2022年の日本政界で私が最も注目する政治家は麻生太郎氏である。
失言暴言を繰り返す81歳の老害政治家に注目するとは何事かというお叱りを受けそうだが、それでも岸田政権誕生後の現実政治において麻生氏は最大のキングメーカーであり、最大のキーパーソンであるというほかない。
ここに至る政治の流れをいまいちど確認しておこう。
①憲政史上最長の安倍政権は安倍晋三氏、麻生太郎氏、二階俊博氏、菅義偉氏の4長老が世代交代阻止の一点で談合し、すべての国家利権を分け合う「長老支配」だった。
②安倍首相が退陣表明した後、二階氏は菅氏擁立で先手を打ち、菅政権で権勢を誇った。安倍・麻生両氏は二階氏主導の菅政権に不満を募らせ「菅おろし」を仕掛け、退陣に追い込んだ。
③2021年総裁選では安倍氏は高市早苗氏を、麻生氏は岸田文雄氏を、菅氏は河野太郎氏を、二階氏は野田聖子氏を後押しし、「4長老の談合政治」は終焉した。この政治闘争を制したのは麻生氏であった。二階氏と菅氏は失脚し、安倍氏の影響力も陰った。
④麻生氏は自民党副総裁に就任してキングメーカーとして君臨。安倍氏が求める「高市幹事長・萩生田官房長官」の人事を拒絶するばかりか、安倍氏の政敵で岸田派ナンバー2の林芳正氏を外相に抜擢して「ポスト岸田」に引き上げ、安倍氏の政治基盤を揺さぶった。「共通の政敵」が姿を消し、安倍・麻生両氏の盟友関係は軋み始めた。
⑤麻生氏が目指すのは、老舗派閥・宏池会を源流とする麻生派・岸田派・谷垣グループを再結集させる「大宏池会」の実現である。安倍氏率いる最大派閥・清和会を上回る勢力をつくり、そのトップとして君臨し、清和会時代から宏池会時代へ転換させる立役者として自民党史に名を残すという野望だ。
以上はこれまでSAMEJIMA TIMESで繰り返し指摘してきた(『安倍ー麻生の間にすきま風。岸田政権は「大宏池会」結成を見据え「麻生優位」で動き始めた』(2021年10月19日)や『麻生氏が「ポスト岸田」として用意した「茂木幹事長」と「林外相」』(11月3日)など参照)。このほか、 プレジデントオンライン『「岸田政権はさっさと潰して構わない」安倍氏と麻生氏の全面対決が招く”次の首相”の名前』(11月11日)や、サンデー毎日『安倍・麻生「同盟」を断つ新外相・林芳正』(11月16日発売号)』でも同様の解説を示してきた。
麻生氏が安倍氏との盟友関係を断ち切り清和会に対抗する「大宏池会結成」へ動くのか。それとも安倍氏との盟友関係に配慮して「大宏池会結成」を見送るのか。ここが2022年日本政界を読み解く最初のポイントである。
これは麻生氏個人の政治的野望が実現するか否かという世俗的な政局の話にとどまらない。裏返せば安倍氏が国家権力中枢に踏みとどまるのか転げ落ちるのかという問題であり、さらには憲法改正や新自由主義的な経済政策の行方も左右する話である。
政局報道の本質的意味は、政治家の勝ち負けにあるのではない。それによって日本社会がどこへ向かうのかを指し示すことにある。私が麻生氏に注目するのは、そのような理由からだ。
岸田政権のキングメーカーとなった麻生氏の動向を受け、日本社会がどのように変わっていくのか。SAMEJIMA TIMES は本年、それを先取りして読み解いていきたい。
文藝春秋もどうやら麻生氏をことしの日本政界のキーパーソンと見定めているようである。新年特別号に麻生氏のインタビューを掲載しているからだ。
このインタビューでまず目を引くのは、『麻生太郎が語る祖父・吉田茂 日米安保の調印にこぎつけた吉田茂の”リアリズム”』というタイトルである。
なぜ麻生氏はこのタイミングで祖父・吉田茂を語るのか。なぜ文藝春秋は麻生氏に吉田茂を語らせる企画を新年特別号に採用したのか。政治家や政治記者はそう考えるものだ。インタビューを読めばその答えは透けて見えてくる。麻生氏はこう切り出している。
吉田茂の何がすごかったか。後世に名を残す理由を改めて考えてみると、真っ先に思い浮かぶのは、彼の決断力ですね。
自らの血統に強烈なプライドを抱く麻生氏。彼が「祖父・吉田茂が後世に名を残した理由」を語るのが、この新春特別号のインタビューの主眼なのだ。
私はここを読むだけで、麻生氏がことし「後世に名を残す業績」に意欲をたぎらせていること、さらには歴史的な大仕事をするには「決断力」が必要だと思い定め、自らにはその「決断力」が備わっていると自負していることを感じ取った。
麻生氏はつづけて、第一次吉田内閣が選挙で社会党に大敗し、一度は下野したことに言及する(麻生内閣が民主党に大敗して下野したことと重ね合わせているかのようだ)。そして吉田茂が次の選挙で勝利し、首相の座に返り咲く歴史に話はつづいていく。麻生氏は自らの「返り咲き」もまだ諦めていないのかもしれない。
その麻生氏が吉田茂を高く評価するのは「現実主義的なセンス」だ。吉田茂が1951年に渡米し、サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約を結ぶ際、財政的理由から日本を早く手放したかった米国務省と、ソ連の脅威に備えて在日駐留米軍を維持したかった米国防総省の間隙を突き、「独立の約束を取り付けるかわりに、駐留米軍は認める」という提案を持ちかけて日米安保の調印にこぎつけた手腕を絶賛している。
麻生氏はそのうえで、吉田茂が渡米に同行した池田勇人にサンフランシスコ平和条約には一緒に署名させる一方で、日米安保条約には自分自身しか署名しなかったことを紹介し、「米国との交渉にあたった自分が全責任を負うから、他の人間にはサインさせないという思いがあったんでしょう」と述べているのである。
私はこの部分がいちばん印象に残った。池田勇人は宏池会の初代会長である。戦後日本を軽武装・経済重視へ導いた吉田路線の継承者といっていい。それは安倍氏の祖父・岸信介やその流れを汲むタカ派の清和会とは対極に位置する系譜である。
吉田茂は池田勇人の政治生命を傷つけないように日米安保条約にサインさせず、自分自身が全責任を負ったーー麻生氏は2022年の幕開けにあたり、あえてこのエピソードを披露したのである。
麻生氏が祖父・吉田茂に自らを重ね合わせているのは間違いない。だとするならば、宏池会初代会長の池田勇人に重ね合わせているのは、宏池会第9代会長の岸田文雄首相なのかどうか。
いずれにせよ、麻生氏の「大宏池会」再興への並々ならぬ意欲を私は感じ取ったのである。