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熱量高いと評判の「れいわ新選組のボランティア」最前線から〜キムテヨン選対責任者が緊急寄稿

れいわ新選組の全国比例候補キムテヨンの言霊の響き

「飢えをしのぐために自分の爪を食べてきた子どもたち。大人になって半分しか爪がありません。皆さんの指には爪がありますか? 私の指には爪がありません。あの子たちは私です。私たちはあの子です」

参院選の全国比例予定候補・キムテヨンが聴衆の心を突き刺すよう にしぼり出す言霊が響きわたる。

この動画を観て何人もの人が泣いただろう。感動しただろう。

今、わたしは「キムテヨン選対チーム」の船を必死で漕いでいる。

れいわ新選組のボランティアとして私が本格的に関わりはじめたのは、山本太郎さんが立候補した 2020 年 6 月、東京都知事選挙からだ。仲間と 2 人一組、3 日で 120 枚ポスターの貼り替え をした。1 日目、照りつく太陽のもと歩いた。これでは効率が悪 いと反省。2 日目、自転車 2 台で。

とうとう疲れが出て 3 日目は車で回った。初めて Twitter れいわ勝手連・東葛グルメーズ(チャコバ)に投稿すると、841 名のイイね! そして激励の言葉に不思議な連帯感を感じたのだった。

太郎号との出会い

札幌在住ボラの友人から「成田駅で 2 人組が山本太郎の街宣の様子を流している」という情報を得た。

そのひとりが運転する太郎号が颯爽と走っている姿に衝撃を受 けた。「これだ!」と即断、まだ乗れる青い自家用車を売却し、赤い中古車を購入。支援者にラッピングをお願いして私の太郎号が 誕生した。

これまで全国で 15台走った太郎号。自家用車として走らせるには勇気がいるかもしれない。家族の理解もいる。だからできる人も限られる。

それでも、ひとりでも多くのボラが太郎号を走らせたら「れいわ 新選組」「消費税廃止」が浸透していくだろう。

今日も太郎号を走らせる!

山本太郎が総理大臣になるその日まで。

2台の太郎号の前にて

れいわ新選組と無所属議員の軽やかで着実な動き

「6 月 5 日投票の松戸市長選挙に原ゆうじさん(現職市議でパン屋さん)が立候補する予定だ」

友人の松戸市議、増田かおるさん からそう聞いた時、「れいわが推薦 or 支持」の話になった。(原、 DELI、増田は、無所属議員で同じ会派。原発反対、憲法を守る など基本政策はれいわと一致。※市長選前に解散)

数日後の 4 月 25 日、「原ゆうじ支持をいただきたい」旨をれいわ新選組の問い合わせ窓口からメールすると、山本太郎代表から DELI さん(初選挙時に山本太郎応援)に確認の電話があった。増田さんには、れいわ事務局長から「26 日の役員会全会一致で支持」とのメールが届き、支持決定通知書が郵送されてきた。どの政党よりもスピーディな動きをしたのだ。

そのあと緑の党千葉、新社会党、共産党が支持を決めた。しかし連合が現職の市長候補についたため、立憲民主党の支持は千葉 6、7 区の支部に、社民党も松戸支部にとどまった。

れいわ勝手連・東葛グルメーズの初企画

松戸市長選挙の争点の 1 つである「東松戸病院と梨香苑の廃止問題」 は国の法案と連動しているため、増田かおるさんから問題点のレクチャーを受け、私たちは独自にチラシを作成した。

キムテヨン予定候補チラシに折り込むことをテヨンさんもすぐに賛同、本部に提出すると即日 OK が出たのだ。また、原ゆうじ さんもご本人チラシと 3 部セットにすることに快諾。新松戸のキムテヨン街宣に原ゆうじ、増田かおるとのコラボ街宣が実現した。

れいわボラも埼玉、千葉やチーム福島からも参加

柏駅市民活動フェスタでの練り歩きでは、無所属議員で視覚障がい者の内田ひろきさんご夫婦や、れいわ新選組だった太田和美市長ともバッタリ遭遇し、テヨンさんと名刺交換するというハプニングもあり、ボラも盛り上がった。

このような一連の流れがスムーズにいったのは、既存の政党では ありえないことだと思う。党の重鎮の意見が重んじら れるからだ。チラシや新聞を配布するボラの意見がすぐに通ることはまずないだろう。

終盤の 6 月3 日には、山本太郎代表が原ゆうじ候補の応援に松戸駅に駆けつけた。是非、動画をご覧いただ きたい。

「山本太郎は、松戸市の問題を熟知している。そのうえユーモア 溢れる話術が他の政治家の比ではない」

その場にいた他党の支持者が感心していた。

ボランティアチーム(勝手連)は全国に120、海外に1ある。それぞれボランティアが 1 名 から数十名活動している。特定のあるいは複数の候補者を応援する人、れいわ新選組の政党名を広げる人、このアメーバのような 動き全体を把握できる人はいないだろう。

キムテヨン選対では、各地おしゃべり会や街宣を企画している。

「れいわ大阪玉造」のメンバーは「テヨンさんが釜ヶ崎での 炊き出しをしていたこと、障がい者介護に携わっていたことを初 めて知った。選挙権を持たない仲間も集まる。これがキムテヨンの選挙だ」と話す。

外側ボラから内側ボラに

そんな動きをしている中、テヨン選対のリーダー的役割のボラがやり方が合わないと抜けた。次に引き継いだボラも抜けてしまう事態になった。

これまで私は太郎号で「毎日が街宣」「近場で街宣があれば参加」 とマイペースを決めていた。なぜなら 13 年ほど前、地元の産廃 から排出される化学物質に暴露し、化学物質過敏症になったから である。合成洗剤、柔軟剤、整髪料、芳香剤そして煙草の煙、喫 煙者の纏う衣類などにアレルギー症状が出るのだ。街宣でチラシ まきをした翌日は寝込んでしまう。

そんな状況ではあったが、テヨンさんから「選対の責任者をやってほしい」と頼まれた。体の事情も含め、総務省や党本部の説明会にも出ていない中、「やるしかない」と即答。

テヨンさん自身がスケジュール管理をし、すでに選対チームは 「SNS チーム」「発送チーム」があるので責任者とはいえ書類上の部分が多い。しかし、公示後は発送作業、街宣スケジュール、 公選はがき集約、選挙カーのスケジュールなども担う。場合によっては選挙カーに乗ることになるかもしれない。

引き受けてから、特にやりがいがあったのは、公示後のチラシの文章の推敲、ポスター制作に関われたことである。メンバーにデザインや編集のプロがいたのだ。本業の仕事を断り、テヨン選対だけでなく、他の選対や勝手連の依頼を快く受けてくれている。 何よりも「れいわ愛」に満ちている。だからこそ、テヨンさんの発した言霊からキヤッチコピーも誕生した。

「今すぐにでも世の中の不条理から救いたい人がいる」

公示後のポスター、チラシ、選挙カーはテヨンさんらしく仕上が っている。特に選挙カーの前後の「テ」の「ノ」の部分の先は切れているようにデザインした。「私の指には爪がありません」の象徴として。選挙カーを発注した会社の社長さんがミスだと勘違 いして修正してくれたのを見て、慌てて説明した。

選挙で必須条件は、ポスター、チラシ、選挙はがきなどの重たい 段ボールの保管と発送作業場所だ。公示前の分は、神奈川の勝手連のメンバーが場所を提供、発送してくれた。さて、公示後はどうするか。途方にくれていた時に場所の提供者が現れた。水俣病 のドキュメンタリー映画「無辜なる海」監督の香取直孝さんであ る。香取さんは福島原発事故後も映像を撮っている。いわば市民活動の大先輩だ。心強い。

比例候補者には、25 万枚の証紙が割り当てられる。公示日に取 りに行くメンバーも必要だ。とにかくボラの力の結集が不可欠で ある。

また、総務省に提出する書類の数々、警察署に提出の書類、公職選挙法に抵触しないか。これらの疑問はすべてれいわ事務局長に 問い合わせをする。「5 分良いですか?」「巻き巻きでお願いし ます」いつもバタバタだ。事務局長は言う。

「乗りかかった船ですから最後まで漕いでください」

れいわ新選組ボランティアは、おひとりさま大歓迎!

途中で意見の食い違いなどの理由で仲間から離れる人もいる。だとしても、れいわボランティアはひとりでもできる。チラシはホ ームページからダウンロードできる仕組みになっている。自分で印刷して配ることも可能だ。(※公示後の候補者チラシは証紙を貼り、標旗のある場所だけでの配布)

既存の政党でこのような仕組みは皆無だろう。

れいわ新選組がめざす当事者民主主義

今回、「れいわ新選組」参議院選挙の候補予定者は、国会に送り出したい人ばかりだ。

山本太郎は言った。

「700 人すべての国会議員が当事者であるような政治であるべ きだ」

当事者といえば、よだかれん、キムテヨンになるだろう。

かれんさんにも「結婚の自由をすべての人に」のために、国会で 活躍してほしい。

しかし、とりわけ当事者性が強いのはキムテヨンだ。キムテヨン (金泰泳)本名(戸籍名)は井沢泰樹。13 年前に日本国籍を取得した 在日コリアン。国政選挙で初めて、呼称を含め民族名で立候補し た歴史に残る候補者だ。

実家は小さな製本工場を経営。生まれ育った町は、かつて朝鮮人 が労働者として軍需工場に徴用されていた歴史があったが封印された。在日韓国・朝鮮人差別がとても強く、そうした町の雰囲 気を背景に工場の経営は苦しかった。家父長的考え方の強かった 父親は自らの理想と現実の姿の間で苦しみ、時にはそれが暴力と いう形で出ることもあったという。

キムテヨン 20 歳の頃、2 度自死を図る。在日韓国・朝鮮人であ ることで職場を解雇され、「韓国名で働かせてくれ」と言っては 解雇され、住居を探しても「韓国・朝鮮人お断り」、そうした出 口のない状況に絶望してのことだった。

日雇い労働、新聞奨学生、在日の子ども、障がいをもつ人のため に働きながら大学の夜間部に通い 29 歳で卒業。

福岡教育大学教員時代からテヨンさんを知る人は言う。「マイノ リティの現場で働いている私たちを招き学生に授業をしたので す。当時としては画期的な試みでした。いつも当事者の視点で物 事を捉え直すきっかけ、種まきをしてくれる人。痛みをともに感 じる力のある人です」

多様性をチカラに!

東洋大学では「共生学」に取り組む。キムテヨンは言う。

「共生とは、自分たちの幸福を追求することで他者の幸福を抑圧 することではありません。両者の幸福の追求を両立させるバラン スを保つことです」

さらに「社会のマイノリティの問題は弱者救済と捉えられがちで す。しかしそうではない。社会的マイノリティのための政策は、 この国と社会を強く豊かにすることなのです」


岡田さわこ

れいわ勝手連・東葛グルメーズ代表。保育園、私立小学校学童などに勤務。 野田市議会議員 2期。産廃の健康被害問題に取り組む 「放射能からこどもを守ろう関東ネット」で活動。「結婚の自由をすべての人に 」マリフォー応援 檜原村村に産廃焼却場は要らない!!れいわ応援団。

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