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福祉・介護のある風景(16)介護事始め「目について」~橘 世理

今回は、シリーズで掲載している「介護事始め」の第2回。このシリーズは、人が必ず老いる中で、まずはどこから老いが現れるかをテーマにしている。

「年だなぁ」と溜息をつくことが多くなるとき、大なり小なり人は老いを感じ始めるだろう。その中でも最も早く老いを感じるのが「目」ではなかろうか。

小さな文字が見えにくいと感じたとき、「まさか、老眼なの?」と私も小さなショックを受けた覚えがある。こうして老いは、着々と始まるのだ。

若いときは、自分が年をとる実感が湧かなかった。いつまでもこのままでいられると思っていた。だが、時の流れは、そうは問屋が卸さないのだ。

1️⃣ 針の穴に糸が通らないときの落胆

上野アメ横に行ったとき、祖母が糸通しを買った。今思えばアメ横で買うこともなかったのだが、遊びに行った先の屋台で売っていたのが祖母には面白かったのだろう。かれこれ半世紀前のことだ。私は小学生だったので、祖母は老眼が始まった頃だった。

祖母がアメ横で買った糸通しを使っていたのは憶えているが、糸通しはいつの間にか大きな缶(海苔が入っていた缶)の針箱の片隅に追いやられていた。

糸通しの代わりに活躍したのは、孫の私だった。「糸、通してくれるかい?」このひと声で私は祖母のもとへ飛んで行った。

年齢を重ねた私が針穴に糸を通すのが辛くなってきたとき、あの頃の祖母を思い出した。いくら目を近づけても針穴に糸が通らないのだ。初めて降参したときの落胆は今も憶えている。近視だった私は、近くが見えにくくなっていることに戸惑った。

眼科に併設された眼鏡コーナーでつくった


2️⃣ できた事ができなくなった

意地を張らず、遠視用メガネ(老眼鏡)を作り、糸通しを使うようになった私に訪れた次の落胆は、本が読めなくなってきたことだった。とくに文庫本の文字の小ささに降参した。糸通しに続き二度目の降参である。

文字サイズもさることながら、大きめな文字サイズだとしても1時間、2時間と読書に夢中になれない。文字を追う作業に目が疲れてしまうのだ。これには焦りも感じた。

眼球は、唯一、表に出ている「脳」と言われるので、脳が老いているのだろうと想像する。まだこの状態に慣れないので、集中が持続できなくなった自分を受け入れられず、まだ早いよ、もう少し待ってよ、と老いる自分に訴えている。

まさに目は、口ほどに物を言う。私は、次第に近くが益々見えにくくなっていった。

3️⃣ 近くがぼやける不安

外出時に眼鏡を持ち歩くようになったのは、病院の初診のときに受付の人から「これ書いてください」と渡された問診票の記入に戸惑った時からだった。

問診票の文字が見えにくいのだ。そのような経験のない私の心の中には、「まさか」という思いが広がった。眼鏡はつくってあったが、外出先まで持っていくことはなかった。近いところが見えにくいとはいえ、まだまだ不自由しなかったのだ。

問診票の文字が見えないときの不安と言ったらなかった。よく考えればそれほど深刻に考えず、受付の人に言えばよいのだが、今まで見えていたものが見えなくなる瞬間のショックは、私には大きかった。

近くの文字がぼやけることは、そこに何があるのかわからないということだ。風呂のコントロール・パネルの「湯量」「温度」という文字も裸眼では読めない。予測をつけて押すと大抵、間違えてしまう。

目の老いは、思いのほか早く訪れた。そして受け入れるしかないのだが、老眼の進行速度に気持ちが追いつかなかった。

4️⃣ 職場で慌てて眼科を紹介した日

私の職場は高齢者対象の福祉施設だ。元気な高齢者が使用する場所という名目だが、どこも悪くないよという高齢者にはあまり出会うことはない。

いつも来る利用者に利用名簿を書いてもらった。90歳を過ぎていたが、足腰もしっかりしており、名簿にもきれいな楷書で名前を書いてくれた。ところがその日、「書けなくなった」と言うのだ。

「どうされましたか?」「最近、よく見えなくて」

私はその方と目が合った。瞳がかなり白く濁っていたので、白内障ではないだろうかと推測した。このままでは生活の中でも色々と支障が出てくるだろうとも思った。

彼女の暮らし振りはかねてより聞いていて多少知っていた。

彼女は、自宅のアパートで三歳年上の夫を介護していた。夫は歩行困難で、家の中を這っているとのことだった。在宅での老老介護は、心身、暮らし向き共に綱渡りをしている人が多い。私は彼女の生活状況もある程度知っていたので、予想できる事を頭の中で巡らせた。

「見えにくいから、代わりに利用簿に名前を書いてくれる?」彼女がそう言ったとき、病院を勧めても拒む可能性があるとは思ったのだが、「このままでは見えなくなるかも知れないのですぐに受診されてはいかがですか」と正直に言ってみた。

見え方に違和感を覚えると受診する人は多いが、彼女は病院へ行かないという選択をしていた。夫をひとりにできないのと、何よりも金銭面での余裕が無いのだ。

私が受診を勧めたとき、彼女は案の定病院へ行くのを迷ったが、「見えなくなったら何もできませんよ」と伝えた。心の中で、頼むから病院へ行ってほしいと祈りながら、駅前の眼科の場所を書いたメモを渡した。決して強くは勧められなかった。病院へ行く行かないは、彼女自身が決めることだ。

その後、彼女は、駅前の眼科から日帰り白内障手術の病院を紹介された。高齢なので一日入院が良いのだが、夫を看てくれる人がおらず、費用もかさむので半日を選んだ。

右目を手術した後、彼女が来館した。「見えるようになった!」と大変に喜んでいた。左目は右目が落ち着いたら手術をするそうだ。手術には費用がかかると言って渋っていたが、夫から目は大事だと言われたとのこと。

ある程度の年齢になると老眼が始まる。更に高齢になると白内障になる人も多い。ほかの眼病を患うこともある。目(眼球)は、生きるためになくてはならない臓器のひとつだ。

目からはさまざまな視覚情報を得ることができ、生活の要でもあるので、目の健康を維持することはとても重要だ。年だからといって目の不調を放置せず、眼科できちんと調べておくのも快適に生きる方法だ。

見えることが当たり前とは思わずに、日々、目を大事にしたい。

写真:橘 世理

橘 世理(たちばなせり)

神奈川県生まれ。東京農業大学短期大学部醸造科卒。職業ライター。日本動物児童文学賞優秀賞受賞。児童書、児童向け学習書の執筆。女性誌、在日外国人向けの生活雑誌の取材記事、記事広告の執筆。福祉の分野では介護士として高齢者施設に勤務。高齢者向け公共施設にて施設管理、生活相談を行なう。父親の看護・介護は38年間に及んだ。