今夏に参院選があるというのに、対決法案もスキャンダルもないまま淡々と進む今国会。
野党第一党の立憲民主党は「提案型野党」を掲げる泉健太代表のもとで政権追及の気迫がまったく感じられず、岸田内閣の支持率は高止まりのままだ。
このまま波静かに国会が閉幕すれば、参院選の投票率は伸び悩み、毎度の自公逃げ切りパターンとなろう。改憲勢力が3分の2を占める可能性は極めて高くなっている。
自公与党の国会運営が狡猾なのか、立憲民主党に本気で戦う覚悟がないのか。
いずれにせよ、国会はその最大の責務である内閣(国会権力)の監視を十分に果たしているとは言い難い。日本維新の会や国民民主党は自公与党へ接近し、国会は与党一色に染まる全体主義に覆われつつある。
そのなかで自公政権は危険極まりない法案を今国会で通そうとしている。ネット上の誹謗中傷対策として侮辱罪を厳罰化し、懲役刑を科すことを可能とする刑法改正案だ。
さすがの立憲民主党もこの刑法改正案ばかりは看過できないと考えているようだ。野党第一党の意地をみせて何とか廃案に追い込んでもらいたい。
自公政権はフジテレビの『テラスハウスTOKYO 2019-2020』に出演していた女子プロレスラーの木村花さんの死を受けて「ネット上の誹謗中傷を抑止する」とし、侮辱罪を厳罰化する刑法改正案をまとめ国会に提出した。
刑法改正案は4月21日に衆院で審議入りしたが、国会審議で浮かび上がってきたのは、この機会を逆手にとって閣僚や与党幹部ら政治家への批判を「侮辱」と解釈し、権力批判を封じ込めようとする権力者たちの思惑だ。
例えば4月27日の衆院法務委員会ではこんな質疑があった。
米山隆一衆院議員「私が『総理は嘘つきで顔を見るのも嫌だ。早く辞めたらいいのに』と言った場合、これは『嘘つき』という侮辱的表現を含むものだと思いますが、この発言は侮辱罪に該当しますか? これを私ではなく私の妻がコラムで書いた場合には該当しますか? 新潟県魚沼市で精肉店を営んでいる私の母が、買いに来たお客さんにこの言葉を言った場合には侮辱罪に該当しますか? それぞれ法的根拠をもとに答えてください」
法務省の川原隆司刑事局長「具体的な事例をお示しになって犯罪の成否をお尋ねになっているところでございまして、犯罪の成否は収集された証拠に基づき個別に判断される事柄でございますので、この場で、法務当局あるいは法務省として、その犯罪の成否についてお答えをすることは差し控えたい」
どのような言論が「侮辱罪」にあたるのか? 例えば安倍晋三氏が首相時代に繰り返した「桜を見る会」関連の発言を「嘘つき」と酷評した場合、侮辱罪にあたるのか?
米山議員の指摘はこの法案審議の根幹である「侮辱」の範囲を問うものだ。それがあいまいなままでは、国家権力側が政権批判に対して恣意的に「侮辱」と解釈して批判勢力を弾圧する恐れが拭えない。
これに対し、法務省刑事局長の答弁は「侮辱」の範囲をぼかす極めて不誠実な内容だった。「個別に判断」するという説明では、「侮辱」の判断をそのつど国家権力(警察)が自由自在にできることになってしまう。これではこの法改正にとても賛成できない。
この刑事局長答弁だけでも今回の法改正は絶対に阻止すべきものと考えるが、この日の質疑では、警察行政のトップである二之湯智国家公安委員長のあまりにひどい答弁があった。以下に要約を掲載するが、ツイッターで動画も紹介されているのでぜひご覧いただきたい。
藤岡隆雄議員「閣僚または国会議員を侮辱した方は逮捕される可能性がありますか」
二之湯国家公安委員長「ありません」
藤岡「どこにそういう根拠があるのか」
二之湯「言論の自由を最大限尊重すべきだという配意からあり得ない」
藤岡「閣僚または国会議員を侮辱して逮捕される可能性は一切ないというように法律を変えるということでよいか」
二之湯「不当な弾圧をすることによって逮捕されるということはないということだ」
藤岡「そのように法案を修正するようお願いします」
二之湯「私が申し上げたのは、不当な弾圧として逮捕することはないということだ 」
(※しばらくこの質疑の繰り返し)
藤岡 「つまり逮捕される可能性があるということか」
二之湯「不当な弾圧として逮捕されるということはあり得ないと申し上げている。そして、ちょっと訂正させていただきますけども、侮辱罪を犯した者が逮捕される可能性はまだ残っているということでございます」
藤岡「つまり逮捕される可能性があるということか」
二之湯「言論の自由、基本的人権に配慮しつつ、警察としても対処してまいりますから、そういうこと(逮捕)はあってはならないし、ないように願いたい」
「閣僚または国会議員を侮辱した方は逮捕される可能性があるか」というシンプルな質問に対し、最初は「ありません」と断言し、その根拠を問われると、「言論の自由を最大限尊重すべきという配慮からあり得ない」とトーンダウンし、さらに追及を受けると「逮捕される可能性は残っている」と認めたのである。
要するに、逮捕するのも逮捕しないのも警察が決めることーーというわけだ。「そういうこと(逮捕)はあってはならないし、ないように願いたい」という締めくくりの答弁にいたっては、もはや担当大臣の言葉とは思えない無責任発言である。
そもそも自民党が侮辱罪の厳罰化を求める提言を政府に提出した時点で、自民党PT座長の三原じゅん子参院議員は「政治家であれ著名人であれ、批判でなく口汚い言葉での人格否定や人権侵害は許されるものでは無い」とツイートするなど、自公政権には侮辱罪の厳罰化を政権批判封じに利用する思惑が透けていた。案の定、国会審議でその本音があらわになったのである。
これは国家権力が政権批判を防ぐため、憲法が保証する「表現の自由」や「言論の自由」を抑え込むことを可能とする、とんでもない悪法だと断言していい。
こんな悪法をこのまま成立させたら、野党は権力監視の責務を放棄したというほかない。国会閉会後の参院選で何を主張したところで、本気度は疑われるだろう。
日本維新の会や国民民主党は与党にすり寄り、権力監視の責務を放棄している。その意味においてもはや「野党」と呼ぶに値しない。立憲民主党も「批判より提案」を優先した時点で権力監視の役割を半ば放棄しつつあったが、この法案改正を審議している衆院法務委員会では階猛衆院議員らが厳しく岸田政権を追及している。
このままこの改正案を成立させ、波静かなまま国会を閉じて参院選に流れ込めば、立憲民主党は存在感のないまま惨敗するだろう。
いまからでも「侮辱罪の厳罰化」は政権批判を封じるための自公政権による権力濫用であるという世論を盛り上げ、検察庁法改正案を世論の盛り上がりでつぶしたことの再現を目指すべきだろう。
言論の自由を最も守るべき立場にあるマスコミがこの問題をほぼ素通りしているのも情けない話だ。もはや権力と一体化する政府与党の広報機関に成り下がっているとしかいいようがない。
デジタル化に出遅れた新聞社には「侮辱罪はネットメディアの問題」として他人事に受け止める風潮も根強い。しかしこれは国家権力による言論の自由・表現の自由の弾圧という民主主義の根幹にかかわる問題だ。二之湯国家公安委員長のいい加減な答弁をみながら、この法案に反対するキャンペーンを展開しないようでは、もはやジャーナリズムを名乗る資格はない。