2025年参院選の台風の目となっているのが、参政党だ。そのスローガンは「日本人ファースト」。
「排外主義だ」「極右だ」と批判するリベラル派も多い。だが本当にそうなのか。むしろ今、我々が見つめるべきは、参政党が浮上してきた背後にある「世界的な反グローバリズムの潮流」だ。
マスコミが語らなかった「移民=経済問題」
参政党が急浮上した背景には、日本社会が抱えてきた、ある種の“タブー”がある。
それは「移民政策」を巡る議論だ。マスコミはこれまで、移民問題をもっぱら「人権」の文脈で報じてきた。入管施設で亡くなったスリランカ人女性ウィシュマさんの事件は、象徴的だ。
SNSでは「生活保護や学生支援で外国人が優遇されている」といった声が拡散し、これを「ヘイトスピーチだ」と批判する論調も少なくない。だが、そうした“言葉の攻防”の陰で、見過ごされてきた構造的な問題がある。
それが「経済」である。
大企業は、人手不足を補う名目で「安価な労働力」を求め、政府に移民政策の拡大を強く働きかけてきた。その結果、移民によって日本人労働者の賃金水準が押し下げられ、格差は拡大した。
都市部に住む大企業社員やマスコミ関係者にとっては実感しづらいかもしれないが、地方では自らの生活圏で移民が急増し、不安と苛立ちが溜まっている。
参政党は、この「言語化されてこなかった感情」に名前を与えた。それが「日本人ファースト」だった。
欧米で進行する「グローバルvs反グローバル」の対立
参政党の構図は、日本独自の現象ではない。むしろ先進各国がすでに経験した道だ。
ヨーロッパでは、移民反対を掲げる新興政党が次々と台頭し、既存の中道右派・左派の二大政党は危機感を強め、新興勢力を「極右」として封じ込めようと連携した。
アメリカでは、トランプが共和党を乗っ取り、移民政策を批判しながら大衆の支持を集めて大統領にまで上り詰めた。
背景にあるのは、グローバル化の恩恵を受けて富を蓄積してきた経済エリート層と、賃金が抑えられ、生活が苦しくなった一般大衆の間に生じた、深刻な「格差」と「分断」だ。
移民は、その象徴となっている。安い労働力、外国資本による土地の買い占め、農薬や遺伝子組み換え食品──
いずれも、大企業やグローバル市場がもたらす生活不安として、大衆の怒りを集める材料となった。
参政党が訴えるのは、こうした反グローバリズムの立場であり、「極右」ではない。
日本の主要政党は“全員グローバリスト”
ここで日本の政党マップを見渡してみよう。
自民党は経済界との結びつきが強く、建前では移民への懸念に言及しても、実際には移民受け入れを推進してきた。表で不安に寄り添うふりをして、裏ではグローバル企業と手を握る──これが現実だ。
一方、立憲民主党は「人権」の旗を掲げて移民政策を後押ししてきた。賃金や格差という視点が乏しく、「外国人優遇」というイメージが広がってしまった。
国民民主党や維新の会も、移民に一定の批判姿勢を示してきたが、いずれも本質的にはグローバル経済を容認している。玉木代表はダボス会議に参加し、維新は大阪の国際化を政策の柱に据える。
れいわ新選組だけが、やや立場が分かれる。山本太郎代表は移民政策に反対の立場をとってきたが、共同代表の大石あきこ氏は人権重視の姿勢が強く、テレビ番組で参政党代表と真っ向から対立。このあいまいさが、れいわの勢いを削いだともいえる。
つまり、参政党を除けば、日本の政党はほぼすべて「グローバリズム政党」なのだ。
「日本人ファースト」は、怒りの象徴
参政党が躍進している背景には、そうした“グローバリズム一色”だった日本政治への不満がある。
参政党の特徴は、理念やイデオロギーではなく、草の根の党員組織づくりにある。神谷宗幣代表のもとで、オーガニックや食の安全を重視する主婦層を中心に全国に支持が広がった。
政策というよりも、「不安」や「不満」に敏感に反応し、共鳴し、組織に取り込んでいく。
「日本人ファースト」は、排外主義のスローガンではなく、グローバル化に見放されたと感じる大衆が、自らを守るために掲げた“怒りの言葉”なのだ。
ヨーロッパでは、「極右封じ込め」の名の下に中道右派と中道左派が手を組み、むしろ新興政党への支持を加速させた。
いま、日本でも「自民×立憲」の大連立構想が取り沙汰されている。参政党を封じ込めようとする動きが強まれば強まるほど、参政党は逆に勢いづくことになるだろう。
グローバルか、ローカルか──時代の選択
参政党の台頭は、たしかに危うい面もある。しかし、見なければならないのはその「現象の中身」だ。
それは、「排外主義」でも「極右」でもなく、社会の周縁に取り残された人々の、切実な叫びである。
グローバルとローカル、中央と地方、エリートと大衆──
分断は深まっている。
このまま既存政党が“上から目線”で封じ込めようとすれば、日本政治はさらに分断を深め、参政党旋風は一過性では終わらなくなるだろう。