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安住淳と古川元久〜二人の国会対策委員長の因縁の歴史にみる立憲民主党と国民民主党の埋めがたい溝

立憲民主党の安住淳国対委員長が1月13日、国民民主党の古川元久国対委員長と国会内で会談し、立憲と維新が合意した国会共闘に国民も加わるように呼びかけたが、古川氏は拒否した(こちら参照)。

国民は立憲や維新に先駆けて自民に接近し、昨年は政府提出の当初予算案や補正予算案に賛成するという「一線」をすでに超えている。今さら立憲・維新の共闘に加わったところで埋没するだけであり、立憲・維新よりもさらに自民よりの姿勢を強めることで存在感を発揮するしかないという判断であろう。

さらには国民が自民と水面化で折衝してきたのは麻生太郎副総裁や茂木敏充幹事長である。これに対し、立憲は岸田官邸や財務省、維新は菅義偉前首相をカウンターパートにしている。自民党内の主導権争いも絡んで、そう簡単には連携できないという事情もあろう。

いずれにせよ、野党第一党の立憲、野党第二党の維新、野党第三党の国民が競うように自民に接近する今の政界地図は、自民党にとって「楽勝」モードである。戦前日本のように国会が与党一色に染まる大政翼賛体制が現実のものになりつつあり、日本の民主主義は重大な岐路にさしかかっているのは間違いない。

以上の指摘をしたうえで、私はこの安住ー古川会談の決裂のニュースに接し、民主党時代からの人間模様を思い浮かべてしまった。今の政局を読み解くうえでも参考になると思うので、紹介したい。

古川氏と安住氏は1996年衆院選初当選の同期である。鳩山由紀夫氏と菅直人氏が立ち上げた旧民主党の結成に参加し、旧民主党の生え抜き一期生として当選した。

古川氏は大蔵省(現財務省)のキャリア官僚から転身した。東大在学中の20歳で司法試験に合格した「秀才」として知られ、初当選後もマスコミに民主党の政策通ホープとしてもてはやされた。

安住氏は政治家を多く輩出している早大雄弁会を経てNHKに入り、政治部記者から政界へ転身した。もともと自民党にも人脈を持ち、民主党内では稀有な政局通として注目を集めていた。

ふたりは背丈が低いという共通点はあるものの、官僚出身の政策通と、政治記者出身の政局通という、正反対の資質を備えたライバルだったのである。

1998年に旧新進党組が旧民主党に合流し、新民主党が誕生して野党第一党となった後、党内にはいくつかの派閥(グループ)ができた。そのなかでも若手ホープが結集したのは、仙谷由人氏、前原誠司氏、枝野幸男氏が中心になって結成した凌雲会だった。

仙谷氏は旧社会党のホープとして政界入りしたが、新党ブームが起きた1993年衆院選で落選し、旧民主党結成時は議員ではなく、同世代の鳩山・菅両氏に出遅れていた。96年衆院選で国政に復帰した後、93年初当選組の前原氏と枝野氏に加え、96年初当選組の古川氏や安住氏も引き込み、人材豊富な派閥(グループ)を作り上げて鳩山・菅両氏に対抗したのである。この凌雲会には福山哲郎氏、細野豪志氏、小川淳也氏ら若手有望株が次々に加わり、勢力を拡大していった。

93年初当選の前原氏と枝野氏が民主党の将来を担う双璧として注目されていたが、それに続く96年初当選組の双璧として古川氏と安住氏は競い合ってきたのである(自民党でいうと、93年初当選組は安倍晋三氏、岸田文雄氏、茂木敏充氏らである。一方、96年初当選組は菅義偉氏、河野太郎氏らだ)。

私は朝日新聞政治部で2001年にはじめて民主党を担当した時から古川氏と安住氏という対照的な二人に注目してきた。古川氏が政策通を売りにする民主党若手を代表するタイプだったのに対し、安住氏は政治記者出身らしく他党との交渉や党内調整に奔走した。マスコミには古川氏が取り上げられることが多かったが、私は政策通がひしめく民主党では安住氏のほうが重宝されて頭角を現すのではないかとみていた。

その予感が的中したのは、2009年に民主党が政権を奪取した後である。古川氏は菅内閣で官房副長官に起用された後、野田内閣で経済財政担当相に起用されたのに対し、安住氏は菅内閣で国対委員長に起用された後、野田内閣でいきなり財務相に抜擢されたのだ。

経済財政担当相は事実上、官邸の管理下に置かれ、自前のスタッフも少ない。それに対し、財務相は最強官庁の財務省を率いる最有力閣僚だ。財務官僚出身で政策通を自負する古川氏にとって、ライバルの安住氏の財務相就任は屈辱だったろう。

ここからふたりの政治家人生は明暗を分けていく。安住氏が野田内閣の野田佳彦首相や岡田克也副総理との絆を深めていくのに対し、古川氏は野田氏のライバルだった前原氏と連携していく。財務省は野田ー岡田ー安住ラインを重視して民主党政権下で消費税増税の自公民3党合意を実現し、その蜜月関係は今の立憲民主党にも受け継がれている。一方、古川氏と財務省の距離は開いていった。

民主党政権が崩壊した後、民主党、民進党、希望の党、国民民主党、立憲民主党という政党の栄枯盛衰を経た今、安住氏が野党第一党の国対委員長として岡田幹事長とともに党運営を牛耳り、古川氏が野党第三党の国対委員長として財務省の後輩である玉木雄一郎代表を推し立てながら独自路線にこだわる姿は、20年にわたって民主党内の人間模様を眺めてきた立場からすると、政局的意味を超えて興味深い。政治というものは大局的な構図だけではなく、極めて属人的な感情にも流されて動くと感じずにはいられない。

玉木代表を国民民主党内で支えてきたのは、財務省の先輩である古川氏と岸本周平氏だった。玉木ー古川ー岸本ラインは必ずしも財務省の緊縮財政路線に与していない。古巣の財務省に対する愛憎半ばの思いを共有しているのではないか。岸本氏が自民党の二階俊博元幹事長の支援を受けて和歌山県知事へ転身した今、玉木氏の唯一の後ろ盾は古川氏となった。紆余曲折を経て今は国民民主党に身を置く前原氏は玉木ー古川ラインとは一線を画して維新との連携を探っている。

独自路線を歩む国民民主党に玉木代表以上に思い入れを持っているのは、古川氏かもしれない。安住氏が立憲民主党を牛耳っているうちは、手を握り合うことはまずないだろう。

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