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枝野幸男お前もか!「この夏、日本政治全体のフェーズが変わった。20年以上通用してきた常識や前提が崩れた」という立憲民主党創始者の真意

立憲民主党は今夏の参院選に惨敗した後、岡田克也幹事長と安住淳国会対策委員長が党中枢に復帰し、「共産・れいわ・社民との野党共闘」から「維新との国会共闘」へ舵を切った。さらには自民、公明、立憲、維新の4党協議の枠組みを設置し、他の野党を外すかたちで統一教会の被害者救済法案の策定を進めている。

立憲最高顧問の野田佳彦元首相が自民党の安倍晋三元首相の国葬に参列し、さらには安倍氏を称える国会追悼演説を行って自民・公明・立憲・維新の国会議員から称賛された様子は、国会内で与野党の第1党・第2党が連携する「4党合意」政治が動き出したことを端的に示している。

国会は「与野党激突」から「与野党協調~大政翼賛体制」へ針路を大きく変えたのだ。

政治学者の中島岳志さんはこの新しい政治状況を「与ゆ党体制」と呼んでいる。「ゆ党」とは「野(や)党」と「与(よ)党」の中間ということ。大連立を組むほどではないが、政権運営への参画をめざして与党と友好関係を探る立場である。

これは枝野幸男氏が2017年衆院選直前、前原誠司氏や細野豪志氏らが小池百合子・東京都知事を担いで発足させた「希望の党」から排除され、自公政権と真正面から対峙する「まっとうな野党」として立憲民主党を旗揚げした結党の理念を根底から覆すものである。

維新と組んだうえで自公政権に歩み寄る姿は、立憲がかつて激しく批判した「希望の党」と瓜二つだ。

立憲創始者である枝野氏は今の立憲執行部の路線転換をどうみているのだろうか。苦々しく感じているのかと思いきや、どうもそうではなさそうだ。

枝野氏は野田元首相が安倍追悼演説を行った10月25日、野田氏を称賛するツイートを発信した。

それに続いて、以下のツイートを発信した。私は一瞬、目を疑った。自民・公明・立憲・維新が協調する「与ゆ党体制」への転換を明確に支持する内容だったからだ。

この内容を詳しく読み解いてみよう。

この夏以降、野党というよりも、日本政治全体のフェーズが大きく変わりました。

ここでいう「この夏」というのは、参院選最中に安倍晋三元首相が凶弾に倒れたことである。2012年の民主党政権の崩壊・自民党の政権復帰以降、最大派閥・清和会を率いて日本政界に君臨してきた安倍氏が突如姿を消したことで、「日本政治全体のフェーズが大きく変わった」というのだ。

民主党が野党に転落した後、民主党ー民進党ー立憲民主党という野党第一党はつねに「安倍政治」と戦ってきた。立憲民主党の旗揚げも「安倍政治」に対抗するためだった。その元締めである安倍氏が政界から消えたことで、与野党対立の前提が大きく崩れた。新しい政治状況が生まれたなかで、これまでの路線をリセットすべきであるーーというわけである。

20年以上通用してきた常識や前提が崩れています。

ここでいう「20年以上」とは、自民党最大派閥の清和会(安倍派)が日本政界に君臨してきた歳月である。長らく非主流派だった清和会の小泉純一郎氏が「自民党をぶっ壊す」と叫んで自民党総裁選に勝利した2001年以降、愛国心を煽る外交安保政策や貧富の格差を拡大させる新自由主義が日本政界を席巻し、野党第一党はそれと戦ってきた。穏健リベラルの歴史を持つ宏池会の岸田文雄政権誕生で清和会支配が揺らぎ、与野党の対決構図にも変化が生まれた。キングメーカーの安倍氏の退場で清和会支配の終焉は決定的となり、「20年以上通用してきた常識や前提」=「清和会が支配する自民党との激突」が崩れたというのだ。

この変化の本質をいち早く把握した勢力が次の主導権を握ると思います。

ここでいう「この変化の本質」とは「清和会支配の終焉=宏池会への権力移行」によって野党第一党の使命は自民党政権との「激突」から「協調」へ変わるということである。そしてその変化を「いち早く把握した勢力が次の主導権を握る」と言っているのだ。

つまり、岸田政権との協調路線こそが時代の潮流であり、維新や国民民主党というライバル政党(あるいは立憲民主党内のライバル勢力)に先駆けて、立憲民主党の主流派が岸田政権との連携に踏み出すことで「次の主導権を握る」=「権力の中枢に近づく」というのである。

枝野氏の見解は当面の「権力闘争ゲーム」としては正しいかもしれない。だが、いくつかの重大な欠陥があると私は考えているので、ここに指摘しておこう。

まずは岸田政権はかつての宏池会政権(池田勇人、大平正芳、宮澤喜一らが首相として率いた政権)とは似て非なるものであるということだ。

私は朝日新聞政治部時代の2003年に宏池会を担当し、宮澤喜一の政界引退もスクープした。岸田首相は当時、当選3回の中堅議員で存在感は薄かった。すでに小泉政権が誕生していたが、そのころまでの宏池会は新自由主義とは明確に一線を画し、清和会と争う機運が残っていた。

だが、2012年〜20年にわたる歴代最長の安倍政権を経て、宏池会はすっかり変貌した。岸田首相は21年秋の総裁選で安倍氏の支援を得て決選投票で何とか勝ち上がり、30年ぶりの宏池会政権を樹立したのだが、宏池会は党内第4派閥の弱小勢力で、安倍氏と麻生氏に跪いてのスタートとなった。自民党内では清和会の影響力が隅々まで行きわたり、清和会に属していなくても新自由主義的な感覚が広く浸透していたのである。宏池会も例外ではなかった。

岸田首相が就任直後、清和会支配からの脱却を念頭に「成長より分配」を重視する「新しい資本主義」を掲げながらも、就任1年でそのキャッチフレーズがすっかり影を潜めたのは、すでに「成長重視」「大企業・金持ち優遇」「格差拡大」の新自由主義が宏池会を含めて自民党全体に根付いたことを物語っている。

つまり、安倍氏が退場して清和会から宏池会へ権力の重心が移ったとしても、新自由主義的な自民党政治の本質は何も変わっていないのだ。

それを「フェーズが変わった」「20年以上通用してきた常識や前提が崩れた」と位置付けるのは、単に岸田政権に歩み寄る口実づくりとしか私には思えない。

枝野発言でもうひとつ看過できないのは、今夏の参院選で「野党共闘」を掲げながら、「この夏以降、フェーズが変わった」と言って「与ゆ党体制」への移行をあっさり正当化してしまう不誠実さである。

これは2017年の立憲旗揚げの理念に共感して支持してきた人々を愚弄するものであろう。さらには自公政権を倒すという一点から、立憲への好き嫌いを棚上げして野党第一党として尊重し、野党共闘を進めてきた共産、れいわ、社民(それぞれの支持者を含む)、さらには無党派層を含めて野党共闘陣営に投票してきた多くの有権者の思いを踏みにじるものだ。

それら人々の多くが安倍政治に対して強い反発と憤りを抱いていたのは間違いない。しかし野党共闘を支持したのは、打倒・安倍政権にとどまらず、打倒・自公政権をめざしたからだ。安倍氏がいなくても、自公政権が続く限り、この国の政治はまっとうにならないと考えたからである。だからこそ、岸田政権が誕生した後の2021年秋の衆院選、2022年夏の参院選でも「野党共闘」を支持し、自らの選挙区に野党共闘で立つ立憲公認候補に複雑な思いを抑えながら1票を投じたのだ。

それを「フェーズが変わった」という一言で片付けることは、不誠実きわまりない。このような政治家の言葉は二度と信用されないだろう。

共産・れいわ・社民との野党共闘から、維新との共闘へ、さらには「与ゆ党体制」への転換をめざす一連の動きが、かつて野党共闘を率いた岡田氏や安住氏らの主導で進められていることが、さらに政治不信を膨らませる。どうしても路線転換が必要というのなら、野党共闘を訴えてきた過去を有権者に詫びて政界の一線を退き、次世代にバトンタッチするのが筋であろう。

本来ならケジメなき路線転換に対して真っ先に異議を訴えるべき立場にある立憲創始者の枝野氏でさえ、この路線転換を積極的に評価しているのだから、立憲民主党は2017年の結党理念を捨て去ったと断定してよい。

すべては自民党政権を倒すためではなく、安倍政権に対抗するための政治行動に過ぎなかったのだ。安倍氏がこの世を去ったことで、彼らはこの数年にわたる政治行動を一方的にリセットし、野党共闘を支持してきた人々に明確なアナウンスをしないまま、岸田政権へ歩み寄り始めたのである。

その先にあるのは、4党合意による消費税増税であろう。

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