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立憲野党私設応援団(16)真夏の夜の夢「山本太郎内閣誕生す」~憲法9条変えさせないよ

※この連載はSAMEJIMA TIMESの筆者同盟に参加するハンドルネーム「憲法9条変えさせないよ」さんが執筆しています。

<目次>

0.はじめに

1.プロローグ「2025年衆議院解散総選挙」

2.シナリオA「泉健太内閣誕生す」

3.シナリオB「山本太郎内閣誕生す(景気爆上げ編)」

4.シナリオC「山本太郎内閣誕生す(インフレ地獄編)」

0.はじめに

お盆休みも近い今回は、皆様に「長いコラム」ではなく「短い小説」をお読みいただき、ゆるーい話でリラックスしていただければと考えております。

真面目に論考を進めた記事はお盆休み明けの8月24日(水曜日)に掲載する予定で、「参院選後に政治学者と各政党の方々に期待したいこと」(仮題)という内容で計画しております。

本日掲載の「短い小説」は、「山本太郎内閣誕生す」というタイトルですが、先にオチを言っておくと、これは夏の夜に私が見た夢の話で、現実の政治の動きとは全く関係がありません。

シナリオが3種類用意してあるのは、昔フジテレビでやっていたドラマ「ifもしも」と同じような発想です。

話に登場する政党や政治家等の名前は実在する政党や政治家等と同一ですが、政策においても性格においても政治行動等においても実在する政党や政治家等とは全く関わりありません。

完全なフィクションということで、「短い小説」をゆるーくお楽しみください。

1.プロローグ「2025年衆議院解散総選挙」

憲法改正の発議を行い、国民投票で改憲案を否決された岸田文雄は、2024年の自民党総裁任期満了を以て総理大臣の座を退いた。

総裁選で新総裁に選ばれた河野太郎は、翌2025年に総理大臣の「伝家の宝刀」を抜き、衆議院の解散総選挙に打って出た。

以下は、総選挙の結果の衆議院の議席である。

立憲民主党:171議席

自由民主党:170議席

れいわ新選組:35議席

公明党:34議席

日本共産党:20議席

国民民主党:11議席

日本維新の会:11議席

NHK党:1議席

参政党:1議席

社会民主党:1議席

無所属:10議席

2.シナリオA「泉健太内閣誕生す」

「#自公統一候補に票を入れちゃダメ」

「#カルト政治からまっとうな政治へ」

ツイデモの盛り上がりは現実の政治にまで波及し、衆院選はまさかの自民党惨敗となった。

しかし、立憲民主党代表の泉健太の顔は冴えなかった。

「自民党政権に国民の鉄槌が下った今こそ、国民連合政府の樹立に向けて力を合わせていこうではありませんか!」

テレビから共産党委員長の志位和夫の声が聞こえてきた。

「国民連合政府だと?そんなもの、できるわけないだろ!」

泉健太は心の中で叫んだ。

一方の自民党本部も、まるでお通夜のように静まりかえっていた。

「我々はここで下野するわけにはいかない。」

そう決意した自民党総裁の河野太郎は、多数派工作を図った。

そして出てきた答えは、自民党と立憲民主党の「大連立」であった。

「本院は泉健太君を内閣総理大臣に指名することに決まりました。」

衆議院議長の山口俊一の声が議場に響いた。

ここに、立憲民主党と自民党と公明党と国民民主党の4党による「巨大連立政権」が誕生することとなった。

結果として、れいわ新選組は、2017年の立憲民主党の55議席という記録を大幅に更新する35議席で、史上最少議席数の野党第一党という記録を塗り替えることになったのである。

「自民党と(立憲・国民)民主党は根っこが同じなんです。」

れいわ新選組の大島九州男は、巨大連立政権をそのように評した。

実際、大連立はスムーズに動き出した。

それは、2012年の「社会保障と税の一体改革に関する合意」(三党合意)の枠組みの復活にほかならなかったのである。

立憲民主党と国民民主党が与党に入ったことで、良いこともあった。

医師や看護師など、医療の現場で働く労働者の待遇が改善されたのである。

しかし、待遇改善が進んだのは医療の現場だけであった。

介護の現場や保育の現場は置き去りにされた。

また、大企業の収益や大企業に勤める正規労働者の給料が上がるような施策は、次々に実施された。

しかし、中小企業や、大企業で働いていても非正規労働者の立場の人々は、置き去りにされたままだった。

「プライマリーバランスを守る」という観点から、消費税率が段階的に引き上げられることとなり、最終的な消費税率は19%に決定した。

立憲民主党と国民民主党は、合流して「民主党」となった。

連合会長の芳野友子は、満面の笑みを浮かべていた。

そして、2029年、「巨大連立政権」の是非を問う衆議院の解散総選挙が行われた。

小選挙区制度は、もともと二大政党が切磋琢磨することによって政権交代が可能になり、緊張感のある政治が行われることを目的としたものであった。

しかし、議会の第一党と第二党が談合して各小選挙区に候補者を割り当てていくならば、小選挙区制度は「少数意見の封殺」を行う装置としての機能を作動させるだけの話となった。

これは、これまでもどこかで見た風景、そう、地方の首長選挙で「オール与党」が話し合って候補者を立てるのと全く同じことが、国政選挙においても全面的に展開されることになったのである。

それでも、少数野党は意地を見せた。

れいわが東京で、維新が大阪で、共産党が京都で、社民党が沖縄で、それぞれ与党の候補者を破って、小選挙区から当選を果たしたのである。

だがそれは、徒花に過ぎなかった。

自民・民主・公明の与党3党は、400議席を超える圧勝だった。

戦時中の1942年に行われた「翼賛選挙」でさえ、推薦候補の当選者が381人、非推薦候補の当選者が85人だったため、その選挙結果は「翼賛選挙超え」と呼ばれた。

こうして日本の政界は、ペンペン草も生えない不毛地帯と化すことになったのである。

3.シナリオB「山本太郎内閣誕生す(景気爆上げ編)」

「れいわの潜水艦」の異名を持つれいわ新選組国対委員長の多ケ谷亮は動いた。

「何としても山本太郎総理を実現させる。」

多ケ谷亮は、この思いを胸に、自民党・公明党と水面下で折衝を続けた。

「本院は山本太郎君を内閣総理大臣に指名することに決まりました。」

衆議院議長の山口俊一の声が議場に響いた。

自民党とれいわ新選組と公明党の3党による「山本太郎内閣」が遂に誕生することとなったのである。

それは、憲政史上初の参議院議員の総理大臣の誕生でもあった。

「#れいわ新選組は自民党の補完勢力だった」

革新系の運動家やリベラル系の政治学者たちは、一斉に山本太郎を糾弾した。

朝日新聞も、いかにもずっとリベラルな論調を守ってきたかのような顔をして、「山本総理は原発とどのように向き合っていかれるおつもりでしょうか?」と質問を浴びせた。

「今回の政権は、れいわ新選組の単独政権ではありません。ですから、原発を廃炉にすることはできません。しかし、私が総理大臣である限りは、原発は再稼働させません。その意味においては、原発は禁止したのと一緒です。」

山本太郎はそのように答えた。

山本太郎がこの連立政権を誕生させることを決断したのは、自民党と公明党が「5年間の期間限定で、消費税率を3%にまで引き下げ」という条件を呑んだのが決め手だった。

「財務省の役人も、天下り先さえ確保してやれば、別に文句は言わんだろう。」

自民党の「キングメーカー」の鶴の一声が、この流れを作った。

山本太郎は、自民党を支援する企業向けの利権支出に一切手を突っ込まなかった。また、国土交通大臣の枠も、公明党の「聖域」として認め、そこには手を突っ込まなかった。その代わりに、弱い立場にある市井の人々のための支出を大幅に増額した。財源は全て赤字国債。プライマリーバランスを顧みない「「超」積極財政」を全面的に展開したのである。

「#かつて日本は『ジャパン・アズ・ナンバーワン』と呼ばれた」

「#平成のはじめの頃の時代に戻ろう」

消費税の税率は、「平成」が始まった頃の3%に戻った。

公共事業も補助金も大盤振る舞いの「「超」積極財政」が展開された。

効果はてきめんだった。

景気は爆上げ。人々の平均賃金は、名目で2割上昇した。

物価も上がって1割上昇したが、それでも、実感として、実質賃金が1割近く上がることとなったのである。

「山本太郎が「本物の好景気を見せてやる」と言ってたけど、実際、本物の好景気がやってきたな!」

人々には笑顔が溢れ、令和時代のこの好景気は「メロリン景気」と呼ばれた。

ジャーナリストの鮫島浩が書いた山本内閣応援本は、100万部を超えるベストセラーとなった。

2029年、山本太郎は自信満々で衆議院の解散総選挙に打って出た。

選挙の結果は、自民党が300議席、れいわ新選組が100議席、公明党が35議席となり、与党は圧勝。立憲民主党などの野党は軒並み壊滅した。

そして、特別国会が開かれた。

「本院は河野太郎君を内閣総理大臣に指名することに決まりました。」

首班指名選挙で、自民党と公明党の議員は「山本太郎」ではなく「河野太郎」の名前を書いたのである。

それは、経済政策が上手くいき過ぎたが故の皮肉な結末だった。

かくして、夢のような4年間はアッという間に過ぎ去り、山本太郎は首相官邸を離れ、衆議院に100議席を擁する野党第一党の党首として、再び国会で格闘することとなったのである。

4.シナリオC「山本太郎内閣誕生す(インフレ地獄編)」

「そろそろ景気の引き締めに入った方がええんとちゃいますか?」

れいわ新選組政調会長の大石晃子は、総理大臣の山本太郎にそう進言した。

2025年に誕生した自民・れいわ・公明の連立政権は、山本太郎総理の下で「「超」積極財政」を展開し、景気を拡大させることに成功した。

「人々は25年に及ぶ不況で苦しんできた。特に、ロスジェネ世代は、長年苦しい思いをしてきた。これくらいの好景気じゃ、全然取り戻せていないんだ!」

山本太郎は、そう言って「「超」積極財政」を更に進めた。

この山本太郎の人々に対する優しさ、政治への情熱が、結果的に仇となった。

インフレに火がついたのである。

景気対策の効果で、確かに名目賃金は2割上昇した。

しかし、インフレで物価が5割も上昇し、様々な財やサービスの価格の水準は1.5倍にまで跳ね上がった。

結果として、実質賃金は2割も下がることになってしまったのである。

「山本太郎のバカが、俺たちに「本物の狂乱物価」を見せてくれやがった!」

人々から怨嗟の声が湧き上がった。

弁護士の明石順平が書いたインフレ政策批判本は、100万部を超えるベストセラーとなった。

「#幻想のアベノミクス妄想のタロウノミクス」

山本太郎が採った経済政策は、SNS上のネット世論においても、テレビや新聞のマスコミ世論においても、徹底的に批判された。

2029年、任期満了により、衆議院総選挙が行われた。

直前の代表選で小川淳也を新しい代表に選んだ立憲民主党は、「財政の健全化、国民生活の安定化」をスローガンに掲げて総選挙を戦い、300議席を獲得し、圧勝した。

一方のれいわ新選組は、衆院選で獲得議席ゼロに終わった。現職の総理大臣を擁する政党が衆院選で獲得議席ゼロに終わるという目も当てられない結果は、日本の政治史上の記録に残る大惨敗であった。

「本院は小川淳也君を内閣総理大臣に指名することに決まりました。」

「財政再建」と「生活再建」という国民の期待を背負い、立憲民主党の小川淳也内閣が船出することとなった。

総理大臣になった小川淳也は、「プライマリーバランスの黒字化」を目標に掲げ、消費税率を19%に引き上げることを決めた。

こうして日本は「緊縮財政」という苦難の道を進んでいくこととなったのである。


憲法9条変えさせないよ

プロ野球好きのただのオジサンが、冗談で「巨人ファーストの会」の話を「SAMEJIMA TIMES」にコメント投稿したことがきっかけで、ひょんなことから「筆者同盟」に加わることに。「憲法9条を次世代に」という一民間人の視点で、立憲野党とそれを支持するなかまたちに、叱咤激励と斬新な提案を届けます。

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