安倍晋三前首相が東京五輪開会式を目前に欠席を決めた。首相時代に五輪招致を主導し、コロナ禍で1年延期を決め、病を理由に首相を退いた後は東京五輪組織委員会の名誉最高顧問となった張本人が、東京五輪への不信感が国内外に広がるなかで「敵前逃亡」した格好だ。唖然とするほかない。
安倍氏はコロナ禍の大会開催に国民の多数が反対するなかでも「オールジャパンで対応すれば何とか開催できる」 「歴史認識などで一部から反日的ではないかと批判されている人たちが今回の開催に強く反対している」「人類がコロナに打ち勝った証しとして完全な形で東京五輪を開催する」などと語り、大会開催を支持してきた。ところが、選手村で感染が拡大し、開会式の音楽や演出を担当する主要メンバーの人権軽視の言動に海外からも批判が噴出するや、開会式目前に一転して欠席する意向を関係者に伝えたのである。
NHKや朝日新聞などの主要マスコミは安倍氏の欠席について「緊急事態宣言が出され、開会式が無観客で行われることなどを考慮したものと見られる」と安倍氏側の言い分をそのまま伝えている。これぞ安倍氏の意向を忖度した「大本営発表」の垂れ流しではないか。「東京五輪失敗」の全責任を菅義偉首相に押し付けて首相の求心力を低下させ、自らの「首相への再々登板」への流れをつくる政治的思惑を指摘することこそ、権力監視を旨とする報道機関の務めのはずである。しっかりしてほしい。
日本憲政史上最長となった安倍政権の最大の求心力は東京五輪であった。
政権発足から間もない2013年9月のIOC総会で福島第一原発の汚染水について「アンダーコントロール」と大見得をきって招致を勝ち取り、2016年のリオ五輪閉会式ではスーパーマリオに扮して東京五輪をアピールした安倍氏を超える「東京五輪の顔」はない。
安倍氏が東京五輪の運営を全面的に任せたのは、自民党と密接な関係にあった電通であった。安倍長期政権のもとで「自民党のシンクタンク」であった電通は「日本政府のシンクタンク」と化していく。巨額の税金が注ぎ込まれる五輪関連事業を独占的に差配するだけでなく、コロナ対策をはじめ政府発注の事業全般について影響力を拡大し、政府から大規模事業を受注して「中抜き」で巨額の利益を得るビジネスモデルが定着したのだった。
まさに「安倍・電通政権」である。広告業界に君臨する電通を通じて経済界やマスコミ界にもにらみを効かせてきたのだ。
安倍氏にとって東京五輪は「マスコミ支配」を完成させる切り札でもあった。主要テレビ局は東京五輪の放映権を獲得するために安倍政権にすり寄るようになった。
朝日・読売・毎日・日経・産経の主要新聞社もこぞって東京五輪スポンサーとなり、「安倍・電通」が支配する翼賛体制に加わった。スポンサーを拒むことは電通が仕切る広告ビジネスの枠組みからはじき出されることを意味し、部数減に苦悩する各新聞社は服従したのだった。五輪が開幕してスポンサー企業の広告が大々的に並ぶ新聞紙面は「安倍・電通」によるマスコミ支配を如実に映し出す。安倍政権に意向を忖度して数々の疑惑の追及に及び腰だったマスコミ報道の背景に巨大な「五輪利権」があったのは誰の目にも明らかだ。
国政選挙に6連勝して憲政史上最長となった安倍政権の「戦果」は、東京五輪抜きには語れない。だが、数々の疑惑追及に疲れ果て、病を理由に政権を投げ出した安倍氏にとって、東京五輪は菅政権の支持率回復の材料にしか映らなかった。東京五輪が一転して「沈みゆく船」となるや我先にと逃げだすその姿に「自分ファースト」の安倍政治の本質をみる思いがしたのは私だけではあるまい。
東京五輪を盛り上げてコロナ対策に対する国民の不満を帳消しにし、その間にワクチン接種を進めて支持率を回復させ、秋の衆院選・自民党総裁選を乗り切るーー東京五輪の想像を超える迷走で、菅首相の描く政局シナリオには黄信号が灯っている。菅政権の失速は、安倍氏復権の必須条件だ。
最近のマスコミ世論調査の「次期首相」には石破茂元幹事長、河野太郎ワクチン担当相、小泉進次郎環境相と並んで安倍氏もランクインするようになった。菅首相や枝野幸男立憲民主党代表よりも上位に顔を出している。東京五輪開会式のドタキャンは、首相再々登板への政治的野望をなりふり構わず追い求める安倍氏の意思をくっきりと映し出している。