「検査してもどこも悪くないのよ、でも具合が悪いの」。
職場の福祉施設でもこのような高齢者の話をよく耳にする。症状は、めまい、食欲減退、耳鳴り、倦怠感、頭痛、発疹、不眠、胃腸の不調、イライラなどさまざまだ。
病院では「問題ありません」と言われるが、当人にとってはつらくて仕方がない。周りの人からは「病院で問題なしと言われたのだから、気のせいだ」と言われ苦しい思いをする人もいる。
今回は、90歳の母の変化を追いながら「不定愁訴」を考えたい。
※不定愁訴とは、身体の検査では異常は見つからないが、本人がさまざまな不調を訴える状態をいう。ストレス、ホルモンバランスの乱れなどが原因と言われている。
1️⃣ 環境の変化に戸惑う90歳
父が特別養護老人ホームへ入所したのは2020年11月の下旬だった。38年間の看護、介護生活がようやく終わりとなった母が、環境の変化に対応できるのか心配だったが、父が入所し、夜も眠れるようになった。このときの母は85歳。
父の弟の事業所で現役事務員として働く母は、父の介護という重荷が取れて暗い顔から解放されていった。
父の事は娘の私任せとなり、コロナ禍の面会はオンラインだったので、訪問することもなくかえって気が楽だったようだ。ただ、耳鳴りは常にあり、時折、眩暈で寝込むこともあった。
母は高齢だが、現役事務員というのが母の生き甲斐になっていた。父が入所しても仕事を継続していたので、父が家からいなくなった変化にもほとんど動じることがなかった。
ところが父の亡くなった4年後、父の末の弟(母と17歳差)である事業所の代表が体調不良で救急搬送された。九死に一生を得たが、体へのダメージは大きく入院は二カ月に及んだ。
彼の入院から一週間で工場の仕事は大きく減り始めた。特殊技術を持つ職人のため、他の職人では代役ができない品物が多く、取引先へ注文を断らざるを得なかったのだ。そうなると事務の仕事量も減ってきた。
工場代表は、回復しているもののさらに歩行訓練を続けなければならず、退院後は、老人福祉健康施設(通称: 老健)へ入所が決まった。
「やる事がない、時間刻みで忙しく動いていたのに」と母が言い出したのはその頃だ。
「これまで旅行も行かず、趣味に興じるわけでもなく、ひたすら何十年も働き続けてきたのだから、今は、休息期間なのよ」と工場代表のことを母に話した。
母は、「そうよね」と頷いたものの、自分にも突然訪れた休息期間に戸惑っていた。私はその戸惑いを軽く見ていた。高齢の母もよい休息期間だと思っていたのだ。
2️⃣ 耳鳴りがひどい
父がいる頃から母は耳鳴りを訴えていた。主な原因が父の介護ストレスということもわかっていた。何年もの間、母の「耳鳴りがする」という言葉を聞いてきたので、「少し寝れば」と言うだけで心配の気持ちも薄らでいた。何につけても慣れっこというのは、怖いと今更ながら思う。
毎日のように耳鳴りのある母だが、耳鳴りが止むこともある。よく眠れたときは、耳鳴りが止むことが多いようだが、それは時々だった。
頭がふらつく、目が回る。耳鳴りに伴う症状も今に始まった事ではないので、驚くこともなかった。血圧が少し高めのときがあったが、上が180,190といった高い数値ではないため、降圧剤も服用していたことから、横になって休むしかない。
朝から夕方まで横になって休んでいると回復してくるので、母は横になって休むしかないと私は思っていた。それは、以前に何度か往診に来てもらった医師の「横になって休んでください」の言葉が頭に残っていたからだ。
母は、圧迫骨折の痛み軽減のために強めの湿布薬を処方されていた。耳鳴りがする、疲れた、肩が張る、そういう時も背中に貼るために処方された湿布薬を、両肩に貼っていた。
「もしかしてそれが原因のひとつかも」夫の言葉に私は「そんなことあるの?」と目を白黒させてしまった。
3️⃣ コップ一杯の水
湿布薬の効果は私も実感している。処方された湿布薬を膝に貼ると痛みが治まるが、気持ち悪くなるので長い時間貼っていられなかった。その副作用は湿布薬の袋に説明されている。
母の使っている湿布は、効果はあるが強いので、多用するといくつかの副作用が起きるということがわかった。湿布薬は、貼れば薬が体内へ吸収される。貼る箇所が多ければその分、薬が多量に体内へ入るのだ。
副作用のうちのひとつが、耳鳴りだった。もうひとつが血圧上昇だ。圧迫骨折をした背中だけに1枚貼ればいいが、母は両肩にも貼る。ましてや背中は、一日中貼っていることもあった。処方された枚数だけでは足りずに、市販の湿布を買うこともあった。
工場代表の入院後は、疲れた、耳鳴りが酷い、夕方になるとそう言い出すことが増えた。血圧を測ると上が178の日もあった。昼間はわりと元気だが、日暮れになると疲れたと言い出すのだ。
まずは、長年の習慣となってきた湿布を止めることにした。医師の処方通り、背中に痛みがあるときだけ1枚貼り、6時間後に剥がすことにした。母は「わかった」と言うけれど、口だけのときがあるので心配だった。
次に、耳鳴りと血圧上昇対策に水を飲むことにした。舌を見たら白かったので、脱水症状だと思った。聞けば、トイレが近くなるので水はあまり飲まないようにしていると言った。これではいけないということで、ミネラルウォーターをちょこちょこ飲み、市販の経口補水液も常備した。
湿布薬は適切な使い方にして、ミネラルウォーターと経口補水液で脱水症状の対策とすることで、耳鳴りと血圧上昇の軽減になればと考えて実行した。数日して効果はでてきたようだったが、日没頃の「疲れた」は止まなかった。

母が不調を訴えるとすぐに計測する
4️⃣ 不定愁訴では?
「頭がぼんやりする」「疲れた」。
母が毎日言うようになったのでこの先どうなるのだろうかと私も不安になった。急に介護が重くなれば仕事もままならない。私まで母の重苦しさに引っ張られた。
以前に勤めていた介護施設でも夕暮れになると不穏になる人がいた。それもひとりふたりではなかった。それを見ていたので、母も心がざわつくのだろうかと考えた。
母が疲れたと訴える度に、体温、血圧を測った。パルスオキシメーターで脈拍と血中酸素濃度も測定したが、正常値であることがほとんどだった。
不定愁訴ではないか?
そう言ったのは夫だった。実母、伯母を介護してきた人だけにその見解は当たっていると思った。
ましてや急に生活環境が変わったのだから、ストレスを受けていないはずがない。そこから生まれる不安は計り知れない。
「頭の中がくしゃくしゃになる」。母はそう言いだすと、食欲もなくなり、心も体もまるで石のように固まってしまうのだ。硬く瞼を閉じてしまうと「もういい、どこか病院へ入れて」としか言わなくなる。事務仕事を張り切ってこなしていた母の姿はすっかり消えていた。
仕事という生き甲斐がなくなり、90歳の母は時間を持て余すようになった。幼い頃より忙しなく働いて来た母にとって、ゆっくり過ごすということはかえって苦痛のようなのだ。時間に追われるくらいの方が生きている実感があったのだろう。
不定愁訴という掴みどころの無いモノを相手にするよりも、母の心の安定を求める方が賢明だと夫に言われた私は、訪問診療の医師にこのところの母の様子を話した。
90歳という年齢を考えれば、これまで仕事を支えに頑張って来たのは素晴らしいことだった。そしてこのところの急な環境変化に心が乱れるのは決しておかしなことではない。
「お母さんと楽しい話をするのは良いことです。でも頑張れだとか、大丈夫だとか、励ますことはあまりしない方が良いです」。
医師からはそのようなアドバイスをもらった。
突然の環境変化に因る心の不調を改善するために、医師は軽い抗うつ剤を処方した。半月近くに及んだ母の心身の乱れは、朝食後に服用するひと粒の薬で落ち着き、以前のような笑顔が戻った。
私も疲労困憊して落ち込んでいるときに「ガンバレ」と言われたら余計に気落ちする。励ますのは良いことだと思いがちだが、それよりも母の背中を摩りながら、一緒に哀しむような寄り添い方が愛ある寄り添い方だと思った。
そう、不定愁訴とは、誰にも寄り添って貰えない孤独な心が生み出すものかも知れないとさえ思えてきた。
写真:橘 世理

橘 世理(たちばなせり)
神奈川県生まれ。東京農業大学短期大学部醸造科卒。職業ライター。日本動物児童文学賞優秀賞受賞。児童書、児童向け学習書の執筆。女性誌、在日外国人向けの生活雑誌の取材記事、記事広告の執筆。福祉の分野では介護士として高齢者施設に勤務。高齢者向け公共施設にて施設管理、生活相談を行なう。父親の看護・介護は38年間に及んだ。