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こちらアイスランド(170)当コラムは4年目突入!日本?アイスランド?おとぎ話はどちらの国に〜小倉悠加

「こちらアイスランド」は4年目に突入!2021年3月20日から開始し今回の第170回で満3歳を迎えた。

丸3年間、一度も欠かすことなく、ずっと毎週(時には週二で)書いてきた。

これも一重に「自由にどうぞ」と場を提供してくれた鮫島さんと、私の好き勝手な文章についてきてくれた読者のおかげだ。どうもありがとう!

3年間アイスランドのことを中心に書いてきて、さてどの程度みなさんにアイスランドのことが伝わっているのか、いないのか。引き続き、政治色の強いサメタイの、清涼剤として置いてもらえればと思っている。

今回は奇しくも数日前に日本から戻ってきたばかりだ。日本とアイスランドをつなぐを心のモットーとしているので、このタイミングで4年目を迎えるのはちょうどいい気がする。

今回日本に2ヶ月半滞在して、どっぷりと日本の生活に浸かることができた。初めて思うような日本滞在ができた。

滞在の終盤はもう日本に戻ろうかと思った。日本には家もあるし、戻れば歓迎されることはわかっている。特に高齢の両親のこともあり、ここ数年は戻るべきかと感じながらアイスランドでの生活を続けてきた。

50代も後半でなぜ海外を目指したのかは、平たくはもう一度海外で暮らしたかったというだけのことだった。アイスランドが最有力地になったけれど、若い時に慣れ親しんだ北米でもよかった。

数年間も住めばそれで満足したはずが、成り行きで結婚したこともあり、もう8年もこの地で過ごすことになる。この地に住み始めた時に生まれた子供は、就学児になっている。結構な時間をアイスランドで過ごしたものだ。

そのせいか、日本に戻ると不思議な違和感に襲われる。それを違和感と呼ぶのもなんか違うなぁとは思うので、スポーツの試合よろしくそれを「アウェイ感」と書いてきた。

勝手知ったる日本の日常が非日常となり、不思議な疎外感さえ感じるのだ。電車に乗って目的地へ行く、喉が乾けば自販機で飲み物を買う、夜中に小腹が空けばコンビニへ行けばいい。当たり前だったことが日常でなくなった不思議。海外旅行へ行った時のような物珍しさともまた違う、知ってるはずなのによく知らない収まりの悪さを感じるのだ。

そんなアウェイ感を抱きつつ、日本の、ごく当たり前の、首都圏の生活を続けていると、さすがに感覚は以前のようになってくる。当たり前のことが当たり前として平然としていられる。けれど、心のどこかでは常に物事をアイスランドと比べていた気がする。

滞在の終盤はそんなアウェイ感も払拭して、あぁやっぱり日本の方がいい。日本に戻って暮らそうかなと思い始めた。

家族は日本にいるし、住む場所もある。食べ物も断然日本の方がおいしい。この地では日本語ができればよくて、友人と飲みに出てもずっと日本語で話せる。わかってます、当たり前ですよね!

でもその当たり前が全くの非日常の場にいると、非日常が日常となり、例えば言葉が通じない違和感を抱くのが当たり前すぎて、全部日本語で通じることが果てしなく驚異的なのだ。

私は日本で生まれた日本人なのだし、それも60年近く住んでいた。やっぱり私の居場所は日本なのだ!

そう強く思いながら日本滞在を過ごした。

今回は日本を離れるのがとても憂鬱だった。名残惜しすぎて最後の一週間は毎日半べそをかいていた。

帰りの羽田空港も憂鬱すぎたし、チェックインした後も、「ここでアイスランドへ行かない選択もできる」と自分に言い聞かせた。それでも先へ進む足は止められず、機内の座席に着いた。そこでやっと観念した。

祖国を捨て海外に骨を埋めるつもりは最初からなく、どこかで引き上げる予定ではいる。もう海外には十分に住んだし、ヨーロッパのあちこちを見てまわりたいという気力も薄れてきた。これからは日本のあちこちを見て回りたいと思っている。

航空便に乗ってしまったからには、また1年間をアイスランドで過ごすことになる。有無は言えない。

今回はJALで予約したけれど、コードシェア便でフィンランド航空を使うことになった。知らなかったのは、ご飯が激不味だったこと。機内食の写真をネットで見たが、実際に出てきたのはどの写真よりも酷かった。

夕食で一番美味しかったのはニュージーランド製のバターと、日本ソバについてきたネギだ。あとは食べたくなかったが、腹ペコだったので半分ほど押し込むことができた。食事に関しての気遣いなど全く感じられないメニューだ。思い出すだけでゾッとする。次回羽田からフィンエアーを使う時は、絶対に横浜で駅弁を買って行く。崎陽軒なら冷めても美味しい。

機内のエンターテイメントの選択も私にはまったく面白くなかった。日本の映画やドラマはゼロだし、フライトのカメラしか見るに価するものはなかった。フィンランドは嫌いではないけど、航空会社は最悪だ。食事の印象が悪いと、印象が全部悪くなる。

アイスランドの国際空港には彼が迎えにきてくれた。毎回「空港バスで帰れるから大丈夫」と告げても、律儀に仕事を休んできてくれた。彼と会うのは久々だ。元気そうでよかった。

すぐに荷物を積んで空港を出た。私は体内時計が狂いに狂っているけれど、世の中は午前中の10時過ぎだ。交通量は多くなく、1日はまだ始まったばかりだ。

「時間があるから、グリンダヴィクの方を見に行ってみる?」と彼が尋ねてきた。

グリンダヴィクというのは、近年の地震や噴火で被害を被った街だ。その街自体は立ち入りできないが、周辺までは近づくことができる。少なくともブルーラグーンへの道は開放されている。

帰っていきなりかと思ったけれど、確かにあの周辺がどうなっているのか興味はある。好奇心旺盛な私たちらしい帰宅の仕方だ。

「途中、どうせ通行止めになってるだろうけど、行けるところまで行ってみようか」

世界に名だたるブルーラグーンへ行くには、溶岩が通ったこの道を使うしかない。すでにブルーラグーンは営業を再開している。はて溶岩が通ったこの部分をどう処理したかと、確かめたかったのだ。

ついでに、もしもグリンダヴィクを通れるならば(まず無理だろうけど)、海岸の忙しい道を使わず、風光明媚なクリスヴィク地区を通ってレイキャビクへ行くことができる。

この動画ではわかりにくいけれど、舗装道が土の道になる場所がある。あそこが溶岩が通った場所だ。どうやらアイスランド人は、溶岩が通った場所に土や砂利を乗せ、ローラーで高さを平均化して、車を通れるようにしたらしい。溶岩はまだ熱いらしく、周囲からは白い煙が見えていた。

アイスランド人、たくましい!

とりあえずは通行できればいいのだ。日本であればこのような対応はまずしないように思う。

ブルーラグーンの駐車場まで行ってみた。車の数は少なく、観光バスも一台のみ。バスは普通15-20台は見るから、ひどく少ない。ゆったり温泉に浸かれるという意味では狙い目の時期だと思えた。

近隣の地熱発電所とブルーラグーンを守るための土の防護壁もよく機能しているようで、突貫工事でもこれは実に作ってよかったと思わざるを得ない。

予想通りグリンダヴィクの街は通り抜けができなかったため、引き返して家路についた。

自宅に到着すると、きれいに片付けられたリビングが私を迎えてくれた。彼にしては珍しいほどきれいになっている。実は二週間ほど前、アイスランド音楽のドキュメンタリーを撮っているアメリカの映画クルーが我が家に来て撮影をしたという。そのために綺麗にしたらしい。

少しの間留守にしたけれど、自宅は自宅だ。すぐに馴染んだ。

水が飲みたくて蛇口を捻り、口に含んだところ硫黄の味がした。そうか、直前に温水を使ったんだ。この国では冷水が飲みたければ、少しの間冷水を出し続けてから飲んだ方がいい。

次に、ゆる定点としてツイッターに写真を出しているバルコニーに出てみた。いつもの見慣れた景色だ。

天気は良く、風もなく、周囲の山は白い雪が頂上に残り、相変わらず美しかった。航空便の離発着が見放題の国内線の飛行場も健在だ。右手には大統領官邸も見えるし、噴火すればその奥から溶岩の光が見えてくる。見慣れた私の箱庭だ。

ピリリとした冷気を深呼吸すると、あぁここが私の、少なくとも現在の居場所なのだと再確認した。違和感がないことに驚いた。いや、落胆したのかもしれない。違和感があってほしいと密かに思っていた気がする。

今回、彼はいつになく念入りに掃除をしていて、ベッドのシーツやカバーまで洗ってあった。

パリっとしたカバーがかけられた寝具に包まれると、やっぱりここは居心地がいい。

そして、日本での出来事が夢のような気がしてきた。いや、本当にあれもこれも、夢を見続けてきたのかもしれない。そう感じるほど、日本は遠い国になっていたし、自分の居場所が日本ではなくレイキャビクであることを認めざるを得なかった。

日本が現実の生活の場だった時、アイスランドはおとぎ話の国だった。今はそれがひっくり返ってしまったのだ。日本での出来事はぜんぶおとぎ話だったのだ。

あれほど日本の方がいい、アイスランドに戻るのが憂鬱と言っていたのが、手のひらを返すようにレイキャビクの家がいいとなった。ゲンキンなものだ。

白だと言っていたものを、やっぱり黒だねとあっさり認めてしまった気がして、それはそれで違和感があった。なので少しだけ掘り下げてみた。

結論は単純にこういうことかと思う。日本には私の部屋がないのだ。

実家を出て30年以上経っている。実家に泊まる時は客間を使う。私は家の人ではあるけれど、その家に私の居場所たる部屋がない。私が日常的に使うものがないのだ。

さすがに不便なので、今回少しだけ洋服やバッグなどを運び込んだが、それでも「私の部屋」にはほど遠い。横浜の家には自分専用のウォークインクロゼットはあるが、宿泊するのはかつて息子が使った部屋だ。ここも「私の部屋」ではない。

実家は使いやすいようにしていいと言われている。次回は父が使っていた部屋を模様替えしようかと思う。そうすれば、一方がおとぎ話の場所ではなく、アイスランドも日本もどちらも「私の居場所」になるのではと思う。

コラム開設3周年記念の内容に相応しいか相応しくないか読者が決めることだが、日本とアイスランドの間で揺れているという意味では、案外ふさわしいのかと思っている。

ここで4年目のお知らせを。

ひとつは、毎週書いてきたこのコラムを月2回ないし不定期にさせてもらうことにした。鮫島さんからはご快諾いただいた。これに関しては当初から「ご自由に」と言われいたので、毎週絶対!と気張るのをやめることにした。

もうひとつは、「のぶ画伯、今週の一枚」を当コラム内でスタートする。アイスランドに関連した物事をのぶ画伯の解釈で描いてもらう予定で、今回アイキャッチに使用したのがそれだ。

基本的にはアイスランドの何かを描いてもらう。とはいえ予定は未定で、基本的にはのぶ画伯任せになる。のぶ画伯に関しては、後日改めてご紹介したい。

ということで、4年目に突入だ。引き続きどうぞよろしく。

小倉悠加(おぐらゆうか):東京生まれ。上智大学外国語学部卒。メディアコーディネーター、コラムニスト、翻訳家、ツアー企画ガイド等をしている。独自企画のアイスランドツアーを10年以上催行。当地の音楽シーン、自然環境、性差別が少ないことに魅了され、子育て後に拠点を移す。好きなのは旅行、食べ歩き、編み物。

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