政治を斬る!

こちらアイスランド(177)アイスランド大統領選、カトリン元首相当選ならず。トップ3名はすべて女性。我こそは大統領にとコメディアン、セクシー・アイドル、ゲイの大学教授も参戦!新大統領はTikTokで若者票を集めたハットラ・トマスドッティル

2004年6月1日、新たなアイスランド大統領を決定するための投票が行われた。

今回は国民に超人気の高いグズニが大統領職から引退するというので、新たに大統領が選出されることになった。

あ〜ん、そんなのだや!まだグズニに大統領府に居てほしい!という国民は非常に多かった。私の周囲で「グズニが辞めることになってよかった」という人はビタ一人といない。たぶん歴代で一番人気が高い大統領ではないかと思う。

アイスランド共和国で、政治の実務は首相が行い、大統領はシンボル的な存在だ。政治的な権限はごく限られる。日本では皇室が担当するような外交の物事、例えば各国大使の歓迎、国賓を招いての食事会、国内外の各団体との顔合わせ等は、大統領の仕事だ。

立候補の条件はアイスランド国民で満35歳以上であること、選挙権を持つ国民の署名を1500名以上集めること(一人一候補しか署名してはいけない)、あとは規定書類の提出程度だ。

日本の供託金のような制度はないため、割合気軽に立候補することはできる。なので、今回の選挙には当初70名強が手を挙げた。

手を挙げたのはいいけれど、難関は1500名の署名を集めることだ。人気者や組織票を集めることができる人は開始後30分で集めてしまうが、そういったバックグラウンドを持たない者はここで苦戦を強いられる。最終的に正式に立候補できたのは12名だった。

ここで各候補者の方針を手短にご紹介したい。内容はRUV Englishからの要約と、私からの一言も。

大統領立候補者として公認された12名のプロフィールと名前

Arnar Þór Jónsson(弁護士・元裁判官)政府が国民の意思に沿った政策をするとは限らない、私は裁判官であり、人の意見を聴くことに精通してきた。国民の言葉に耳を向ける大統領になる。
Ásdís Rán Gunnarsdóttir(起業家・タレント)この放送にメッセージなし。プレイボーイのピンアップガールだったという異色の経歴。海外で番組を持っていたそうで、受け答えはとてもしっかりしていた。
Ástþór Magnússon Wium(実業家・平和主義者)平和、民主主義、人権の3本柱で1996年から毎回大統領選に出馬。毎回票を落としてきた。アイスランドはロシアとの対話を持ち平和に導くべき。
Baldur Þórhallsson(政治科学研究者・アイスランド大学教授)人権と、国際政治勢力の研究者として国際社会における国力の増強に力を入れたい。私的パートナーは人気タレント男性。
Eiríkur Ingi Jóhannsson(エンジニア)海洋関係との繋がりが強く、海洋に関する安全保障。主権は国民にあり、政党政治ではなく真の民主主義を促進したい。
Halla Hrund Logadóttir (エネルギー委員会理事・ハーバード大学講師)政治には無関係の活動を通して、アイスランドの未来を考えてきた。アイスランドの内部の団結を促し、未来のために大統領の権限を高めたい。ちょっと線が細いかな・・・。
🌷Halla Tómasdóttir(金融関係理事)2016年、現職のグズニと共に出馬し、投票数第二位だった。アイスランドが国際社会の手本となれるよう、人権や平和を気づいていきたい。2008年の経済崩壊後、ビョーク等と組んで立ち上げたオイヅル基金の立役者が彼女だった。
Helga Þórisdóttir(情報管理専門家)この放送にメッセージを寄せなかった人。影が薄かった。
Jón Gnarr(小説家・コメディアン・元レイキャビク市長)大統領は国民に寄り添う者でなければならない。政治や実業、学者ではなく、芸術畑からの大統領が必要だ。
Katrín Jakobsdóttir(政治家・元首相)お手本のスピーチをしてました。
Steinunn Ólína Þorsteinsdóttir (女優・テレビタレント・プロデューサー)大統領として儀礼的な物事も、政治的な側面も国民に寄り添ってすすめていく。説得力のある話し方。
Viktor Traustason(経済学者)政府や政策が暴走しないよう見張る役目をしたい。

選挙権がなく、野次馬でしかない私には、とても面白い選挙戦だった。その印象のあれこれをば。

トップの候補は通常数百万から数千万の選挙資金を調達している。自腹もあれば、企業等による寄付も多い。選挙はある程度、金がものを言わせる。どこの国でも・・・ということに過ぎないか。

カトリン・ヤコブスドッティル(元首相)はそのいい例で、インタビューに答えての資金の金額が一番多かった。選挙運動は金で決まる側面も多い。

カトリンは専門家に綿密な選挙運動のプランを専門家に任せた。地方の人口の少ない地域まで細かく足を伸ばし、1日で国内のあちこちを何か所も回った。

たとえば、午前中に東海岸の小さな街で有権者に会い、昼のランチ会合にレイキャビクに戻ってきていた。それを可能にするには、プライヴェートでセスナを雇うことになる。片道20万円くらいだろうか。

各候補は行く先々で会場を借り上げ、軽食やケーキなどを振る舞いながら有権者と話をする。1日の予算は少なくて数十万円、カトリンの場合は百万単位であろうことは、アイスランドの物価を知っていればすぐにわかる。そんな贅沢な動きができたのはカトリン一人だ。

他の候補は自家用車で地方を回っていた。ガソリン代も高いため、候補者同士が運転を交代しながら地方を回った組もある。候補者3名で仲良くアイスランド各地を回ったという話は、なかなか好きだ。

当初は当然、知名度も実力もあるカトリンが首位になると思われていた。けれど、最初の世論調査に躍り出たのは、全く無名だったハトラ・フルンドだ。ダークホースの登場だった。

彼女はハーバード大学で教鞭をとる才女で、現在はエネルギー関係の主要職についてる。

最初の世論調査で当選圏内に入ったのは、ハトラ・フルンド、カトリン・ヤコブスの他、元レイキャヴィク市長のヨン・ナール(男性)と、政治科学をアイスランド大学で教えているバルドゥル・ソゥルハットルソン(男性)だ。

ヨン・ナールは俳優、コメディアン、脚本家で、2008年アイスランド経済崩壊後に躍り出たベスト党の党首として市議に立候補し、市長となった。

ADHDを持つ彼は当初、市長が務まるものかと揶揄され、危惧され、実際に重鎮の市議などからいじめられたそうだ。彼は福祉や文化に理解のある市長となり、非常に評判がよかった。続投を望んだ市民も多かったが、政治の世界には向いていないと自ら一期で政界から退いた人だ。

バルドゥルは政治科学の学者でアイスランド大学で教鞭をとっている。彼が少しばかり有名なのは、人気俳優フェリックス・ブラグソン(男性)が伴侶であるからだ。つまりは同性カップルだ。

この世論調査の直後、最初のテレビ討論会が行われた。立候補者12名が同じスタジオに一斉に集まり、テレビ局側からの質問に答えたり、候補者同士で意見をし合った。その様子がテレビで生中継されたのだ。

各候補者全員の表情は固かった。最初の討論会なので、緊張していたのだろう。その中で上手に切り返していたのが、カトリン候補だった。さすが、慣れたものだ。

残念ながら世論調査で一位になったハットラ・フルンドは印象が薄かった。自信のなさそうな話し方、自己主張が見えてこない。私はアイスランド語がわからないからこそ、その人となりは話し方でしか判断できない。その時の応対が一番よくて印象に残ったのが、実はハットラ・トマスだった。

カトリンは当然もっとも攻撃された存在だった。政治の世界に長年従事してきた者が、政治色が伴うことを善しとされない大統領に立候補するのは倫理的にどうなのか?いわゆるカトリン降ろしだ。

興味深かったのは選挙予算の話で、各候補の選挙活動予算で、ン百万、ン千万という数字が候補から口にされる中、ヴィクトルという最年少男性の「署名集めに使った時のガソリン代だけ」というのが爽やかに響いた。

候補者の中で異色中の異色は元ピンナップガールのアゥスディスだった。大統領選をこの格好のポスターでやる?という大胆な戦略。さすがにテレビには普通の格好で登場してきたが。

確か、どのような姿勢で大統領選に臨むのかというような質問だったのではと思う。その時とっさに返したのが、このポスターにある言葉だった。

ポスターの意味は、在アイスランド日本大使がコメントしている通りだ。それにしても、鈴木大使が思わずリアクションしちゃったという感じなのもアウスディスのルックスの効果なのか?

ちなみに、このポスターの元の写真はこれこの写真もすごい。この人が大統領になると、世界中から男性の政治家が飛んでくるだろう。世界一ぶっ飛んだ大統領候補だと思う。皮肉ではない。私は大いに尊敬する。

この場ではなかったが、バルドゥルに対して「ゲイに大統領が務まるのか?」という質問も選挙活動をする中で飛び出したらしい。これは世界初の女性大統領ヴィグディス・フィンボガドッティルへ向けられた「女性でも大統領が務まるのか?」と同じ類の質問だ。

ヴィグディスの時は「大統領になったら家事はどうするのか?子育ては?」のような質問が相次いだと聞いている。今では笑い種の質問だ。

バルドゥルはゲイに対する意地悪な質問にも丁寧に応対し、「次のゲイ立候補者が同じ質問をされなくていいようにしたい」と語っていた。

次の世論調査ではカトリンが首位に立ち、ハトラ・フルンドは支持率を下げ、その代わり支持率がグイっと上がったのがハトラ・トゥマスだった。

世論調査の数字がこうも激しく動くものなのかと、私は少し驚いた。それだけ浮動票が多いということなのだろう。政治的な意味合いはあまりないので、人気者選びのような側面もある。

正直、お色気ムンムンを抑えられないアウスディスは最初感心しなかったが、彼女の堂々とした態度やユーモアを挟む余裕を持って真摯に受け応える姿はとても気持ちよかった。実はファンになってしまった。

質問にまともに答えられないヴィクトルも最初は「なぜこんな人が?」と思ったが、意外にも納得のいくことを言っていたりして、毎回選挙に出てます、金はなんとかなります、のような人よりも、ずっとずっと真っ当な人間だと思えた。

アイスランドは本当に、意外なところで気づきをくれる。

というようなすったもんだで、毎回世論調査が発表される度に順位は入れ替わり、最終的にはカトリンが第一位、僅差でハットラ・トマスが第二位になっていた。

そして投票日6月1日はやってきた。

投票日の数日前にも世論調査が行われるが、その結果は投票前には発表されない。なぜか?大統領選は駆け引きの要素が大きいからだ。

例えば私のように、30代前半からずっと政治に関わり、政治しか知らないカトリンに大統領にはなってほしくない。そうなると、カトリンに勝てる候補に入れたい。カトリン以外なら誰でもいい訳ではなく、勝てそうな候補に入れて票を集めるべきだ。反カトリン票が2-3候補に分かれては結局カトリンが勝ってしまう。

投票は22時までだ。最近、早く投票所を閉じるところが出てきたが、基本は22時である。速報が出てきたのは夜中の12時近かった。

上の写真の一番下の数字は得票数だ。まだ開票は始まったばかりで先行きはわからないが、どうやらハットラ・トマスが一位に躍り出ている。カトリン・ヤコブスドッティルに15%以上の差をつけている。とはいえ、これが縮図となって進まないのがアイスランドだ。

現職のグズニ大統領が選出された際、最初の速報で実はグズニ大統領は首位ではなかった。首都圏の開票が進み、最終的に圧倒的な得票数を獲得したのだった。

今回の選挙は投票率80%、日本人から見れば驚異的に高い数字だが、かつては90%を超えたので、近年アイスランドでも投票率は落ちている。選挙登録者数266,935中の215,635名が投票した。空白や無効票も含めた数字だ。

そして出た結果は以下の通り。2016年にグズニに続いて票を集めたハットラ・トマスが新大統領に選出された。次点のカトリンとは10%の差をつけた。ダークホースとして登場したハットラ・フルンドは三位だった。

4位は舞台畑出身異色のヨン・ナールで、男性トップとして健闘した。私自身に投票権があったら、ヨン・ナールに入れていた。彼ならとても楽しい大統領になってくれると思うし、外交等でもきちんと仕事をこなしてくれると思うからだ。風穴として一番ふさわしいのが彼だと思っている。

なるほど、それが国民の考えなのかと見えたのは、5位になったバルドゥルだ。大学教授であり、経歴としては現職のグズニと似ている。一般的にはヨン・ナールよりも頼りになるように見える。それでもヨン・ナールに軍配が上がったのは、やはりゲイのカップルが大統領府に入ることに抵抗があったかと思った。

ハットラ・トマスの勝因は、TikTokだと言われている。投票数週間前に、なかなか斬新な試みをアナウンスした。ハットラ・トマス・リミックスという音楽だ。それをTikTokでアナウンスしたのだった。これが若者に受けて、彼女の名前が広まったのが票を伸ばすきっかけになった。

それにしてもトップ3名が常に女性だったことに、女性が強いアイスランドらしさを感じる。もちろんいい意味でだ。

世界初の女性大統領になったヴィグディス・フィンボガドッティルが現れた時は、女性に大統領は務まるのか?という質問攻めにあったそうだが、今回そんな話は一切なかった。出てきたのは、ゲイに大統領は務まるのか?だった。時代は変わったものだとつくづく感じた。

また、私はピンナップガールだったアゥスディスが大好きになったし、最年少で出てきたヴィクトルにも好感をもった。

それにしても、大統領になるための推薦を1500名集めたはずなのに、候補者の半数の得票数が1500に満たないって・・・。

ハットラ・トマスが新大統領に選出されたからには、グズニの路線を引き継いで、開かれた親しみやすい大統領府を保ってほしい。

彼女がプロフィール写真に使ったピンクのジャケットは、日本円で4万円程度という記事があった。ドイツのブランドなので、これからはもっとアイスランドのファッション・ブランドを着用するようになるのかな?ファッション・アイコンとしても活躍できそうな気配を感じている。

今回は楽しく選挙戦を見せてもらった。意外な発見もあり、アイスランドってやっぱり許容範囲が広いなぁという驚きと、やっぱりそこまではまだ許容しにくいのかという両方を垣間見たような気がした。

硬派サメタイの、軟派「こちらアイスランド」の野次馬レポートをお読みいただきありがとうございました〜。長ったらしくてごめんね。

小倉悠加(おぐらゆうか):東京生まれ。上智大学外国語学部卒。メディアコーディネーター、コラムニスト、翻訳家、ツアー企画ガイド等をしている。独自企画のアイスランドツアーを10年以上催行。当地の音楽シーン、自然環境、性差別が少ないことに魅了され、子育て後に拠点を移す。好きなのは旅行、食べ歩き、編み物。

筆者同盟の最新記事8件