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こちらアイスランド(172)初の冬の雪道体験。強風と積雪でホワイトアウト続出。頼りになるのは道路公団と判断力!〜小倉悠加

これだけ縦横無尽にアイスランドを走っていても、慣れていない道路コンディションがある。

ズバリ、冬の本格的な雪道だ。

アイスランドに住んでいれば、地域には関係なく雪や氷には悩まされる。程度問題でしかない。なので、全く慣れていないのではない。けれど、都会の日常の雪と本格的な北国の雪道は別物だ。

地図にないようなジープ道を進む無鉄砲にも見える私たちではあるけれど、実際はものすごく安全第一(すぎる?)で、雪道は避けてきた。必要に迫られない限り、冬に遠出することは一切ない。

なのになのに、この時期に西フィヨルドへ出向いた。北部ほどの雪はないけれど、レイキャビクよりも北部になる。それでも行くことになったのは、イースター休暇中にロック・フェスティバルの20周年記念があったからだ。我が家としては禁を破って遠出するにふさわしい理由だ。

このフェスの話は後まわしにして、今回は雪道についてを語りたい。雪国に住む人にはごく普通のことかとは思う。でも、私たちには新たな体験だった。

西フィヨルド最大の街イサフョルヅル

まずアイスランド全般の話をしよう。国名が示す通りここは氷の島と言われるほど氷が多い。国土の10%以上が氷河に覆われている。日本の夏に近い6月でも雪が降ることはあるし、ましてや北部の冬は厳しい。

今回行ったのは西フィヨルドの中心であるイサフョルヅルという街で、西フィヨルドでも北寄りになる。ひどく雪深くなる地域ではないけれど、ちょうどこのフェスの10日間前に記録的なドカ雪が降り、イースターの週末も雪の予報が濃厚だった。その際は数日間周辺の道路が通行不能になった。

さーて、果たして無事に辿り着けるのか、そこからして心配だった。3泊の予定なので、滞在中に雪が降った場合、レイキャビクに戻れるかも懸念した。

心配性の我々は、もしも雪で立ち往生した場合を想定して寝袋と羽布団を持って行った。少し自分でも笑ってしまうけど、もしも本当に雪に埋もれ、ガソリンも尽きれば体温温存が最も大切だ。気休めではあるけれど、持って行かずにいられなかった。

宿泊施設の掛け布団が貧弱だったため、私は自分用の超高級羽布団を使って快適に過ごした。味をしめたので、今後も外泊する時は持って出ると思う。つまらないオチだが持って行ってよかった。

幸い出発日の2024年3月28日の天気はまずまずだった。道路公団のサイトを見たところ、山間部に雪は残っていても、注意して通れば問題なさそうだった。

彼は午前10時ごろ出発したかったらしいが、羽布団の袋を探し出すのに時間がかかり、出発は午前10時半すぎとなった。道路状況は思った通りで、1号線は全く問題なかった。60号線に入ると山越になるため、そこで若干の雪道を走った。

60号線に入ったところの風景。ひどく雪深くはないけれど気温はマイナス4度くらいだった。

そこまではよかったけれど、途中から結構な強風(毎秒13-15メートル程度)にみまわれた。風のせいでこの数日降り積もった雪が舞い、ところどころ視界が全く遮られた。行く先が見えずにヒヤっとした場面が多々あった。除雪しても風で道路にすぐ雪が積もってしまうらしい。ところどころに雪深い場所があり、そこを通るとタイヤが雪に囚われた。タイイヤが方向を保つのに苦しんでいる感じだ。がんばれジムニー!

強風で一瞬目の前に大量の雪が舞い飛び、視界がなくなることがあった。まるで雪女か雪の精が突然現れ人間を弄んでいるようで、意外なところで神話の世界を感じた。

自分の位置も対向車もまったくわからず、車を止めるのはもっと危険なので走らせ続けるしかない。八方塞がりとはこのことで、安全にぬけられることを祈るしかできなかった。

たぶんそんな状態は数秒しか続かなかったとは思うけれど、断続的に出くわすので、ホント心臓によくなかった。

いつもならあちこち道中を楽しむ私たちだが、今回は給油とトイレストップのみだった。

それにしても気温が低い。場所によってマイナス4度からマイナス11度だった。気温がこれほど低い時にこのような長距離の移動は初体験だ。雪が車に張り付き凍りついたのか、後部ドアを開けると周囲についた氷がバキバキと割れ落ちた。

降雪時は乗車の際、必ず靴の雪を落としてから足を車内に入れる。靴の雪をこそげとっている際に気づいたのが、車の下に厚く氷がはりついていることだ。つららになっている部分もある。ヒエ〜。

氷が張り付いていると重量になる。余分な重量は燃費に響く。というケチな心理からドアの下、車の下の氷結をバシバシ靴で壊していった。パキンと氷が割れてごっそり下に落ちるのが案外気持ちよく、少しクセになった(笑)。

車輪のカバー部分にも氷が貼り、これをを足で蹴飛ばしては落としていたところ、彼から「車体に傷がつく」と怒られた。ゴメンチャイ。

氷結といえば、タイヤのあたりからギシギシ重そうな音がする。見ればタイヤの泥除けの部分に分厚い氷が張り付いている。これにもヒエ〜と声をあげた。

泥除けの氷はタイヤにくっつきそうなほど超分厚く、蹴飛ばした程度ではビクともしない。それに、叩くと傷がつくと先刻指摘されたため、それが泥除けの部分でも手を出したくない。

少しの間放置したが、どうやらそのせいでハンドル自体が切りにくくなってきたようで、彼が自らこの氷の塊を落とすことにした。

手や足ではビクともしないため、窓の雪や氷をこそげとる道具を出してきて、氷と車体の隙間にそれを挟み込んで氷を外した。ドシンと鈍く重い音がした。長いところでは30センチ以上ある結構な氷の塊がゴソっと落ちた。ついでなので、車体下の氷の塊やら氷柱を落とした。こんなのは初めてで、極寒じゃん!

それ以降、私があちこちの氷を蹴落とすことに彼は意義を唱えなくなった。妻がやることは常に正しいのだ!エッヘン!

とか何とかやってるうちにイサフョルヅルに到着。18時ごろだった。所要時間は7時間強ということになる。途中、アイスクリームも食べたし、給油もしたし、いつもほどは写真ストップをしなかったけれど、ゼロではなかった。

あらま、往路の話をこれほど長々と書くつもりはなく、復路が問題だったのにーーー。

復路は移動距離が往路よりも90キロも長かった!

往路で強風と積雪で泣いたあの道路が使えないため遠回りで帰らざるを得なかった。通行できれば少し無理してでも近道を進みたかったが、私たちがその入り口まで進んだ時点で通行止めになっていた。往路で苦戦した場所なので、通行止めは納得。

雪道に関してはニシフィヨルドに3泊している間、随分と慣れた。

フェスが行われたイサフョルヅルに宿が取れなかったため、トンネルを使い、隣町のスズレイリ(Suðureyri)に宿泊した。毎日街から15キロ走ってトンネルに入り、そこからイサフョルヅルへ向かった。フェスは夜中に終わるため、滑りやすく急な下り勾配の道を真っ暗闇の中スズレイリへと向かうことになる。朝はその逆で、日照はあるけれど、滑りやすい急な上り坂を進むことになる。そんな道を数回も通れば少しは慣れるというものだ。

フェスは夕方からなので、昼間は近隣も走った。そんな感じで雪の中を走ることに「慣れた」感はできた。無論この「慣れ」が曲者であることも心に刻んでのレイキャビクへの走行だ。

短くても400キロ。この日は遠回りで500キロを走る。夏でも長距離には違いないが、ひどく寄り道をしなければ、走行時間は5-6時間なので、ものすごく疲れるドライブではない。少なくとも我が家の認識はそうだ。

ちなみに我が家の最長ドライブ記録は1日700キロで、これは厳しかった。700キロを走る予定はまったくなく、400キロ程度の場所で宿泊する予定が、天気の関係でレイキャビクに戻ってしまおう!となったからだった。

3月28日復路を走った日の道路状況は決してよくなかった。復路の3月31日は降雪に加え、イエローの強風注意報が出されていた。山越の道路は赤で記され、通行困難とされていたが通行止めではない。レイキャビクまで戻るのは無謀な気がして、実はこの日の宿も予約してあった。

赤マークで通行が非常に難しい道路を通る必要があった

それでもレイキャビク行きを決行したのはなぜか?

少し長いけれど、「なぜ」という思考プロセスを書き出したい。

アイスランドをドライブする際、何か問題がありそうな時は必ず道路公団の指示に従うこと。明確な指示がない場合は総合的に熟考することが不可欠だ。

あくまでも我が家の場合だけれど、道路状況がアプリやサイトでいまいち理解に及ばない時は、彼は必ず道路公団に電話をする。一連の状況確認の後、彼は職員に「今日と明日ではどちらがマシだと思いますか?」という率直な疑問を投げた。もちろん「天気のことなので、誰も分からないことは理解している」という前置き付きで。

その際に言われたのは、天気図や道路公団のサイトを見ればわかることにすぎなかった。それは明日の方が風が少しだけ弱いということ。確かに明日は強風でのイエロー注意報は解除されている。それでもはっきりと「明日の方がいい」という言葉はなかった。

今日は強風注意報で雪が煽られる。これから雪は降り続けるので明日の方が雪が積もる。今日と明日の風の差異は秒速3メートルから5メートルだ。もちろんそれがイエロー注意報になるかならないかの瀬戸際なのだが、数メートルの風速差でそれほど運転への影響に違いがあるとは(素人考えでは)思えなかった。

その上、地元の道路の専門家である道路公団の担当から、翌日の方がいいという言葉はなく、印象としてはどっちもどっちとしか受け取れなかった。

私の心は決まっていて「今日戻る」の一択だった。特に迷わなかった。けれど、そんなことは一切彼には言わない。彼が自分で決めるまで、私は口出しをしない。

なぜ今日がいいと思ったのかといえば、道路公団担当から、明日の方がいいというニュアンスがなかったこと。今日帰宅すれば明日ゆっくりと休める。今日帰らず運転を明日にすると、彼の性格上明日まで心配を引きずるだけだ。その上翌日から仕事なので心身ともに休まらないままになる。私にしてみれば一目瞭然の選択なのだ。今日帰宅する。明日ゆっくり休む。単純明快。

1日伸ばしたところで、今夜降り積もる雪は明日道路に吹いてくる。風速は今日よりもマシかもしれないが、積雪量は多くなるだけだし、風に飛ばされてくる雪の量はもしかしたら今日より多いかもしれない。五十歩百歩なのだ。

ひどく危険であれば、必要性に関わらず道路は閉鎖される。実は夜間は閉鎖されていた区間があった。61号船沿いのフィヨルドを抜け、山を超えてホルマヴィクへ向かう、その山越えの50キロ程度の区間だ。朝になると除雪して昼間の間だけ通れるようにしてくれていた。

細かい話になるけれど、もう少しだけお付き合いいただきたい。

イサフョルヅルからレイキャビクまでは大まかに北東へ向かって抜ける道と、西南へ向かうふた通りのコースが考えられる。イースターの週末は首都圏からイサフョルヅルへの車が多く、公団としてはどちらかの道を必ず通行できるようにしておきたい。

理想的にはどちらの道も使えることだが、除雪車の数も従業員も限りがある。どちらか一方のルートしか開通できない場合は、そちらに除雪車を結集させる。除雪車を扱える人数もあり、通行可能時間を制限せざるをえないし、まして夜間までは面倒を見切れない。

今回の場合は南回りの道は閉ざされ、北東へのルートのみが通行可能として残された。

相当逼迫した状態の中、なんとか道路を開通して車の往来をキープしたいという必死の気持ちが読み取れる。もしも積雪量がここで増えると、開通したとしても通れる時間がひどく限られることになる。彼によれば前日は山越の道が1時間しかオープンしていなかったそうだ。くわばらくわばら。その時間を逃したくない。

日本人の、それも関東しか住んだことない私には理解がし難いのだけれど、雪が多いと除雪車が往復している時間帯でないと通行できないのだ。そんな状態になるとは知らなかった(考えればわかりそうなことではあるけれど)。

単に「家へ帰る」だけではあるけれど、あれやこれやと考えて、それで帰結したのが今日行く!ということだった。で、彼も結局私が考えていたのと同じ理由で(明日休みたい)この日に帰ることに決めた。

私たちが帰宅したこの日、問題視ていた区間は正午から開通した。何時間通行できるか分からないけれど、朝から作業をして正午に開通。きっと退社時間の17時くらいまでは通行できるだろうと踏んだ。

普通ならイサフョルヅルから2時間程度でその入り口までリーチできる。スピードが3割減だと仮定すれば、3時間ほどだ。

あまりにも長くなってしまったので、最後を端折るけれど、こうして無事に帰宅できたし、道中想定外の物事はなかった。あえて言うなら、風の強さは雪が車体に当たることで衝撃が分散されたのか(?)、風の強さをほとんど感じず驚いた。風は実際にあったはずなのだ。でも、常に雪と視界との戦いだったことの方が意識に強かったせいもあるのか、とにかく普通以上に強いと思う風を感じなかったのが不思議だった。

どのようなドライブだったのか興味ある人は、ドラレコを2時間半録画したのでそれをご覧いただきたい。投稿の作業がギリギリで確認できていないのだが、ドラレコ動画は最後のフィヨルドの部分から入るかと思う。録画開始30分後から雪がひどくなるため、そこから再生を開始するように設定してある。

一番ひどい状況はたぶん1時間半くらいからのところかと。

このドラレコは初めて使うため、日時を設定していない状態であることも書き添えておきたい。同じ理由で音声が録音されていて、会話がちょっと恥ずかしいので(といっても差し障りがある話は一切してないと思うけど)、音を消して好きな音楽でもかけてください。音を消してファイルを作り直すと莫大な時間を取られるため、とりあえずのドラレコお裾分けです。

ツイートにもある通り、所要時間8時間。通常でも6時間半かかるので、まずまずよくやったという感じ。途中、持参したサンドイッチを食べてトイレストップをした程度なので、ほとんど時間のロスがなかったのも幸いだった。

うわ、ものすごく長くなってごめんなさい。でもこれを二分割するともっと冗長になるし、決してそれほど面白い話でもないので、今回はこれで勘弁してね!

小倉悠加(おぐらゆうか):東京生まれ。上智大学外国語学部卒。メディアコーディネーター、コラムニスト、翻訳家、ツアー企画ガイド等をしている。独自企画のアイスランドツアーを10年以上催行。当地の音楽シーン、自然環境、性差別が少ないことに魅了され、子育て後に拠点を移す。好きなのは旅行、食べ歩き、編み物。

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