※この連載はSAMEJIMA TIMESの筆者同盟に参加するハンドルネーム「憲法9条変えさせないよ」さんが執筆しています。
0.はじめに
1.「失われた30年」からの「非婚化」そして「少子化」へ
2.「子孫が残せる階層」と「子孫が残せない階層」への二極分化
3.「人類史の5段階」を経て「人口ゼロ」への道を突き進む人類
3.「人口ゼロ」を回避する一つめの方策~資本主義の枠内での改革~
4.「人口ゼロ」を回避する二つめの方策~資本主義からの脱却~
5.若者が「子供を持ちたい」と思えるには?
6.オピニオン:会期末近づく国会で内閣不信任案を提出して「年金解散」を!
7.トピックス:長嶋茂雄読売巨人軍終身名誉監督逝去
0.はじめに
今日は、大西広(著)『「人口ゼロ」の資本論 持続不可能になった資本主義』(講談社、2023年)を読んで、「少子化問題」について考えていきたいと思います。
大西広さんは、慶応義塾大学名誉教授で、「数理マルクス経済学」を専門に研究しておられる方です。
「数理マルクス経済学」とは、ゲーム論や最適成長論などの近代経済学の研究理論を採り入れた分析を行うマルクス経済学で、古典的なマルクス経済学とは一線を画すものなのだそうです。
大西広さん自身は、自らのことを「マルクス経済学者」かつ「階級主義者」と規定しておられて、かのカール・マルクスは『資本論』で「『宗教』は『大衆のアヘン』である」と叫び、東京大学大学院総合文化研究科准教授の斎藤幸平さんは『人新世の「資本論」』で「『SDGs』は『大衆のアヘン』である」と主張しましたが、大西広さんは『「人口ゼロ」の資本論』で「『少子化対策』は『大衆のアヘン』である」と述べておられます。
「大衆のアヘン」とは、「本質的な問題解決へと向かわず、辛い現実から目を背けさせる効果を持つ麻薬」を意味するものと考えられますが、果たして日本の「少子化問題」に効き目のある妙薬はあるのかどうか、議論を見ていきましょう。
1.「失われた30年」からの「非婚化」そして「少子化」へ
バブル崩壊後の「失われた30年」によって多くの労働者が「貧困化」し、そのことによって「非婚化」が進行していった様子を、大西広さんは次のように記述しています。
未婚割合の推移を見ると、ほんの30年ほど前までは、特に男性の場合、50歳まで結婚しないということはほとんどありえない状況であったことがわかります。それがここにきて急速に拡がり、いまや人口の4分の1以上を占めるに至っているということです。(中略)この30年はすべて労働者が貧困化した30年であり、その時期に未婚割合が急速に上昇したということです。
実質賃金で言えば1995年ピークから2020年に至るまでに実は16%の下落となっていますが、もちろん、私が問題としたいのは全労働者の平均的な16%の低下ではなく、この数字の裏にはもっと激しいスピードで賃金低下を被った社会階層があるということです。言うまでもなく、この期間に急増した非正規労働者がその中心ですが、彼らの多くはとても結婚などできる状況にはないのではないでしょうか。平均値でも年率0.6%の低下と計算されますが、25年も続くと16%も下がってしまっているのです。
実際、この年率0.6%というのは実感できるものではありませんし、そのために人々は暴動を起こすでもなく粛々と現体制を支持し続けてきました。ですが、それを繰り返しているうちに、大きくは変わっていないように見える人々の生活も、じりじりとした長期の変化を重ね、それが非婚化などの形で表れているということなのです。
この「年平均0.6%の実質賃金の低下」というのが曲者で、このくらいの賃金低下であれば、「我慢するか工夫するかして、節約してやり過ごそう」ということになりがちですが、それが25年も積もりに積もることで、実に16%もの実質賃金の低下という結果を招いてしまっているのは、データとして示されると本当にその通りであり、世の中の約6割の人が「生活が苦しい」と答えている庶民の生活実感とピッタリ符合しています。
そしてこの「実質賃金の低下」が「非婚化」そして「少子化」へとつながっていく様子について、大西広さんは次のように記述しています。
結婚したくてもできない状況は、もちろん子供をつくりたくてもつくれない状況でもあります。(中略)特に重要なのは、当初は「1人以下」を予定していた夫婦が6.6%であったものの、ふたを開けてみれば27.3%の夫婦が「1人以下」しかつくれていないということです。結婚にまでたどり着いたとしても、またその先にはハードルがあるということです。
したがって、再びこの原因が問題となりますが、(中略)断トツに高いのはやはり「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」という経済的理由で、この傾向は若い世代ほど顕著であると言われています。
最近は、子供の7分の1が貧困といわれます(国民生活基礎調査)。こんなことだから、過去にはなかった「子供食堂」やフード・バンクのようなものが世に必要となるに至っているのですが、ともかくこうした状況では安心して子供を産めません。それがわかっているので産めないのです。
「失われた30年」で実質賃金が低下したため、経済的理由で結婚ができない、あるいは、結婚して伴侶を得ることはできたけれどもお金がないので子どもは産めない、あるいは、結婚して子どもが1人できたけれども経済的に余裕がないので2人目は産めない、あるいは、結婚して子どもが2人いるけれども将来のことを考えると不安なので3人目は産めない、といったそれぞれの人々のそれぞれの事情が国全体の「少子化問題」を深刻化させることへとつながっていきました。
2.「子孫が残せる階層」と「子孫が残せない階層」への二極分化
大西広さんの指摘によれば、「失われた30年」で「少子化」が進むとともに、日本は「階級社会」へと変質していったのだといいます。
見落とせないのは、男女の未婚率の乖離がこの30年間に恐ろしく拡大しているということです。(中略)女性の結婚回数より男性のそれが多いこと、もう少し言えば一部の男性が何度も結婚している可能性を示しています。
現在の婚姻制度は「重婚」を禁止していますので、これは一部の男性が結婚、離婚、結婚を繰り返していることを意味します。近年のこのギャップ=男性未婚率と女性未婚率のギャップは10%程度ですので、男性の10%がこういう「階級」に着いたということでしょうか。
いずれにせよ、この程度に一部男性が時間差を伴って複数の女性を妻とするようになっているわけで、日本の伝統右翼が「家族制度を守れ」と言うのなら、この30年間のこのような状況をこそ問題としなければならないと思います。所得不足による非婚化は上述のように主に男性において生じていますので、そのことも合わせて考えれば、この30年の男性の貧困化による非婚率の上昇が、女性をして金持ちの再婚相手とならざるを得なくしているということになります。ついに正真正銘の階級社会がやって来つつあります。
現代の日本では、「子孫が残せる階層」と「子孫が残せない階層」への二極分化が進んでおり、それはまるで江戸時代を彷彿とさせる有様となっているのです。
これまでの歴史を振り返っても、ちゃんと家族を形成して多数の子孫をもうけてきた社会階層とそうでない社会階層があったというのはいわば常識です。たとえば、江戸時代の武士階級は前者の典型でした。ただ、その武士階級も子孫が分家、分家と重ねていくと相続の問題が生じてその「家」が全体として没落しますから、男子のうち長氏以外は結婚させないとか(この制度の延長にチベットなど一妻多夫制を導入した民族も多い)、長子家族を「本家」として他から明確に区別し、次男以下の下方への階級移動を誘導するようなことがありました。
しかも、この30年間に行われてきた日本の「子育て支援策」は、このような階層分化を是正するどころか、「貧しい世帯」から「豊かな世帯」への「逆再分配」を行い、子供の貧困率を上昇させ、「少子化」の更なる深刻化を招いているというのです!
何よりも問題となるのは、私たちの国日本の「政府介入」がまったく逆の効果を持っていることで、何とこの「政府介入」で子供の貧困率は逆に上昇している(!)ということです。(中略)
非常に重要な論点なので、強調させていただきますが、子育て世帯への大幅な「所得再分配」は当然、貧困ゆえに非婚となり、子どもをもうけられない人々から、「豊か」なために結婚もでき、子供ももうけられている世帯への「逆再分配」とならざるを得ません。
ですので、こうして新たな種類の「福祉政策」が、教育支援や共働き家庭支援などと進んでいけばいくほど、「最底辺層」は「再分配原資」の一方的な供給元とされてしまうことになります。本当は彼ら彼女らこそが結婚にたどり着き、子供を持てるようにならなければ「少子化」からの脱却ができないにもかかわらず、彼ら彼女らをより貧困に導き、結果として更なる少子化を進めてしまっているのです。(中略)
実際、この30年間の日本の「子育て支援策」をふり返って見た時、共働き世帯のための保育サービスの提供や育休制度の導入などが進んだものの(中略)、一方では(中略)格差社会化の進行のために結婚できない層、子供をつくれない層を大幅に増やしてしまったと総括する専門家も現れています。
3.「人類史の5段階」を経て「人口ゼロ」への道を突き進む人類
大西広さんの説によれば、人類の歴史には「人口増加と人口停滞(人口減少)」の波が5つあり、現代は人口増加の第5段階である「工業現波」(資本制段階)にあたるのだといいます。
人類史の5段階
人口増加の諸段階 | 大西広氏によるネーミング | 古田隆彦氏によるネーミング |
第1段階 | 石器前波 | 原始共産制段階 |
第2段階 | 石器後波 | 農耕共同体段階 |
第3段階 | 農業前波 | 奴隷制段階 |
第4段階 | 農業後波 | 農奴制段階 |
第5段階 | 工業現波 | 資本制段階 |
『「人口ゼロ」の資本論』より筆者作成
現在の世界人口はまだ増え続けていますが、先進国においては人口減少が始まっており、これから世界全体の経済が成長していくにつれて、近い将来、途上国と呼ばれる国でも出生率の低下が起こり、いずれ人口減少していくことになるものと考えられます。
近代経済学のモデルにおいても定常的な人口減少状態の発生の可能性が示されており、そのことは、遠い未来において「人口ゼロ」という帰結をもたらすという結論になります。
そのことについて、大西広さんは次のように指摘しています。
もし「近代経済学モデル」でこうした人口減少状態の「持続」が証明されるのだとすると、それは逆に現実社会にショックな結論を示すことになります。つまり、その状態の長期の持続はいつの日か「人口ゼロ(!)」をもたらすことになるからです。
一般的な「出生率」(出生数を人口で割ったもの)ではなく「合計特殊出生率」(1人の女性が生涯に産む平均的な子供の数)で考えたとしても、「合計特殊出生率」が「人口置換水準」と呼ばれる「2.07」を上回る水準を安定的に維持できるようにならなければ、人口が減り続け、最終的に「人口ゼロ」という未来を迎えてしまうということになります。
「合計特殊出生率」が2.07までなければ人口が維持できない、それ未満であれば減少する、ということでして、それが永遠に続けばもちろん「将来人口ゼロ」となります。そして、実際、日本を含む先進資本主義諸国の合計特殊出生率は2.07を大幅に下まわっており、その状況をとても回復できるようには見えません。つまり、この意味で、このモデルの帰結――人口減の状態に社会がとどまり続ける可能性の存在は、現実の資本主義の真っ暗な将来の可能性を示していることになります。
人口増加の観点からみた「人類史の5段階」は、人類が「少子化」の問題を克服できなかった場合には「人口ゼロ」となってここで歴史が終わってしまうことになるわけですが、仮に人類が「少子化」を克服できるとすれば、次に現れる「第6段階」はどのような世界になるのでしょうか?
『「人口ゼロ」の資本論』で大西広さんは「第6段階」について何かネーミングを行っているわけではありません。
議論を進める都合上、ここで私が独断と偏見で「第6段階」の世界のネーミングを行ってみたいと思います。
ネーミングのアイデアは2種類あります。
まず1つめは、「第5段階」を「工業現波」から「工業前波」へと名称変更したうえで、「第6段階」が「工業後波」になるというケースです。
これは、現在の「資本主義」の枠組みが基本的に続いたうえで、「労働条件の改善」や「真に実効性のある少子化対策」を行うことで、「人口減少」の危機を脱するというものです。
そして2つめは、「第6段階」が「脱工業未来波」になるというケースです。
これは、「資本主義からの脱却」を実現し、現在とは全く違う社会体制の世の中を作って、「人口減少」の危機を脱するというものです。
それでは、資本主義が続く未来と、資本主義から脱却した未来について、順番に見ていきましょう。
4.「人口ゼロ」を回避する一つめの方策~資本主義の枠内での改革~
「人口ゼロ」を回避することの重要性について、大西広さんは次のように述べています。
たとえば日本民族が死に絶えても、その段階で人類が死滅するわけでもありません。その時に残っている人類の多くは幸せかもしれません。が、時に、あるいはある状況下では、こうした民族主義的視点を持つことも必要なのであって、その典型がこの民族人口問題だと私は考えています。あるいはちょっと言い換えて、本来「民族主義」でないはずの私のようなマルクス経済学者が「民族主義」となってしまうほどの深刻な危機が進行しているのだとも言えます。
事実、私は、2022年に初めて一水会という日本の民族主義グループと接点を持ち、ある「民族問題」で講演をさせていただくということがありました。そして、その講演の冒頭で、「私は民族主義者ではない。階級主義者である。が、そうだからこそ民族を大事にしたい」というようなことを述べて意気投合しました。「階級対立に起因する諸問題を放っておいて民族が団結することはできない」というのがその趣旨ですが、今回の人口問題も本質的には「階級対立」(というか階級搾取)に起因する問題です。
「少子化問題」を引き起こす要因に関しては、経済要因だけではなく、儒教的価値観、家父長制、ジェンダー問題など、様々な要因が考えられますが、大西広さんは、企業と労働者の間の「労使間の力関係」を最も重要な規定要因として捉え、次のように述べています。
労働条件の改善が進んだオランダのようなところでは、「資本主義」の枠内でも一時、合計特殊出生率を1.8まで回復しています。特に、オランダは労働時間の抑制が効いていて、「同一労働同一賃金」原則を厳格に守ったワークシェアリングは「短時間労働」を選択しても時間当たりの賃金は下がらず、日本のようなジェンダー格差を生まなくなっています。そして、週休が基本的に3日間となっていますので、たとえば夫婦が2人ずつ働いて家事を完全平等で分担しても総賃金は変わりません。フルタイム換算で1+0.5人が働いたり、0.75+0.75人が働いたりといった選択も普通におこなわれています。
「資本主義」の枠内であっても、労使関係にここまで踏み込めばジェンダー格差解消ができる最良の事例であると私は考えています。
これは、「少子化対策」が進んだヨーロッパの取り組みを模倣して、日本でも同じように改革を進めていくという考え方です。
日本の政治家で言えば、前明石市長の泉房穂さんが目指している「少子化対策」の方向性だと思います。
5.「人口ゼロ」を回避する二つめの方策~資本主義からの脱却~
「人口ゼロ」を回避するための方策として、大西広さんが「本命」として考えておられるのが「資本主義からの脱却」です。
それは、旧ソ連や東欧のそれとは全く異なる「新しい『社会主義』」なのだといいます。
問題は、個人的な合理性と社会的な合理性が矛盾するということで、その調整のために特殊な所得移転が社会的に求められることになります。経済学にいう「外部性の内部化」という議論で、この場合は将来に必要な子供が十分に産み育てられることを目的として、諸個人がそうしたくなるだけの十分なインセンティブ(個人的誘因)が与えられなければならず、これが所得移転という形を取ります。そうしないと老後の各人の利益を生み出す出産と子育てが自分の利益として認識されないからです。
経済学では自分の利益とならないという特質を「外部性」と言いますので、それを自分の利益とする、つまりこの場合には十分な所得移転で出産と子育てが自分の利益となるようにすることが求められます。それを「外部性の内部化」と呼ぶのです。
このような社会は「社会」的な意味での「外部効果」を重視し、その「内部化」のための「個人」の自由な選択行動への何らかの介入を求めるという意味で、私はこれを「社会主義社会」と理解しています。過去の旧ソ連や東欧にあった社会とはまったく異なっていますが、近年に、アメリカのバーニー・サンダース上院議員などが語っている種類の「社会主義」とはこういうものなので、これまでの「社会主義」への先入見なく理解しやすくなっています。
そのうえで、大西広さんは、「共産主義」と「社会主義」という言葉について、次のように定義し直しています。
人口問題の解決にはどうしても「平等社会」が不可欠であることを見ましたが、それが「資本主義」の本質と鋭く対立する以上、私たちが求める社会はもはや「資本主義」ではないということになります。それは私に言わせると「共産主義」の本来の意味に通じます。
ところで、「共産主義」という言葉は欧米起源で、それは英語ではcommunismと表現されますので、これは社会がコミューンとして形成されなければならないという考え方を表しています。つまり、「共同」と「平等」が理念として含意されているわけで、たとえば一国の生産活動が直接的な意味で共同作業としておこなわれることが不可能である以上、「平等」がその実際的な中身であると言えましょう。(中略)
「社会主義」の定義を「社会化された社会socialized society」として示しましたが、それとの対比で「共産主義」は「平等化された社会equalized society」と言ってもいいと考えます。両者の概念はもちろんきわめて深い関係にはあるのですが、それらが究極において意味するところは違っている。しかし、少なくとも(中略)人口減の解消にはそのどちらもが不可欠となっていると総括されなければなりません。
とはいえ、それはまだ具体性を欠く構想であり、「『空想的』社会主義」だと言わざるを得ないものです。
「資本主義からの脱却」を少しでもイメージできるよう試みてみましたが、そこにはまだ多くの「空想的」な部分が残っていることを認めざるを得ません。残念ながら、それは事実です。
ですが、(中略)やはりここでどうしても述べておかなければならないのは、そのように多少「空想的」とも思われるほどの根本的な社会の転換なしに合計特殊出生率の2.07への回復はありえないということです。そして、その2.07への回復ができなければ(資本主義というものがそういうものであるならば)、遠い将来には現在のアフリカも含めて「人口ゼロ」の脅威にさらされることになります。
ですので、まさにここで理論家として私が言わなければならないのは、人類がいつの日にか真に「持続可能」となるためには、やはり私が描いたような社会がどうしても来なければならないということ、それが何百年先かはわからないものの、必ず必要である、ということです。
「資本主義の終焉」に関しては、今年1月に亡くなられた獨協大学経済学部教授の森永卓郎さんや、法政大学法学部教授でエコノミストの水野和夫さん、東京大学大学院総合文化研究科准教授で哲学者の斎藤幸平さん、早稲田大学研究院客員教授で脳機能学者の苫米地英人さんなど、多くの識者が言及しており、必ずしも荒唐無稽とは言い切れない考え方であることは確かです。
森永卓郎さんは「資本主義はもう終わる」と語り、苫米地英人さんは「資本主義も、マルクス経済も、共産主義もいらない」と語り、斎藤幸平さんは「脱成長コミュニズム」を提唱していますが、水野和夫さんは、資本主義が終焉した後の世界の姿について、「私にはわかりません」と答えておられます。
「資本主義からの脱却」を果たした世界というのが一体どのようなものであるのか、その具体像はなかなか見えづらいですが、日本の政党でそのことについて語ることができる政党があるとすれば、それは「社会民主党」と「日本共産党」の2つしかないのではないかと思います。
両党ともこの夏の参院選では苦しい戦いが予測されていますが、現有議席の維持、あるいは反転攻勢を図るためには、何らかの形で「新しい社会主義」、「新しい共産主義」、あるいは、「21世紀の『空想的』社会主義」、「21世紀の『空想的』共産主義」のようなものを構想し、ビジョンとして有権者に示していく必要があるのではないでしょうか。
6.若者が「子供を持ちたい」と思えるには?
大西広さんは、議論のまとめにあたり、「若者が結婚し、子供を持ちたいと考えるようになるための2つの条件」について、次のように述べています。
最後にひとつ、若者が結婚し、子供を持ちたいと考えるようになるための2つの条件について書きます。それは、子供を持っている他人を見てうらやましいと思えるという条件と、自分もまたそれになりうると思える条件です。
実際、結婚をしたり子供を持ったりしている友人を見て、その生活が苦しそうなら独身ないし子なしを選択するでしょう。彼らが本当にうらやましく映る社会でないと子供を持ちたいとは思いません。また、たとえうらやましく見えても、自分の所得がそれを可能にするようでなければ諦めるしかないでしょう。
大西広さんの指摘自体はその通りだと思うのですが、「うらやましく見えても、自分の所得がそれを可能にするようでなければ諦めるしかない」という状況になった場合に、果たしてそれが単純に「諦める」という話だけで終わるのだろうか、という危惧も感じました。
「うらやましく見えるのに、自分はそれを手に入れることができない」と思ったときの人間の反応として、ある一定の割合の人が「怒りを感じ、社会に復讐する」という行動に出てしまうのではないか、という嫌な予感を感じます。
「嫌な予感」というよりも、それは部分的には現実に起きていることであって、「パワーカップルの子どもが通っている小学校や幼稚園や保育園を襲撃して、子どもに危害を加える」というような事件は、今後も起こり得ることだと危惧します。
また、そうした犯罪行為に手を染める人はごく少数だとしても、「政府の子育て支援政策が、実効性がないか、あるいは逆に足を引っ張るような内容で、子育てする親に『子育て罰』を与える」ことや、「政府の政策全般が日本の国益を毀損するもので、子どもたちが成長した後に『暗澹たる日本の未来』が待っている」ことに内心拍手喝采し、「今の日本の状況で自分に子どもが欲しいとは思わない。この状況で子どもを産んでいるあいつらはバカだ。」と自分の立場を正当化できる状況が生まれることで心理的な防衛機制を図る人は、犯罪に手を染める人よりももっと多く出てくるのではないでしょうか。
自民党と公明党が実現する明後日の方向の「子育て支援策」は、自民党と公明党が無能であるとか、政策の有効性よりも中抜き利権を優先しているといったこと以外に、虐げられた人々の無意識の心理的防衛機制に迎合しているという側面があるのではないかとも思います。
そういう意味で、「真に実効性がある少子化対策」を政策的に進めていくためには、まずその前提として、子どもを持つ人も持たない人もみんなが「生きててよかった」と感じられるような社会の構築を進めていくことが必要なのではないかと感じました。
7.オピニオン:会期末近づく国会で内閣不信任案を提出して「年金解散」を!
自民党・公明党・立憲民主党の賛成により年金改革法案が5月30日に衆議院を通過し、6月13日に参議院で可決されて法案が成立する予定となっています。
しかしこの年金改革法案は、遺族年金の大幅カットや厚生年金の流用といった内容を含んでおり、国民の間からは「改悪」だとの反発の声もあがっています。
今国会での年金改革法案の成立を阻止し、改めて臨時国会以降で時間をかけて熟議を行うため、日本維新の会(38議席)と国民民主党(27議席)とれいわ新選組(9議席)の3党で一致協力して、6月13日の年金改革法案採決前に衆議院で「内閣不信任案」(不信任案提出に必要なのは51議席)を共同提出すべきではないでしょうか。
3党それぞれ仲が良くないのは承知していますが、国民生活、そして今後の政局を考えて、「自民・立憲の大連立を阻止する」という目的では一致できるのではないでしょうか。
仮に石破総理が衆議院解散に打って出たとしても、「はたらく人の年金を守る」と銘打って年金問題を争点に選挙戦を戦えば、自民党が大惨敗を喫した2006年の参院選の再現ができるのではないでしょうか。
しかも今回は、与党第1党の自民党だけではなく、野党第1党の立憲民主党にも引導を渡すことができます。
自民党の小泉農水大臣が表に出てきて「農協改革」を訴えたとしても、逆に「こども家庭庁廃止は改革の本丸」と言って自公政権の稚拙な少子化対策をやり玉にあげれば、返り討ちにできるのではないかと思います。
衆議院野党第2党・第3党・第4党の日本維新の会・国民民主党・れいわ新選組の決断に期待します。
8.トピックス:長嶋茂雄読売巨人軍終身名誉監督逝去
6月3日に長嶋茂雄読売巨人軍終身名誉監督が逝去されました。
私は長嶋茂雄さんの現役時代をリアルタイムで見たわけではありませんが、1994年の長嶋巨人の初めての日本一は、テレビ中継をリアルタイムで見て、劇的な展開に痺れました。
1994年日本シリーズ 長嶋ジャイアンツ対森ライオンズ第2戦
1994年日本シリーズ 長嶋ジャイアンツ対森ライオンズ第3戦
1994年日本シリーズ 長嶋ジャイアンツ対森ライオンズ第5戦
1994年日本シリーズ 長嶋ジャイアンツ対森ライオンズ第6戦Vol1
1994年日本シリーズ 長嶋ジャイアンツ対森ライオンズ第6戦長嶋ジャイアンツ優勝およびビールかけ
ミスタープロ野球・長嶋茂雄さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

憲法9条変えさせないよ
プロ野球好きのただのオジサンが、冗談で「巨人ファーストの会」の話を「SAMEJIMA TIMES」にコメント投稿したことがきっかけで、ひょんなことから「筆者同盟」に加わることに。「憲法9条を次世代に」という一民間人の視点で、立憲野党とそれを支持するなかまたちに、叱咤激励と斬新な提案を届けます。