政治を斬る!

立憲野党私設応援団(33)「地域主権という希望」を広げていこう~憲法9条変えさせないよ

※この連載はSAMEJIMA TIMESの筆者同盟に参加するハンドルネーム「憲法9条変えさせないよ」さんが執筆しています。


<目次>

0.トピックス:侍ジャパンWBC優勝

1.「統一地方選挙」と「モデル自治体」への期待

2.「地域主権主義」と「恐れぬ自治体」という概念について

3.「難しい言葉」をどう言い換えるか?

4.「生活保護」も言葉を言い換えてみてはどうか?

5.はじまりは、ほんのちょっとの差から


0.トピックス:侍ジャパンWBC優勝

現地時間3月21日(日本時間3月22日)に行われたWBCの決勝で、侍ジャパンは「3-2」のスコアで見事にアメリカを破り、2009年大会以来14年ぶりの優勝を果たしました!

WBC開催年優勝国日本チーム監督日本チーム戦績
第1回大会2006年日本王貞治優勝
第2回大会2009年日本原辰徳優勝
第3回大会2013年ドミニカ共和国山本浩二ベスト4
第4回大会2017年アメリカ合衆国小久保裕紀ベスト4
第5回大会2023年日本栗山英樹優勝

まず、現地時間3月20日(日本時間3月21日)に行われたメキシコとの準決勝、栗山英樹監督の采配が冴えわたり、1点を追う9回裏無死一、二塁の場面で不振の5番村上宗隆選手が起死回生の逆転タイムリー二塁打を放ち、四球で出塁した4番吉田正尚選手の代走で出場した周東佑京選手が一挙に一塁から本塁まで駆け抜け、劇的な逆転サヨナラ勝ちでした!!

そして、翌日のアメリカとの決勝では、試合前の円陣で大谷翔平投手が「今日一日だけは、彼らへの憧れを捨てて、勝つことだけ考えていきましょう!」と声出ししてチームを鼓舞しました。

試合は、日本が1点リードして迎えた9回表二死無走者の場面で大谷翔平投手がアメリカの2番トラウト選手との「エンゼルス同僚対決」に挑む巡り合わせとなります。

最後は大谷翔平投手がトラウト選手をスライダーで空振りの三振に切って取り、劇的な幕切れで優勝を決めました!

さて、WBCにおける日本チームの戦績と、その直後に実施された国政選挙の選挙結果を並べた表が、次のようになっています。

WBC開催年日本チーム戦績直後の国政選挙選挙結果
第1回大会2006年優勝2007年参院選自民党惨敗
第2回大会2009年優勝2009年衆院選自民党惨敗
第3回大会2013年準決勝敗退2014年衆院選自民党圧勝
第4回大会2017年準決勝敗退2017年衆院選自民党圧勝
第5回大会2023年優勝

王貞治監督率いる日本チームがWBCで優勝した2006年大会の後の2007年参院選では、小沢一郎さん率いる民主党が参議院で第1党に躍り出て、自民党は与党過半数割れ(ねじれ国会)となる惨敗を喫しました。

原辰徳監督率いる侍ジャパンがWBCで優勝した2009年大会の後の2009年衆院選では、鳩山由紀夫さん率いる民主党が308議席を獲得して政権交代を果たし、自民党は1955年の結党以来初めて衆議院で第1党の座を失う惨敗を喫しました。

今回のWBC2023年大会は、栗山英樹監督率いる侍ジャパンが7戦全勝で見事に優勝を果たしました。

侍ジャパンの選手たちは、感動を呼ぶ試合で、子どもたちに「野球という夢」を与えてくれました。

今度は、私たち大人が、「民主主義という希望」を子どもたちに見せる番なのではないでしょうか。

次期衆院選がいつになるのか、その時期は予断を許しませんが、その前に、今年は統一地方選挙があります。

まずは地方から、私たちの手で「希望」を紡ぎ出していきましょう!

1.「統一地方選挙」と「モデル自治体」への期待

さて、いよいよ統一地方選挙です。

前半戦の投票日は4月9日(日曜日)、後半戦の投票日は4月23日(日曜日)となっています。

統一地方選挙に向けて、SAMEJIMA TIMES主筆の鮫島浩さんは「塚田ひさこ豊島区議決起大会」に参加し、次のように述べています。

完全に永田町は談合政治で行き詰まってる、地方もオール与党という中で、もう、にっちもさっちもいかないというのがこの十年ぐらいの政治状況。私は、それを突破するカギは、やっぱり、地方自治体だと思うんですね。

鮫島さんはれいわ新選組に対して「実際に政策を実現して『やってみせる』モデル地区を作る」ことを提言しているのですが、れいわ新選組に限らずに立憲野党による「モデル自治体」を考えてみますと、私が思い浮かぶところでは、次のような自治体が挙げられます。

立憲野党「モデル自治体」

○東京都杉並区:岸本聡子区長(野党共闘系)

○東京都世田谷区:保坂展人区長(社民系)

○千葉県柏市:太田和美市長(れいわ系)

○京都府大山崎町:前川光町長(共産系)

○兵庫県明石市:泉房穂市長(民主系)

○沖縄県:玉城デニー県知事(自由系)

以上が私の期待する「モデル自治体」ですが、私が知らないだけで、他にも素晴らしい施政を行っている自治体がたくさんあるのではないかと思います。

そのような自治体をご存じの方がいらっしゃれば、コメント欄などを使って、どうぞ情報をご提供ください。

2.「地域主権主義」と「恐れぬ自治体」という概念について

「自治体から国の政治を変えていく」という考え方は、世界規模の大きな潮流として存在するようで、岸本聡子『地域主権という希望』(大月書店・二〇二三年)において、「地域主権主義」(ミュニシパリズム)と「恐れぬ自治体」(フィアレスシティ)という概念が、次のように紹介されています。

ひとことでいえば、「公共」の役割と力を取り戻すこと。そして、地域の住民が主体となって、自分たちの税金や使いみちや公共の財産の役立て方を、民主的な方法で決めていくということです。

この数十年、世界中で、国や自治体が本来もっていた公共的な役割をどんどん縮小し、水道や電力など住民生活に不可欠なインフラ事業まで、民間企業に委託してしまう民営化の流れが続いてきました。その結果、本来は住民のものであるはずの公共の財産が、営利の論理で支配され、人々の生活を圧迫するといった問題が相次いでいます。

私が長く暮らしていたヨーロッパでは近年、こうした民営化の流れを止め、住民が地域の公共財産を自分たちで民主的に管理する仕組みを作り直そうとする動きが各地で生まれています。

そして、こうした住民運動を母体として自治体ごとの市民政党がつくられ、首長や地方議会の選挙で勝利し、国の政府やEUといった大きな権力にも敢然と物申していく―このような現象は、「再公営化」「ミュニシパリズム(地域主権主義、自治体主義)」、そして「恐れぬ自治体(フィアレスシティ)」という言葉でとらえられています。

「地域主権主義」(ミュニシパリズム)と「恐れぬ自治体」(フィアレスシティ)という概念について、私は考え方そのものには賛同したいのですが、個人的な感想として、言葉が堅すぎるのではないかという気がしています。

「地域主権主義」や「恐れぬ自治体」という言葉は、政治に関心を持つ一定の割合の人々の間で「知識」としては広まるとしても、とてもではありませんが、これが広く国民を巻き込んだ「ムーブメント」にまで発展するという期待感を抱くことはできそうにありません。

もちろん、学問的には「ミュニシパリズム」を「地域主権主義」と訳し、「フィアレスシティ」を「恐れぬ自治体」と訳すのが正しいのでしょうが、それが人口に膾炙する言葉になる姿を想像することはできません。

明治時代にアメリカから「ベースボール」というスポーツが日本に伝わったのですが、この競技の名前を日本語で何と訳すか、初めは非常に悪戦苦闘したようです。

初期には「打球おにごっこ」と呼んでいたこともあったようですが、明治時代から大正時代にかけて日本各地の中学校校長を歴任した教育者の中馬庚さんが「野球」という訳語を作り、その言葉が定着して、現在に至っています。

歌人の正岡子規さんは、「九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす」という短歌を詠み、英語の「バッター」を「打者」に、「ランナー」を「走者」に、「フォアボール」を「四球」に、「ストレート」を「直球」に、「フライボール」を「飛球」に訳すなど、「ベースボール」(野球)の普及に大いに貢献しました。

このような功績から、中馬庚さんも、正岡子規さんも、二人ともプロ野球選手ではありませんが、日本で「野球殿堂入り」を果たしています。

もし「ベースボール」を直訳で「塁球」と訳していたら、あるいは初期の「打球おにごっこ」の名称のままで競技を続けていたとしたら、「ベースボール」(野球)は日本でこんなに人気のあるスポーツになっていたでしょうか。

新しい概念の英語を言い換える日本語を考えることは非常に大変なことで、二塁と三塁の間を守る「ショートストップ」という守備位置の野手のことを、正岡子規さんは「短遮」と訳し、中馬庚さんは「遊撃手」と訳して、最終的には、中馬庚さんが考えた「遊撃手」という名称が現代にまで残っています。

「地域主権主義」(ミュニシパリズム)と「恐れぬ自治体」(フィアレスシティ)のことに話を戻しますと、私が考えた一つのアイデアとして、日本の伝統の「頼母子講」(たのもしこう)と「惣」(そう)にちなんで、「たのもし惣」という言葉を提案してみたいと思います。

「頼もしそう」な感じがしませんかね?(笑)

まぁ、これは最終的には「ボツ案」にするとしても、是非みなさんに知恵を絞っていただいて、「地域主権という希望」が日本全国に広がっていくような、上手い訳語、上手いフレーズを考えていただければ幸いです。

3.「難しい言葉」をどう言い換えるか?

「言葉を上手く言い換える」ということに関して、私はこれを非常に重要なこととして捉えています。

ここで、齋藤孝『齋藤孝の企画塾』(筑摩書房・二〇〇七年)に載っている明治大学文学部教授の齋藤孝さんの出版企画の話を紹介したいと思います。

私は自分が考案した「偏愛マップ」が非常に好きで、それを使って友だちや知り合いを増やそう! と事あるごとに主張してきました。あるとき、小学生向けに「偏愛マップ」を使って、いじめをなくす本を作ることになったのですが、小学生に『偏愛マップでいじめをなくそう』というタイトルの本を作っても、たぶん誰も買いません。何を言っているのかわからないし、第一、小学生が『いじめをなくそう』という本を自分から手に取るとも思えません。

ちなみに「偏愛マップ」とは、偏って愛しているものを紙に書いていくもので、お互いにマップを見ながら話をすると盛り上がるというものです。誰とでも友だちになれてしまう、大変便利な道具です。しかし「偏愛マップ」という言葉は私が作った造語なので、説明しなければ、人には伝わりません。ましてや小学生相手に「偏愛マップ」という言葉を言っても無理があるだろうということで、編集者と相談しながら、「好きなものマップ」と言い換えてみることにしました。

まず、自分の好きなものを全部書いてみます。次にお互いに見せ合うと、「それは僕も好きだ」「私も好き」という感じで、すぐ友だちになれます。三分で友だちができてしまう。だから『偏愛マップでいじめをなくそう』ではなく、『たった3分で友だちになれる! 魔法のマップ』(PHP研究所・二〇〇七年)に言い換えてみよう、ということになりました。

ちょっと調子のよすぎるタイトルですが、これなら、読んでみようとする小学生も多いでしょう。中身は同じですが、「偏愛マップ」を小学生向けにアレンジして「好きなものマップ」に言い換え、「いじめをなくそう」を「3分で友だちになれる」に変えた瞬間、需要が生まれたわけです。どこに光を当てるのか、誰に向かって、どんな角度で語りかけるのか、そのアレンジというか、角度が大切ということです。

(中略)

私も何度も失敗しました。原因は需要の軽視です。自分が本当にやりたいことが、世に求められているものとイコールではない。むしろ違うことの方が多い。時代の求めに合わせて、自分の考えを切り替えていく柔軟さが大切です。一見需要はないようでも、自分が持っている材料をどんどん変形し、アレンジしていくことによって、「あ、今、需要と出会った!」という瞬間が起きます。需要は作るもの、アレンジしていくものだと思います。

齋藤孝さんが指摘しているように、内容が同じものであっても、ネーミングひとつでこんなにも印象が変わってくるのです。

立憲野党が主張する政策は、基本的には良いものが多いと思っていますが、選挙の際の「公約」や「スローガン」の言葉の選び方を見てみると、個人的にはいまひとつ「パッとしない」ものが多いという印象です。

それに対して自民党の方は、悪辣な政策を無害そうなものに見せ、大して実効性のない政策を非常に良い政策であるかのように見せる「ネーミングの妙」が技術として非常に長けており、「組織票」と「言い換えの技術」で政権を維持し続けている印象です。

最近になって、リベラルの側でやっと「有権者をだますための言い換え技術」ではなく「有権者に分かりやすく説明するための言い換え技術」を使う人が出てきましたので、泉房穂『社会の変え方』(ライツ社・二〇二三年)に載っている明石市の総合計画の例を紹介しておきます。

市の総合計画でも「SDGs未来安心都市」として、「いつまでも すべての人に やさしいまちを みんなで」というキャッチコピーを謳っています。「いつまでも=サスティナビリティ」「すべての人=インクルーシブ」「みんなで=パートナーシップ」という趣旨です。

これは、英語の概念を上手く言い換えて、日本人にとってイメージしやすい内容に変換していると思います。

ところで、岸本聡子『地域主権という希望』(大月書店・二〇二三年)に、スローガンにしたい面白い言葉が載っていましたので、二つほど紹介します。

○「普通の人目線」の政治

○Let’s be crazy, believe in politics.(バカになって政治を信じてみようぜ!)

私自身「英語を上手く日本語に訳せ」という話をしておきながら、英語のスローガンを取り上げてしまっていますが、私は「Let’s be crazy, believe in politics.」というスローガンを目にして、これはとても面白いなと感じました。

そしてその連想で、「Let’s be crazy, believe in Taro.」というスローガンを思い付きました。

SAMEJIMA TIMESに集う皆様には「バカになって山本太郎を信じてみようぜ!」と盛り上がっていただけるのではないかと思いますが、世間一般の反応を考えてみた場合には、「バカになって河野太郎を信じてみようぜ!」という別な盛り上がり方をしてしまうのではないかというふうに、同時に危惧しました。

4.「生活保護」も言葉を言い換えてみてはどうか?

さて、「言い方を変える」ことを検討する必要がある言葉として、「生活保護」および「生活保護受給者」という言葉を挙げなければならないのではないかと私は考えています。

雨宮処凛『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社・二〇二三年)に、次のような記述があります。

私自身も、相談会などで生活保護の利用を勧めるものの、「それだけは嫌だ」「生活保護を受けるくらいなら野宿する」と拒絶されたことは一度や二度ではない。「今日泊まる場所がない」「所持金も数百円」「仕事のあてもない」という状態でも、頑なに首を横に振る人たち。拒否する理由は、「自分はそこまで落ちていない」「生活保護を受けるなんて人間終わり」というようなものだ。

最後のセーフティネットなのに、それを利用することが「人生終わり」と同義と思われてしまう生活保護。

のちに詳しく書くが、そんな忌避感の背景には、一部政治家や一部メディアが作り上げ、広めてきたマイナスイメージが存在する。

生活保護の問題を考えるうえでは、役所の窓口で行われている「水際作戦」の問題のことを論じる必要があるわけですが、そもそもそれ以前の問題として、生活再建のために生活保護の受給が必要と思われる困窮者自身が生活保護の受給申請を頑なに忌避するケースが多発しており、支援団体の方々も、役所の窓口云々の前にまず本人の説得で多大な労力を割かれることが多いのだそうです。

雨宮処凛さんの『学校では教えてくれない生活保護』の本の中では、お隣の韓国の生活保護制度についても紹介されていて、韓国では「生活保護」という名称から「国民基礎生活保障」という名称に代わり、内容的にも、生活扶助、医療扶助、教育扶助、住宅扶助、出産扶助、葬祭扶助、自活扶助という7種類の扶助が単給で受けられるような制度変更が行われています。

政策論的には、そのような名称変更や制度変更を行うことが望ましいのだと思いますが、それには「政権交代」が必要であり、実際問題としては、「政権交代」が起きるのは一体何年くらい先のことになるのか、全く見通しが立たない状況です。

そうした現状をふまえれば、いま困っている人たちを救えるように、何とか民間の力でできる方策を考えて、生活保護受給のイメージアップ作戦を進めていく必要があります。

生活保護問題に取り組む弁護士の小久保哲郎さんは、『学校では教えてくれない生活保護』の雨宮処凛さんのインタビューに対して、次のように答えています。

生活保護のイメージは残念ながらすごく悪くなっていますが、制度としてはすごくいい制度なんです。実際に、生活保護を利用すると、みんな本当にほっとした顔をします。少しの期間使って、すぐにステップアップする方もたくさんいます。そういう実態がもっと伝わればイメージアップしていくかもしれないですね。

こうした実態のことに加えて、2021年3月末に厚生労働省から通知が出され、生活保護の受給申請を行う際に、(話の進め方次第で)扶養照会を行わなくても生活保護の支給が決定できるように、運用の改善が行われています。

このことをもって、「『生活保護』は以前の『生活保護』とは変わり、実質的に新しいものになりました」と主張してみてはどうだろうか、というのが私の個人的な考えです。

そのうえで、「生活保護」や「生活保護受給者」という言葉について、(正式名称は変えられないとしても)何らかの「愛称」となる言葉を考えて、「それなら支給を受けてもいいな」と思ってもらえるようなネーミングを創り出し、その「愛称」で生活保護のことを語れるようするのです。

スポーツの話を引き合いに出すと、野球日本代表の愛称は「侍ジャパン」で、サッカー女子日本代表の愛称は「なでしこジャパン」です。

今ではみんな当たり前に「侍ジャパン」とか「なでしこジャパン」というふうに言っていますが、「侍ジャパン=野球日本代表」、「なでしこジャパン=サッカー女子日本代表」ということをみんなが認識できるようになったのは、強力なプロモーションがあってのことです。

生活保護の愛称について、例えば「あんしん給付」とか「しあわせ給付」といった言葉(私のネーミングセンスが良いかどうかは疑問がありますので、これは全然別の名称でも構いません)にして、「『あんしん給付』を受けませんか」とか「『しあわせ給付』を受けませんか」といった形で支援活動を進めていくなら、現在のような受給に対する忌避感は、多少なりとも緩和されてくるのではないでしょうか。

生活保護受給に関する有力な支援団体が集まって、それこそ雨宮処凛さんがいろいろな支援団体や生活保護受給の当事者の意見を聞きながら取りまとめて、何らかの「生活保護の愛称」を一つ決めて、ある時点からはその呼称で支援活動を進めていく(もっとも、最初の時点では正式名称「生活保護」ということをどこかに明記しておかないと混乱が生じるかもしれませんが)ようにしてはどうでしょうか。

そして、できることなら、今日の記事で最初の方に掲げた「モデル自治体」では、「生活保護」と言わずに「愛称」を言うだけで、窓口で生活保護の受給申請の話が進められるような対応ができるようにしてもらえると、なお良いのではないかと思います。

ただし、これは私の素人の意見ですので、法律論的なことも含めて、何か内容的に問題がありましたら、皆様にご指摘ご教示いただければ幸いです。

5.はじまりは、ほんのちょっとの差から

「立憲野党の『モデル自治体』を全国に増やして、地方から国の政治を変えていこう」という考え方について論じてきましたが、そのはじまりは、ほんのちょっとした差で手にした幸運がきっかけでした。

岸本聡子『地域主権という希望』(大月書店・二〇二三年)には、岸本聡子さんが杉並区長に当選した経緯について、次のような記述があります。

2022年6月19日投票の杉並区長選挙で、私は初めて選挙に立候補し、当選しました。

187票というギリギリの僅差で、3期12年を務めた現職区長を破っての当選。

直前まで欧州のベルギーに在住し、職業はNGOの調査研究スタッフ。

地縁・血縁なし、政治経験なし。政党公認ではなく、市民団体の支援を受けての立候補。

47歳、杉並区初の女性区長。

さまざまな要素が「異例」として注目を浴び、特別区とはいえ、いち自治体の首長選挙とは思えないほど多くのメディアに報道されました。

それでも、杉並区長の岸本聡子さんの場合は、立憲民主党、日本共産党、れいわ新選組、社会民主党、新社会党、緑の党グリーンズジャパン、杉並・生活者ネットワークという合計7つの政党・団体から推薦を得て選挙に臨んでいるわけですが、明石市長の泉房穂さんの場合は、さらに壮絶です。

泉房穂『社会の変え方』(ライツ社・二〇二三年)には、次のような記述があります。

2011年、ついに明石市長選挙に立候補するときがやってきました。

対立候補は、兵庫県の知事室長経験者で、直前まで明石市を含むエリアの県民局長だった方。自民党と民主党が推薦、兵庫県知事も支援、医師会、商工会議所、商店街連合会、労働組合など業界団体のほとんどと、市議会の全会派が全面支援を表明していました。

つまり、政界や業界の組織票はすべて相手方に回っていたのです。

一方の私は、無所属です。

(中略)

市長選は一騎打ち(筆者注:原文ママ)の激戦となりました。

結果はわずか69票差。

相手の得票数53993票に対し、54062票。一人ひとりの「1票」が積み重なり、政党や業界の壁を破り、市民だけを頼りに、市民とともに勝ち切りました。

岸本聡子さんの「187票差」も、泉房穂さんの「69票差」も、どちらもすごい話ですが、今度の統一地方選挙でも、そうした「大接戦のドラマ」が起こらないとも限りません。

4月9日(日曜日)と4月23日(日曜日)に行われる統一地方選挙は、みなさん是非、投票所に足を運びましょう!


憲法9条変えさせないよ

プロ野球好きのただのオジサンが、冗談で「巨人ファーストの会」の話を「SAMEJIMA TIMES」にコメント投稿したことがきっかけで、ひょんなことから「筆者同盟」に加わることに。「憲法9条を次世代に」という一民間人の視点で、立憲野党とそれを支持するなかまたちに、叱咤激励と斬新な提案を届けます。

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