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美化された戦争と生々しい戦争〜上官に取り入ることが不得手な者から順番に戦地へ送られていった

戦後76年となる今年の8月15日(私は「終戦の日」ではなく「敗戦の日」と呼んでいる)に報道されたふたつのニュースを題材に「戦争とは何か」を改めて考えてみたい。

ひとつは戦争指導者の孫、安倍晋三前首相の靖国神社参拝である。今回は歴史的・政治的・法的問題には立ち入らず、安倍氏が参拝後に発した言葉に着目したい。産経新聞が報じた『安倍前首相が靖国参拝「御霊安かれとお祈りした」』によると、安倍氏は記者団に以下のように語った。

終戦の日にあたり参拝した。先の大戦において、祖国のために母や父、友や子、愛する人を残し、祖国の行く末を案じながら散華(さんげ)され、尊い命を犠牲にされたご英霊に尊崇の念を表し、御霊(みたま)安かれとお祈りした。

日常生活では聞き慣れない「散華」や「尊崇」という言葉を織り交ぜながら、「先の大戦」を美化しようと苦心する跡がうかがえる。「美しい日本」や「日本スゴイ」を何よりも好む安倍支持者たちへの強いメッセージであろう。

もうひとつは共同通信が配信した『これだけあった〝特攻隊員に覚醒剤〟外道の証拠』である。詳しくはサイトで読んでいただきたいが、書き出しの部分だけここに引用する。

 太平洋戦争末期、米艦に零戦機などで突っ込み、時に〝軍神〟とあがめられたり、時に「無駄死にだった」と切り捨てられたりもした特攻作戦の悲劇。出撃前の特攻隊員には覚醒剤「ヒロポン」が与えられていた。この問題は真正面から研究された様子がないが、大阪の元中学教員の相可文代さん(71)は、勤労奉仕で覚醒剤入りのチョコレートを包む作業に従事した女学生の実体験を知ったことをきっかけに独自に調べ、このほど冊子にまとめた。

 覚醒剤と知らされず服用し命を散らした若者らの悲哀と、上官や国家体制の無責任さ。志願制とは名ばかりの死への強制の中で、最後には薬物も使った特攻作戦はまさに「統率の外道」(大西滝治郎海軍中将)だ。「祖国に命をささげた美談のように語られるが、実際には覚醒剤による高揚感に満ちないと敵艦には突入できなかった」と相可さん。「実証」にこだわった研究を、冊子の記述と相可さんの言葉からたどる。

祖国に命をささげた美談のように語られるが、実際には覚醒剤による高揚感に満ちないと敵艦には突入できなかったーーこの生々しい現実に「特攻隊」の本質が凝縮されている。軍隊の上官たちにとって、薬物を使った特攻作戦は、もはや「敵国を倒す」ためのものではなく、「軍隊の統率を守る」〜さらには「上官が自らの立場を守る」〜ためのものだったのだ。

ひとつめの安倍氏発言を伝える記事と、ふたつめの特攻隊の内実を伝える記事。「美化された戦争」と「生々しい戦争」。この対比は強烈である。

私は二つのニュースに接しながら、今から20年ほど前に、ハイキングでたまたま山道をともにすることになった老紳士の話を思い出した。駆け出しの政治記者であった私に、彼は山道を歩きながら自らの戦争体験を訥々と語り出したのである。

老紳士は千葉県の裕福な有力者の家に生まれた。周囲の若者が次々に戦地へ送り込まれていくなかで、彼のもとには召集令状(赤紙)は一向に届かなかった。本土空襲が始まり、敗戦色がにじみ始めた頃、有力者の子息であった彼もようやく召集されることになった。

とはいえ、南方戦線などの最前線に送り込まれた周囲の若者たちと異なり、彼が最初に配属されたのは皇居などを守る近衛師団だった。何かの口添えがあるのは間違いなかった。さらに戦局が悪化し、いよいよ敗戦濃厚となったところで、彼は兵士たちが戦地に送られる前に一時的に待機する部隊へようやく配属替えになったという。

その部隊は十人一組の数多くの班で構成されていた。それぞれの班長は、南方戦線などへ派遣する新たな部隊を編成するお達しが下りるたびに、自らの配下にある班のメンバーのうち誰を新たな部隊に差し出すかを指名する絶対的な「人事権」を握っていた。

当時はすでに兵士のなかで日本の敗戦を疑う者はいなかった。誰もが「南方への派遣」は死を意味することを理解し、次は自分が指名されるのではないかとびくびくしていた。古い者から順番に指名されるわけではなかった。誰を送り込むかはその時々の班長の一存で決まったのである。一人が戦地へ抜けると新しい者が一人加わってきた。

兵士たちは何とかして指名を免れようと、絶対的な「人事権」を握る班長のご機嫌をうかがった。そして他の兵士の悪口を吹き込んだ。実家を通じて上層部につけ届けをし、戦地への派遣を回避する裏工作に動く者もいた。誰もがあらゆる手を尽くして自らが生き残ることに必死だった。戦争に勝つことなど誰一人考えていなかった。上層部に有力なコネがある者はいつまでも部隊にとどまった。そして、班長に取り入ることが不得手な者から順番に戦地へ送られていった。

「多くの者が無駄に死んでいきました。私より後から来た者が次々に戦地へ向かっていきました。そうです。私も生き残るためにあらゆる手段を使ったのです。私は最後まで戦地に派遣されることなく、その部隊にとどまり、終戦を迎えました。私はそれをずっと背負って生きてきた。私の代わりに戦地へ向かった多くの者の犠牲の上に、今日の私はあるのです。戦争とはそういうものなんですよ」

老紳士はそれ以上語らなかった。山道での突然の独白に、私もそれ以上聞くことができなかった。しかし、戦争というものは、単に命を奪うだけにとどまらず、どれほど人間の尊厳を踏みにじるものであるかを、深く理解した。

生々しい戦争体験を一度でも聞いた者は「美化された戦争」を鵜呑みにすることはなかろう。戦争の真実は生々しく語り継がれなければならない。コロナ危機で「命の選別」が現実味を増す今、改めて思う。

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