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福祉・介護のある風景(4)私の街のユニバーサルデザインとバリアフリー(後編)~橘 世理

介護士の仕事をしていた私は、その日も毛糸の帽子を被り、自転車に乗り、いつもと同じ道を走り出した。2022年1月のある日、12時までに出勤して、12時半から食事介助を担当するはずだった。

ところが自宅を出て5分後、私は、交通事故に遭い、それまでの人生が一変した。それからの日々は、街中にある「障害」と、人の心の中にある「障壁」を痛感することになる。

ユニバーサルデザイン/バリアフリー


事故は、他の自転車と接触し、自分の自転車ごと転倒するというものであった。転倒直後にすぐに立とうとしても立てないので、左脚に何かが起きたことはすぐにわかった。救急車で搬送された病院での診断は、左脛骨顆間隆起骨折、全治6カ月。医師の判断により手術はせずに保存療法となった。

入院期間は2カ月に及んだ。「松葉杖の使い方を覚えないと退院できない、でもすぐに使えるようになる、大丈夫」と励まされ、理学療法士の指導の下、退院したい一心で練習した。

退院時、松葉杖は両方から片方だけになったが、私の左脚には、入院中から装着しているニーブレースが、股関節から足首まで巻かれたままだった。2カ月振りに病院から出ると、タクシーの乗り降りの際の歩道の段差や傾斜、家の中の玄関、廊下、トイレ、浴室等々、至る所が障害物だらけで溜息の連続だった。

(註 ニーブレース:膝関節を伸展位(まっすぐに伸ばした状態)に固定する装具のこと)

歩道の段差


父の介護期間中、また、介護士の仕事においても車椅子は日常的に押していた。歩道に僅かな段差や傾斜があると車椅子を押し難い場面があったので、歩道は真っ平らだったら良いのにと思ったことは何度もある。さらにその事を痛感したのが、自分の交通事故に因る怪我だった。

事故から8カ月後、骨は付いたものの完治はせず、これ以上の回復は望めない「症状固定」という診断を受けた。

歩道のでこぼこ


そして、歩道には、段差が多いことを改めて知った。車道と歩道との段差ではなく、歩道そのものにわずかな段差がある。段差というよりも「ちょっとした盛り上がり」や「でこぼこ」という方が正しいかもしれない。

脚に障害が残った私は、足首の動きが悪くなり、つま先が上がり難い。それまでは何ということもなく歩いていた歩道で「ちょっとした盛り上がり」や「でこぼこ」につまづくようになってしまった。

また、膝に力が入らないため、歩道の傾斜部分を歩いてしまうと踏ん張れずによろけてしまった。雨を流すための傾斜が、私には障害となったのだ。

歩道の斜め部分が歩き難いとぼやく高齢者の気持ちがよく理解できた。

ノンステップ・バスのわずかな段差


退院後、2週間目には杖を突きながらバスで通院するようになった。ありがたかったのは、バスの扉に付いている手すりだった。ノンステップ・バスとはいえ、わずかにステップはあるのだ。

そのステップを上がるのに扉に付いている手すりを持つと楽に上がれた。私の使うバスの扉付近の手すりは、私のような小さな手でも握りやすい太さになっているので、手に力をいれやすい。

歩きスマホ


脚に障害を持った私は、街の中を歩くのが恐かった。右半身不随の父が、杖を突きながら「まったくもう、なんなんだ!」と憤りながら道を歩いていたのは、こういう事なのかとようやく理解した。

例えばそのひとつは「前を見ないで前方から歩いてくる人」で、所謂「歩きスマホ」だ。これには心底恐怖を感じた。

杖を突き、ゆっくり歩くことしかできない私は、前方を見ずに早足で迫り来る人を避けられなかったのである。

歩道にもかかわらず自転車が往来していたので、動けなくなってしまい、仕方なく歩を止めたこともあった。そんなとき、病院で出会った人から「杖を前に出して身を守るしかない」と言われたことを思い出した。

前方から迫ってくる歩きスマホの人は、スマホに夢中になり私に気づかない。

私は両足で踏ん張り、竹刀を持って突きをするように杖を前に差し出した。歩きスマホの人は、杖の先にぶつかる寸前で気づき、私を見た。「前を見て歩いてください」と言ったが、無視された。その人の耳に白いイヤホンが見えた。私にとって「歩きスマホ」の人は、動く障害物だった。

人の心が作り出すバリアとは?


道の段差や急な傾斜の改善や手すりの設置は、行政機関に要望することができる。だが、人の心の中にあるバリア(障壁)は、そうはいかない。

父を車椅子に乗せ、タクシーを捕まえようとしたとき、度々乗車拒否に遭った。歩道で車椅子を押していたときには「邪魔だ、どけ」と怒鳴られたことがあった。

私が怪我で杖をついていたときに、郵便局入口前の緩やかな傾斜を上がれずにもたついていたら、耳元で舌打ちされて背中を押されて転倒しそうになったことがあった。

手話での会話を見て「気持ち悪い、薄気味悪い」と言った人もいる。盲導犬入店拒否の店舗がある。点字ブロックの上に自転車を平気で置く人もいる。

数え上げればキリがない。

これらの人間の心が作り出すバリア(障壁)というものは、意識的な悪意や差別心という場合もあるだろうが、それ以上に、身体に障害を持つ人や高齢者の老化というものに対する人々の無理解や無関心が原因の大半を占めているように思えてならない。

この社会は、ごちゃ混ぜだ。人種、性別、出身地、身体機能、世代、思想信条、個人の文化的背景等々、ありとあらゆるもの・あらゆる人々が複雑に混じり合いながら社会を形成している。

そこに本来上下はない。願わくは、弱者に対する優しさと思いやりを持ち、それらを日常の行動に反映する人が一人でも多く増えて欲しいものである。

そのような人達の小さな意志・意識が大きく結集することによって、真のバリアフリー社会は成立するのだろうと思う。


参考資料/総務省バリアフリーとユニバーサルデザイン

写真撮影・作図/橘 世理

橘 世理(たちばなせり)

神奈川県生まれ。東京農業大学短期大学部醸造科卒。職業ライター。日本動物児童文学賞優秀賞受賞。児童書、児童向け学習書の執筆。女性誌、在日外国人向けの生活雑誌の取材記事、記事広告の執筆。福祉の分野では介護士として高齢者施設に勤務。高齢者向け公共施設にて施設管理、生活相談を行なう。父親の看護・介護は38年間に及んだ。