政治を斬る!

安倍氏暗殺事件の本質は「母親と統一教会」なのか?山上容疑者を孤立させ、絶望させ、犯行に駆り立てたもの

私は今回の参院選にあたり、①自らの支持政党(れいわ新選組)を表明したうえで、支持する理由を明確に示すという主体的な選挙報道に挑戦する(客観中立を装いながら各政党の主張を垂れ流すことに終始するマスコミの傍観的選挙報道と決別する)②新しい層に政治や選挙に関心をもってもらうため、ユーチューブでのわかりやすい動画配信に全力をあげる③新刊『朝日新聞政治部』を紹介してくれるメディアの取材はできる限り応じるーーという基本方針を決めて臨んだ。

これはけっこう大変だった。参院選をめぐる全体状況は当然情報収集して理解しなくてはならないし、大勝が予想された自民党内の権力闘争の行方や惨敗が確実視されていた立憲民主党内の空気も知っておく必要がある。それに追われているなかで投票2日前に安倍晋三元首相の暗殺事件が発生し、この情報分析や今後の影響の解析も怠るわけにはいかず、超絶な忙しさのなかでこの1ヶ月は過ぎ去った気がしている。

現時点でさまざまなメディアから①参院選を受けた政局の行方の読み解き②安倍氏暗殺が自民党内の権力構造に与える影響ーーといった執筆依頼が相次いでいて、ようやく執筆にとりかかったところだ。

そのなかでやはり気になっているのは、安倍氏暗殺事件の背景である。マスコミ報道を斜め読みすると、テレビ局を中心に安倍氏の功績を讃える報道と、山上徹也容疑者が「母親が寄付を重ねた統一教会への恨みと安倍氏とのかかわり」を犯行動機として供述したことから自民党と統一教会との関係を追及するネット中心の報道に二分されているようだ。

政治家を礼賛する報道には頭を抱えるしかないが、暗殺事件の原因を統一教会に特化する報道にも私はなんとなく違和感を抱いていた。統一教会が抱える社会問題は追及すべき問題だし、自民党との濃密な関係にはじめて焦点があたったのも重要な一歩であると思うのだが、どうもそれだけでは山上容疑者を犯行に駆り立てた本当の動機は解明されないのではないかと思ったのである。

その疑問を解明するための情報収集に費やす時間的余裕がなくて、これまでこの事件についてはあまり深入りした見解を示さないできたのだが、7月13日の文春オンライン『「母から金の無心は嫌というほど味わった」伯父が告白150分 狙撃犯・山上徹也と統一教会』で少しナゾが解けた気がした。山上容疑者の父方の伯父が150分間に及ぶインタビューに応じたという記事である。

14日の週刊文春にさらに詳しい記事が掲載される。私に漏れ伝わってきたその内容からは、山上容疑者の壮絶な人生が見えてくる。安倍氏を礼賛したり、統一教会の問題ばかりに特化したりする薄っぺらいマスコミ報道とはまるで異なる迫力に満ちた記事だ。ぜひご覧いただきたい。

どんな理由があろうとも、今回の犯行は許されるものではない。しかし、その犯行をもたらした原因を本人のみに帰するとしたら、また同じ暴挙が繰り返されるであろう。そこには必ず社会的要因が隠されている。そこを掘り下げるのがジャーナリズムの使命だ。

では、今回の事件において、その社会的要因とは、母親が統一教会にのめり込んだということだけなのか。

いや、違うだろう。かりに母親が統一教会にのめりこんで家族が生活苦に陥ったとしても、子どもたちが母親から自立し、社会から孤立せず、自らの人生に絶望せず、生き抜いていくことができる社会であれば、このような暴挙は起きなかったのではないかーー週刊文春の記事はそう思わせる内容だ。

ここで思い起こしたのは、明石市の泉房穂市長との対談である。

泉さんは4歳の時、壮絶な体験をする。弟が障害を持って生まれてきた。当時の兵庫県は今では信じ難い優生思想に染まった政策を進めており、障害を持って生まれてきた赤ちゃんを放置して命を奪うということを推奨していたのである。泉さんの両親はいったんそれを受け入れたものの翻意して赤ちゃんを連れ帰り、さまざまな偏見に負けず育てていく。幼い泉さんはそのなかでごく一部の者を切り捨てる社会に疑問を感じ、それが現在の「誰一人見捨てない」という政治理念の原点となるのだ。

私は泉さんの政治理念と、れいわ新選組の山本太郎代表の「生きているだけで価値がある」という政治理念に共通性を感じ、泉市長と対談したのだった。とりわけ今回の参院選で「また障害者を擁立するのか」という批判を浴びながらも世界で最も重い障害を持つ研究者の一人とされる天畠大輔さんを比例区特定枠に擁立したことと、泉市長の理念がぴたりと重なると思ったのだった。

この対談で泉さんが強調していたのは、①親と子どもの人生は違う②しかし今の制度では親が裕福であれば障害を持つ子どもは公的助成を受けられない。それは子どもを親の所有物とみなしているからだ③その結果、子どもは親の意思に反したかたちでは生きていけない④それではダメだ。明石市では親ではなく子どもひとりひとりを支援する政策を徹底しているーーということだった。そのような考え方は、親元を離れ施設からも家出して自立生活を目指してきた、れいわ新選組の木村英子参院議員の生き方とも重なると話していた。

この対談の様子は以下の動画のなかで詳しく報告している。ぜひご覧ください。

繰り返そう。安倍氏暗殺を機に、統一教会の社会的問題を追及することも、自民党と統一教会の歪んだ関係を白日の下にさらすことも重要なのだが、それ以上に、山上容疑者を社会から孤立させ、絶望に追い込み、犯行に駆り立てたこの社会の病理を根本的に見つめない限り、同様の犯行は繰り返されるだろう。仮にれいわ新選組が今回の参院選で掲げた「奨学金チャラ」「教育の完全無償化」が実現していたならば、山上容疑者はこのような犯行に及ぶことはなかったであろう。

「誰一人見捨てない社会」を実現させることこそ、政治の責務であり、その問題をクローズアップさせることこそ、ジャーナリズムの責務であることを、文春報道は物語っている。

この報道を契機に、この事件のより本質的な部分に世論の関心が向くことを期待したいし、私も鮫島タイムスや他媒体でそのような発信をしていきたいと思う。

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