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学校を撮り続けて(4)子どもたちのお弁当に映し出される今の日本〜飯塚尚子

梅雨に入る前の澄んだ青空が続く時期、幼稚園や小学校では遠足や1泊旅行など外に出る機会が多くなる。同道した際にはカメラマンとしては当然お弁当のシーンなども撮影するのだが、不思議な現象があるのである。

美味しそうにお弁当を頬張る子どもを一枚の画におさめながら撮影していて何故か同じ印象が続くことがある。
それは色味だったり、大きさだったり形であったり。
お分かりの事と思うが、同じ印象の理由は冷凍食品なのである。
・黄色いコーンの粒と人参とグリンピースの三色野菜
・ピンクや黄色のプラスティック容器に入った一口サイズのスパゲティー
・きっちり成形されているハンバーグや鶏のから揚げ
小さなおにぎりは、黄色のたまごふりかけ、桃色の鮭ふりかけ、白黒のごましお。
5~6人のグループ写真を撮る時にはお弁当箱を中身が見えるように持ってもらう。すると気づくのだ。まるでコンビニ弁当じゃないか。既製品は確かに公平平等だが個別の家庭が別々に作ったであろうお弁当なのに、これはいったい何だろう?
このことに気付いたのは思い起こすに恐らく13年程前である。

一方、超有名私立校でも同学年帯なら同じようにこの時期は遠足や宿泊旅行に行く。でもここで見るお弁当シーンは上記とは異なったのである。
お弁当の中身は昔懐かしいタコさんウィンナーに緑の根菜、昨夜の残りであろう余計に美味しくなった煮物、きんぴらごぼう、定番の卵焼き、菜っ葉の胡麻和え。もちろん主役には鶏のから揚げ。
昔の定番がまだ生きながらえているのだった。そして、そこには冷凍食品はほとんど見当たらない。といえるのは10年ぐらい前までだろう。最近は徐々に冷凍食品の使用率は増えているのが実情だ。

超有名私学に入学を希望してくる子どもと家族たちはその頃から様変わりし始めている。この事は前回記事でもお伝えした通りだ。冷凍食品は確かに手軽で見た目もかわいく種類も多い。スーパーでは週に一度ぐらいは半額セールをやっている。冷凍食品の利点は何といっても手軽さだ。レンジでチンすればそれでOK。両親が働きに出ていれば、限られた時間の中で作るお弁当には冷凍食品の使用率が高くなって当然であろう。手軽で美味しく見た目もかわいい。味もよく研究されていて子どもの舌にも合う。

『学校は社会を映す鏡である』。このことに異論を唱える者は誰もいないだろう。教育現場はその社会とともに10年程前から確実に変わってきている。

さて、梅雨前のこの時期は遠足に並びもう一つ大きなイベントがある。
それは運動会だ。
運動会では家族揃って校庭で食べるお弁当タイムは格別なものがある。ただし、最初に断っておくが、様々な要因でそれが出来ない場合もおうおうにしてある。商業地域の学校であれば土日に開催される運動会には多くの親が参加できない。だから、お昼には教室に戻って持参したお弁当を食べる場合がある。家族の姿が見えない運動会のお弁当タイムはかなり寂しい。
本部、といわれるテントの日陰の中で一人食べるレンチンしたコンビニ弁当の味も切ない。音楽も声も無い。UFOが来て全ての人をいきなりさらったかのようだ。人っ子一人いなくなった校庭を自由に駆けまわっているのは砂塵だけだ。
しかし「機会均等」をうたう教育現場では仕方のない事なのであろうと、自分を納得させている。

ではあるが、運動会では園庭や校庭で家族と共に食べるお弁当タイムがまだまだ一般的文化といえるだろう。そんな中で繰り広げられる昼食はまずは父ちゃん等による前夜からの場所取りに始まり、開会式の時間になって母親やじっちゃんばっちゃん達がカートに乗せた大量のクーラーボックスを持ち込んでくる。
中身は当然ランチタイムのお弁当である。

この場合冷凍食品を見る事ことはほぼない。多彩なサンドイッチからおにぎり、お稲荷さん、おかずはもちろん大人も子供も大好きな鶏のから揚げ、ゴボウと牛肉の煮物や、鶏手羽とカラーピーマン、ナスの甘酢あんかけ、書いていたらきりがないほどバリエーションは豊かだ。もちろん、フルーツやおやつもたっぷりと用意されていて、仲良しの家族同士シェアしたりしている。
 
ワシはいつものように校舎の壁に寄りかかってコンビニ弁当をもそもそ食べている。そんなワシを見かねて誰か一緒に食べませんか?と声をかけてくれないかとひたすら期待している数十年であるが未だかつて一度もない。あ、一度だけあった!果物を分けて頂いたことがあったっけ。食の恩は一生忘れないというのはホントだな。
つまり、ここぞという一大イベント時には手作り弁当で大盛り上がりするのである。
逆に言えば、手作りのお弁当は、【特別の日の為の贅沢品】になってしまったのかもしれないと思っている。

さて、校外での食事の機会と言えば更にデカイのがある。それは修学旅行におけるホテルや旅館での夕食だ。公立小に通う児童ではその多くが旅館やホテルでの夕食はほとんどが未経験である。
管理職たちとよく話すが、修学旅行における夕食というのはとにかく家庭での生活がそのまま反映される、という事だ。
学校は社会を映す鏡であると共に、食事風景は家庭を映す鏡でもある。

畳の上で片膝立てて食べる子どもにそれはお行儀の良くない事として指導する。いくらでも好きなものが食べられるビュッフェスタイルなのに「ポテトフライばっかり食い」の子どもには栄養の大切さを伝えながら知らない食べ物と出会う事の大切さを教えていく。フォークとナイフの食事に初参戦の場合、大きなハンバーグを食べるのにナイフの使い方を指南する先生方。沢山の小皿が並びどう使っていいのかさっぱりわからない子どもに、すき焼きの卵はこの中に割って入れて、殻はこっちの器に、といった具合だ。先生たちは「これも教育」として、子どもたちが社会に出た時に恥をかかぬよう、一人一人に見合った見えないプロテクターを日々授けていく。初等教育における教育は教科だけが学習ではないのである。

最後に、アウトドア、キャンプでのカレー作りの話をしようと思う。
野外炊飯場でのカレー作りはどの学校においてもほぼ定番のメニューであるが、これがまぁ、それはそれはいろいろなものに様変わりする。
スープカレー、オジヤカレー、シャワシャワカレー、何故か肉がなくなった野菜カレー。何故かご飯のないカレー、しかも辛さや濃度段階はカレー専門店よりも遥かに多いと思われるのだ。

1班5~6人ぐらいになり基本的に大人が最低一人はつく。班の中でもそれぞれ担当を持つ。かまどチームはかまどに薪をくべる焚火作りから火の調節、カレーチームは食材切りからカレー本体の調理、ごはんチームは米を研いで水加減からかまどでの火加減、炊き上がりまでといった具合に仕事を担当をする。キャンプ場の人による説明、材料配りから食べ終わって後片付けまで概ね3~4時間。ツワモノの班になると5時間程。

野外でのカレー作りは予め授業で予習してくる場合もあるし、ほぼぶっつけ本番と思われるチャレンジャーな学校もある。
かまどに火をつけるのは慣れないと大人でもかなり厳しい。しかも数日間雨が降った後など薪が湿っていて苦労する。
薪に火がなかなかつかないと不完全燃焼を起こして刺激的な煙となり、それは喉も目も髪も遠慮なく攻撃してくる。だから子供たちはエプロンや帽子代わのバンダナをかぶり、軍手や水中眼鏡で防衛体制を組む。フル装備の子どもたちは見た目カラフルなミニオンズといった感じであろうか。とてもほほえましくかわいいのである。
更に装備には火の勢いを消さないためローソク代わりの牛乳パックを細く切ったもの、大量の古新聞、うちわなどの武器もある。所によってはナタをふるって薪を作るところから始めたりもする。当然男児たちが群がる超人気の部署となる。

薪の「上」に火のついた「マッチ」を放り込む子ども、立ったまま「マッチ」を擦るので薪の「上」の新聞に到着するまでに消えてしまう炎、何度もやるので「マッチ」の枯渇に襲われて「カレーが作れない・・・」と呆然と立ち尽くす班、丁寧に豚肉の「一枚一枚」を水道水で洗った班、やっとついた火を消すまいと班全員でうちわであおいで見事消火してしまう班、ピーラーで皮をむき角が取れて丸くなったジャガイモを左手の人差し指一本でプルプルしながら押さえ、どうしたものかと逡巡するもの、玉ねぎを切った指で目をこすって泣きながら引き続き玉ねぎを切るもの、炎に見とれていたために薪の追加を忘れて「なから米」を完成させた班、深く水を蓄えたなべ底にうっすら具材の存在が見える不吉な兆しのする班、具材の数倍はあろう大量の水分に規定人数分のルーを投下して他の班はとっくに食べ始めているのにいつまでたっても馴染みのカレーの姿にならない焦りが徐々に生じている班、借りた羽釜や食器の洗い方が雑だと言われ、何度もリジェクトされる。顔中を煤だらけ汗だらけにしながらも最後に「よくできた!」と大きな花丸を貰った時の子ども達の弾けた笑顔は素敵だ。太陽よりも明るく硬直した空気を一気に蹴散らかすパワーに満ちている。

これらの子どもたちに現場の先生たちは修学旅行での夕食経験同様、様々に導いていく。
炎の熱い所は上下どちらか、手を少しずつ近づけさせてどこに火をくべるべきなのか考えさせる。うちわでおこす風をうまく使うと上手に火が付く事を体験させる。逆に上からあおぐと火が分散してしまう事も。丸い野菜を切るときには安定する面を野菜に作ることから始めると説明していく。食材と言われるものには洗うものと洗わないものがある事。おさしみは洗わないのを知っている子どもが多い事を利用して、同じように買ってきた魚の干物も洗わないしお肉も洗わない事を子どもを傷つけないように教えていく。生だと目に痛い玉ねぎは透き通るまで炒めるととても甘くなるのと、同じ仲間のニンニクや長ネギも同様でお肉を美味しくしてくれる働きがある事。自動でスイッチが切れないおかまのご飯はどうしたら炊きあがりがわかるのか、鍋の淵から上がる蒸気の匂いをクンカクンカしてご飯の匂いがしてきたらそろそろ出来上がりが近い事、電気の無かった時代のお母さんたちは毎日大変な思いをしてご飯を作ってくれていたであろう事、君たちはその子孫である事など本当に様々な事を教えていくのである。

卒業アルバムには大概「小学校生活の思い出」という文集ページがある。文集に書かれることが多いのはとにかく野外宿泊体験だ。先生方は異口同音に「子どもたちにとっては、仲間で沢山苦労したキャンプの方が修学旅行よりも遥かに楽しいんだよね」という。
更に小さな声で「私たちの苦労が物凄い量なほど子どもにとっては楽しいんだよね」と笑う。
そして、子どもたちにとっては自分たちで作ったカレーはどれもこれも美味しい思い出となって昇華していくのであった。


飯塚尚子(いいづか・たかこ)
東京都大田区大森の江戸前産。子供の頃から父親の一眼レフを借り、中学の卒業アルバムのクラス写真は自ら手を挙げて撮影している。広告スタジオ勤務を経て現在フリーランスの教育現場専門カメラマン。フィールドは関東圏の保育園から大学まで。教育現場を通じて、社会の階層化・貧困化、発達障害やLGBTを取り巻く日常、また、議員よりも忙しいと思われる現場教員たちに集中していく社会の歪みを見続けている。教育現場は社会の鏡であり、必然的に行政や政治にもフォーカス。夫は高機能広汎性発達障害であり障害者手帳を持っている。教育現場から要請があれば、発達障がい児への対応などについて大人になった発達障がい者と直接質疑応答を交わす懇談会や講演も開催。基本、ドキュメンタリーが得意であるが、時折舞い込む入社式や冠婚葬祭ブツ撮り等も。人様にはごった煮カメラマンや幕の内弁当カメラマン、子供たちには人間界を卒業した妖怪学校1年のカメラマンと称している。