1 「私が介護をしなければいけない」と思わないで

自分の時間を持つ
『令和7年2月』
私の職場でもある福祉施設では、運動系、文化系の講座が開かれている。運動系の講座には人気のある女性講師がいた。「先生、来年度も宜しくお願いします」と私は、その講師に言った。令和7年4月からも体操教室をやってくれると思っていたのだ。
ところが講師の表情が曇り、一瞬、言葉を詰まらせたのがわかった。
「大変申し訳ありません、来年度からできなくて。私の代わりに別の講師を派遣します」
そう言う講師の言い方に何かの緊張を感じたので、「そうですか、それは大変に残念です」と言うに留めた。
すると「実は、親の介護が始まりそうなので、仕事は辞めようかと思ってるんです」と話してくれた。
その言葉を聞いた瞬間に、私は(またか・・・)と深く落胆した。これまでこの言葉を何度聞いたことか。その度に、過去の介護離職の苦しみが思い起こされるのだ。
「先生、できることならお仕事は続けた方が良いです」
そう言うと講師の目がわずかに見開き、驚いたのがわかった。おそらく彼女にこの言葉を言った人がいなかったのだろう。
「本当は、この仕事が好きなので辞めたくないんです」と講師は言った。介護離職した私には痛いほどわかる言葉だった。
講師には、仕事量を減らさなければならなくても、仕事を辞めない方法を見つける事が先決だと話した。
「自分ひとりで介護を背負わずに家族、兄弟姉妹に協力を求めてください。ケア・マネージャーに仕事を継続したい希望を伝え、それが叶う方法を一緒に考えてもらうのも手です。お家の事情はわかりませんが、自分以外の人や制度に頼ってみてください」
そう言うと、講師は幾度も頷いてくれた。
『平成15年頃』
親の介護で積み重ねたキャリアを捨てた人は大変に多い。とくに女性に多いと思う。
そのうちのひとりに保育士として働き、結婚後も子育てをしながら働き続けた人がいる。保育士としての経験は豊富で管理職になっていたが、実母の介護をしなければならず、泣く泣く仕事を辞めたのだ。この人とは父の介護期間に病院で知り合った。
彼女は、母親を車に乗せて病院の送り迎えをし、院内も付き添うことがあった。歩行が不安定になり、ひとりで通院することが難しくなったのだ。
彼女の母親は、彼女がトイレに立った際に「保育園に何十年も勤めて定年までいるはずだったのに、あたしの介護で辞めることになって申し訳ない」と俯いた。親も子も口に出さない苦しみを抱えたまま生きていた。
介護サービスでは、送迎と一部の付き添いは介護保険制度内だが、院内での長時間の待機、同伴は、保険対象外となっている。院内での長時間待機と同伴もサービス内であれば、経済的にも助かる家族はたくさんいるはずだ。
2 自分の生活を維持しながら適切なサポートを活用して持続可能な介護を実現しよう

自分(介護者)の生活にさらなる負担がのしかかるのが介護だ。それは間違いない。
親や配偶者、親戚など(被介護者)の介護度が軽いうちは、仕事をしながらもやり繰りできるだろう。しかし、要介護度が上がると状態も重くなり、仕事もままならない事が増えてくる。
仕事もそうだが、自分の家事も疎かになる。こうなるとこれまでの生活が維持できなくなり、介護者の心も荒んでくる。
上の図を見て欲しい。これは介護サポートを活用して、介護者自身の生活を維持しようと呼びかけるために作成した。
介護に家族、兄弟姉妹の協力を得られる人、そうでない人、様々いる。このように個々の事情は違っても、行政を中心とした介護・医療の事業者が提供するサービスは一律に受けられるので、自分ひとりで頑張ろうと思わずにフルに活用した方が良い。
まず、介護者が自分の生活の中で諦めざるを得ないのが仕事だ。辞めるか、減らすしかない。仕事が生き甲斐という人も少なくないだろう。しかも、経済的安定を断つことになるのでできる限り仕事は維持したい。
だが実際には、介護を担うことで兄弟姉妹など他者からの経済支援を得られる人は少ないので、つらい判断を要する。
しかしそれでも、そこは初めから諦めずに、仕事を継続したい気持ちをケア・マネージャーに相談して欲しい。また、職場に相談窓口や相談に乗ってくれる上司がいれば良い方法を訊ねることもできる。
深刻な問題として介護費用は頭が痛い。親の年金などで賄えればいいが、そうもいかない場合もある。自治体では補助金制度があるので、利用できるものは利用したい。中には介護サービスを受けていると利用できない制度もあるので、役所の福祉課で詳しく訊いて介護費用を節約した方が良い。
介護を始めると事業所との手続き、通院、介護用品の買い物、食事や入浴などで動き回り、へとへとになる。さらに介護は昼夜問わないので、夜中でも排泄介助や体調変化に因る緊急対応もある。
介護者は、気づけば体調不良となり、趣味も遠ざかり、友達からの連絡すら忘れて放ったままにしてしまうこともある。不機嫌な自分に他の家族達は気遣い、家の中の雰囲気が暗くなる。
このような話を耳にすることは珍しくない。いつまで続くのかわからないという不安が膨らむのが介護だ。その不安からくる失望感や絶望感、そして疲労感の軽減のためにも、デイ・サービス、ショートステイなどを利用し、自分から被介護者を物理的に遠ざけることも大事だ。これをレスパイト(介護者の休息)と言う。
このように自分の人生を守ることは、自分勝手でも傲慢でもないのだ。
図の中央下部分には「施設での介護」というのがある。在宅介護から施設へ入居する場合もあれば、在宅介護をせずに施設に入居する場合もある。介護者と被介護者の状態によっては、専門職員のいる施設の方が幸せな場合もあるので、在宅介護にこだわる必要はない。
3 エピローグ
『令和7年5月』
その日の体操教室も大勢の参加者で賑わった。話術に長けている講師が行う教室は、笑いが絶えない。今年度もこの光景を見られて私は安堵していた。
2月の時に、親の介護で仕事を辞めると落胆していた体操教室の講師から「アドバイスありがとうございました。家族が母の介護を協力してくれることになり、仕事が続けられます」と告げられたのは、3月の終わりのことだった。
そして5月には「母の手術も終わり、無事に退院することもできました」と私に謝意を表してくれた。最初は、自分ひとりで背負うつもりの母親の介護が、家族に協力を求めた事により、負担が減ったのだ。
そして何より仕事を続けることができ、本当に良かったと思う。
本来、介護は、背負うものでも抱え込むものでもなく、分担するものだ。その考え方を念頭に置きつつ、自分の人生は自分のものという思いを軸に、親、親族、配偶者などの介護に向き合って欲しいと切に願う。
写真・作図:橘 世理

橘 世理(たちばなせり)
神奈川県生まれ。東京農業大学短期大学部醸造科卒。職業ライター。日本動物児童文学賞優秀賞受賞。児童書、児童向け学習書の執筆。女性誌、在日外国人向けの生活雑誌の取材記事、記事広告の執筆。福祉の分野では介護士として高齢者施設に勤務。高齢者向け公共施設にて施設管理、生活相談を行なう。父親の看護・介護は38年間に及んだ。