会合へ行ってもアイスランド語がわからない私が参加したところで意味がないだろう」と思ってしまった。もう少し事情を詳しく聞けばよかった。

ちなみにこれは労働組合が正式に認めている「ストライキ」や「休暇」ではなく、非公式で「勝手にやっている」だけだ。いわば勝手連のイベントだ。

この集会は毎年行われている訳ではない。1975年が初回で、次は1985年、2005年、2010年、2016年、2018 年、そして今年2023年で7回目を迎える。

イベント終了後、写真を撮ってとばかりポーズをしてくれた10代前半の女性たち

前回は賃金格差に焦点を当て、格差の時間分だけ職場を早く抜け出して、この集会に参加しようという試みだった。

今年はもっと大胆だ。真夜中から次の真夜中まで、丸一日をストライキとした。女性が強いられているのは給与という可視化された差異だけではない。女性の生活そのものが格差の塊なのだ。

それに伴いこの日の名称も変更した。これまでは「Kvennafrí (女性の休日・休暇)」だったのが、今回は「Kvennaverkfall(女性のストライキ)」と語気を強めた。

あわせて今回のスローガンは「 Kallarðu þetta jafnrétti?(これのどこが平等なのか?)」とした。

それにしても物凄いイベントだ。圧倒的な数の女性が続々と集まってくる。年齢も幅広く、母親や祖母に連れられた乳幼児もいれば、教育者もストライキで休校になっているため、普段この時間帯は授業中であろう10代の若い女性も積極的に参加していた。

今回の焦点は「労働力の正当な評価」、「性暴力」、「見えない労働」の3点だと言われる。この3点に関しては、少し説明が必要かと思う。

「労働力の正当な評価」には賃金が伴う労働もあれば、賃金の伴わない家事労働等もある。賃金の平等はわかりやすい。同じ職業や仕事内容の場合、男女の給与差があってはいけない。家事労働は一人暮らしでもない限り、自分以外の家族のために費やす時間・労働だ。

「性暴力」はあってはならない。アイスランドの女性の40%が、人生に少なくとも一度は性暴力の被害者になるとの統計が出ている。暴力とは肉体を傷つける物事に限らず、精神的な暴力も含まれる。

「見えない労力」と私は書いたが、実際はどう表現していいのかよくわからない。日本語で言えば「気遣い」や「気働き」という表現が近いかもしれない。例えばそれは子供のランドセルの中に、鉛筆や消しゴム、ノートや教科書が揃っているか、小さくなって着られない服はないか等、細々とした事柄を気にかけて気働きをする。もちろん足りないものがあれば率先して買いに走ったりもする。

正直に言えばそれは私には当たり前のことで、だから何?と思ってしまう。とはいえ、私の子育てを振り返れば、日常の細々としたことを気にしていたのは母親である私だけで、そこに父親の姿はなかった。不平等という捉え方こそしなかったが、そういった「些細な」使役を自分自身に強いていないか?そういう事柄が積み重なってはいないか?女性自身が自覚せよ、という意味だと解釈した。

また、今回の集会で特筆すべきは、ノン・バイナリーと呼ばれる性別を特定しない人々を含めたことだろう。「女性」に関する不平等を是正するための集会なので、対象は女性だ。女性と自認する人は全て含まれる。ノン・バイナリーは女性でも男性でもない。それでも不公平を強いられる少数派であることには違いない。ノン・バイナリーを含めたところに、私はこの集会の心意気を見たような気がする。

新聞発表によれば、今回のストライキはアイスランドで行われた最大規模の屋外イベントになったという。三々午後と集まり、それぞれの想いを託してその場に身を置く。治安のいい国であることもひしひしと感じた。

聴衆の前に設えられたステージからは、歓呼もあれば、勇気づけられる歌もあり、さまざまなバックグラウンドを持つ女性のスピーチが行われる。基本的にはアイスランド語だけれど、横のスクリーンにその英訳が映し出される(ありがたい!)。

正面のスクリーンでは手話通訳と英語訳が映し出された

その熱気とパワーには、心底圧倒される。団結するとはいかなることなのか、団結を実際に見せて示すとはどのようなことなのか、その場にいないと理解できない熱気とパワーは、ロック・コンサートの高揚感にも似ている。会場に漂うただならぬ空気に全身が包まれる。それは自分への喚起にもなった。

「団結」という言葉の広さと重さと熱量を、真に理解した気がした。この参加者たちと思いをひとつにして、道理の通じない物事には屈しない態度を取ろうと決意した。

日本人女性は、自分だけ我慢すればそれで済むと、本来は突っぱねるべき物事を無理してこなすのが日常茶飯事ではないか?日常茶飯事すぎてそれが常識、そうしないのが非常識だと思い込まされていないか?物事に波を立てたくない。確かにそうだ。けれど、波を立てなければ、不条理のままになってしまう。

「同胞」という言葉がこだました。人種も、人生のバックグラウンドも異なるけれど、この人たちと気持ちは同じだと感じる自分がそこにいた。力強い、頼れる同胞に恵まれたのだ。

仲間がいる、私ひとりではないという感覚は、精神の大きな支えになる。独りよがりかもしれないが、それでいいのだ。ひとりひとりが、心底そう感じる瞬間があることが、本物の力となり、社会を動かす原動力となる。

女性の団結力を見せつけたイベントであったことは、写真やニュースでも伝わったことだろう。それでも、アイスランド社会全般の考え方が日本人には何一つ伝わっていないかとも思う。

女性は女性として堂々と生きるべきだし、差別されてはいけない。もしも差別があれば改善されなければいけない。

文字に書き起こすと当たり前の話だが、これが日本の社会の考え方として当てはまるだろうか?仕事場は?家庭内は?

1975年の初回イベントから50年近くが経過した。世界経済フォーラムの男女平等指数世界一を14年連続直走るアイスランドだ。格差はまだあるとはいえ、平等の考え方は社会に深く根付いた。これに関して日本とアイスランドは、月と亀の子束子の差があると私は断言する。

女性は声をあげて当たり前!ストライキは参加して当たり前!

遠慮?するのは悪だ。他人への気遣い?その前に自分を気遣ってもいいのでは?

アイスランドも日本に負けず劣らず男尊女卑の国だった。それを覆すきっかけが勇気ある75年の「女性の休日」だった。その貴重な一歩を無駄にせず、前進し続けたからこそ今日のアイスランドがある。

2023年10月24日、ストライキの日に普通に職場に姿を現した女性は、”普通の人”ではない。肩身の狭い思いをすることになる。

え?非公式のストライキに参加せず、普通に職場に出てきただけですよね。

でも、それは掟破りだ。社会の雰囲気が男女平等に理解を示して当たり前、精一杯の支援を表明するのが正しい態度とされる。その流れに乗らない行動・言動は反社会的と解釈されても仕方がない。ストライキに参加しないのは、先人の勇気を、行為を無駄にすることを意味する。

女性の権利のために立ち上がっている同胞を無視して、出勤という団結から外れる行為をする。たとえそれが自己の、女性自身の意思であっても、足並みを揃えない困ったヤツだと思われても仕方がない。

それは女性であるからには首相でも同じことだ。カトリン・ヤコブスドッティル首相はこの日、職務から離れ、予定していた閣議等もすべて延期した。その他の国会議員や大臣も、女性は職務につかなかった。それがアイスランドでは正しい行いなのだ。政治家として適切な判断なのだ。

もしも「いや、私は仕事をします」と女性国会議員がストライキの日も職務についたとしよう。議員の自由意志は尊重するものの、国民の、女性の代表としては相応しくない人物となる。それが次の選挙に響いてもおかしくない。

男女共に「女性のストライキ」に反旗をふることは、反社会的行為であり、少なからず変わった人だ。

とはいえ、自由意志で職場を離れることが躊躇される職業はある。医療が必要な病院を筆頭に、老人ホームやホスピスなどの職員は、現場を離れることはできない。その場合はスト参加が叶わないことを示す共通のバッジなどをつけていたという。

また、「ストライキに参加する場合、給料は支払わない」「首を切る」等、雇用主から圧力をかけられる場合もある。特に移民女性は見えないカーストの最下位だ。立場が非常に弱い。そのような雇用主はごく少数であるとはいえ、職を失う危険をおかせない女性も存在することだろう。

その場合は匿名で雇用主を集会の事務局側に知らせるシステムがある。事務局からその雇用主に、理解を促すよう働きかける。話が聞き入れられない場合は、理解に欠ける企業として不名誉なリストに名前を連ねることになる。

そのような雰囲気なので、周囲の男性に尋ねても、異口同音に「ストライキを支持する」と言う。みんなエリートだなぁ。本当にそうなのかな?

初回のストライキから50年近く経っても、いまだに差別・格差は存在する。けれど、社会の「空気」、日本人が読むのが大好きな「空気」に関しては、平等であろうとする空気はしっかりと根付いた。

アイスランドのレンタカーは地元の会社で

今年の集会は見事だった。素晴らしかった。何よりも、この圧倒的な動員数を否定することはできない。その根底は、まだどうしようもなく不平等がこの社会にあり、性暴力がはびこり、見えない労働が女性に課されている。その不満を見える形で、圧倒的な数で、表明したのがこの集会だ。

今回の集会は、前回よりもアグレッシヴな印象を受けた。それは、今回が賃金格差の時間給差を軸にした「休日」集会ではなく、丸一日の「ストライキ」と大きく踏み出したことも無関係でないと思う。

ボトムアップで実社会を、政治を、司法を動かすためには、これだけの力を見せつけて、やっときっかけを作ることができる。さて、日本はどうだろうか?

四の五の言わず、とにかく行動に起こし、駆け抜けていく彼女たちの強い決意と団結力に大きな敬意を抱いた。圧倒され、深い感銘を受けた。

男女平等指数世界ナンバーワンを14年間連続獲得しているアイスランドでも、差別は根強く残る。ストライキの翌日カトリン首相は、現在する格差は2030年までに無くすと声明を発表した。

小倉悠加(おぐらゆうか):東京生まれ。上智大学外国語学部卒。メディアコーディネーター、コラムニスト、翻訳家、ツアー企画ガイド等をしている。独自企画のアイスランドツアーを10年以上催行。当地の音楽シーン、自然環境、性差別が少ないことに魅了され、子育て後に拠点を移す。好きなのは旅行、食べ歩き、編み物。

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