夏至を迎え、白夜も本格化して、夜がなくなった。夜といえば闇が必ず伴う日本で生活をしていると、白夜がどのような感じかは、想像しにくいと思う。夜が明るいんですよね〜と言っても、どの程度ピンとくるのかこないのか。
あれは20代の終わり頃だったろうか、アラスカのキャンプで初めて白夜を体験した。
「夜、外に出る時にライトが必要なくて便利!」と思ったのも束の間、テントの中はいつまでも明るく、アイマスクをしても寝付かれず困った。夜中過ぎにトイレへと外に出ても昼間のように明るい。なんだか訳がわからなくなってしまった。
人生ずっと当たり前すぎて、考えもしなかったことがそこに起こっていた。夜に闇が訪れなかったのだ。白夜がどのようなものかは知識として知っていたものの、実際に体験すると、これほど奇妙な感覚はなかった。身体のリズムが狂い、思考もやり場を失い、もどかしくて仕方がなかった。
2022年の夏至をアイスランドで迎え、そんなことを思い出した。
アイスランドに移ると、白夜も一年のサイクルの一部として自分の中でしっかりと機能するようになった。というか、避けようもないしね。
夏の白夜生活はこれで10年になるだろうか。こちらに拠点を移して6年目だけれど、ジリジリ、べたべた、ムシムシの日本の夏が苦手で、アイスランドに移る前から毎年、理由をつけてはレイキャビクで夏を過ごした。短くて数週間、長い時は二ヶ月間。移り住む前から白夜対応の下地はできていた。
今年は寝るタイミングを逃すこともほとんどなくなった。寝る体勢に入る闇の閾値が広がったせいか、少しでも暗くなれば、眠気と共に眠りに落ちるようになった。
「夏?普通に眠れるわよ。日照はカーテンを引けばいいだけでしょ」と知り合いの女性が軽々と放った言葉を思い出した。
「夏休み中は、好きな時に寝て好きな時に起きればいいんだよ。外はいつも明るいんだから」と話していた彼は、今年もミッドナイト・サイクリングへ出ているのだろうか。
結局は慣れなのだ。けれど、私の眠りの閾値もさすがに夏至までは広がっていないのか、ここ数日、日照に騙されて眠るタイミングを逸している。寝ようと思いつつ、鳥の声が騒がしくなるまで起きてしまった。朝だ。「本当はもっと早く寝ようと思ったのにぃ」と寝るタイミングをはぐらかされた自分に憤りを感じながら、寝る前の朝風呂に入った。
アイスランドの白夜は太陽が全く沈まないのではない。夏至でも太陽は約3時間ほど水平線の下にいる。太陽は私たちから見えなくなるが、それでも薄明かりは残る。そのことを、常用薄明と呼ぶそうだ。
常用薄明(じょうようはくめい)とは「日の出のすぐ前、日の入りのすぐ後の、空が薄明るい(薄暗い)時のことである」とwikiに書いてある。外で活動できる十分な明るさがあるため、この時期になると夜中の屋外サッカーや、ミッドナイト・ゴルフが可能になる。シークレット・ソルスティスという夜通しの音楽フェスをやっていた時期もあった。
ちなみに冬は逆で、日照が4時間程度しかなくなる。朝の11時まで日が登らないのは、これまたなんとも慣れない。
日照の長短に関わらず、生活はそれほど変わらない。朝が暗い時期は通勤通学が11時で、帰宅は日没の16時であれば嬉しいけれど、そうはいかない。生活の時間割は年中同じだ。それでも心持ちは大いに違い、冬は何事にも忍耐がつきまとうが、その反動もあってか、夏は必要以上に解放感を摂取しようとする。
極端な日照の差がアイスランド人を忍耐強くし、天気さえよければ人生オッケーと思うような性格にしたのだろうか。あれほど夏の日差しが嫌だった私も、いまや日照と天候に一喜一憂するようになった。そんな自分の変化をみて、国民性・気質とはどこから来るのかを、柄にもなく少し考えている。
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小倉悠加(おぐら・ゆうか):東京生まれ。上智大学外国語学部卒。アイスランド政府外郭団体UTON公認アイスランド音楽大使。一言で表せる肩書きがなく、メディアコーディネーター、コラムニスト、翻訳家、カーペンターズ研究家等を仕事に応じて使い分けている。アイスランドとの出会いは2003年。アイスランド専門音楽レーベル・ショップを設立。独自企画のアイスランドツアーを10年以上催行。当地の音楽シーン、自然環境、性差別が少ないことに魅了され、子育て後に拠点を移す。好きなのは旅行、食べ歩き、編み物。自己紹介コラムはこちら。