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朝日新聞政治部で早野透さんがコラムを執筆していた時代は上層部より取材現場がまだ強かった

朝日新聞政治部の大先輩である早野透さんが亡くなった。77歳だった。

自民党に君臨した田中角栄元首相に深く食い込んだことで知られる一方、社民党の土井たか子氏や福島瑞穂氏、さらには社民党から民主党へ移った辻元清美氏らと親しく、中選挙区時代の自社体制(55年体制)の裏側を知り尽くした政治記者だった。

小泉純一郎政権以降の清和会支配には厳しい眼差しを向けていた。特に戦後日本の平和主義を揺るがす動きには敏感だった。朝日新聞の政治報道の影響力が大きかった時代を代表する政治記者だった。

1996年4月から退社する2010年3月まで執筆しつづけた政治コラム「ポリティカにっぽん」は朝日新聞の政治記者には必読だった。退社後は2016年にネットメディア「デモクラシータイムス」を立ち上げた。

私は2021年5月に退社した後、デモクラシータイムスに時折、出演している。最初の出演前に早野さんの自宅にご挨拶にうかがったのが最後の面会となった。

私が1999年に27歳で政治部に着任した時、早野さんは50代半ばの編集委員としてすでに「ポリティカにっぽん」を執筆していた。私のような末端の若造にも柔和な声で話しかけてくれる大先輩だった。

私が何よりも楽しみにしていたのは、政治部の送別会や忘年会で早野さんがマイクを握る時だ。「締めの言葉は早野さん」というのは朝日新聞政治部の慣行になっていた。

早野さんはそこで、政局の裏話を披露するだけではなく、年下の政治部長や政治部デスク陣をやわらかい言葉で、けれどもチクリと批判するのだった。その矛先は紙面の内容に向けられる時もあったし、組織運営に向けられることもあった。

駆け出しの政治記者だった私は、早野さんの皮肉を込めた批判に部長やデスクの表情がこわばるのを覗き見るのが楽しくて仕方がなかった。送別会や忘年会が終わると、積もりに積もった上司への鬱積が吹き飛び、晴れ晴れとした気分で家路に着いたものだ。

当時の朝日新聞政治部は部長から局長、役員へ出世するコースと、部長にならずに編集委員など取材現場に身を置き続けるコースが明確に区分されていた。早野さんは典型的な後者であり、大ベテランになっても取材現場の側に立つ政治記者だった。

朝日新聞が「上層部の言いなり」ではなく、取材現場の力がまだまだ強い時代だった。

早野さん(1968年入社)の立場を受け継いだのは、現在テレビキャスターとして活躍している星浩さん(1979年入社)だった。星さんの後を受け継いだのは、現在編集委員として朝日新聞で政治コラムを担当している曽我豪さん(1985年入社)である。

星さんは小渕恵三元首相に、曽我さんは麻生太郎元首相に深く食い込んだ政治記者として知られている。早野さん、星さん、曽我さんは朝日新聞の政治記者の目標であった。

私(1994年入社)はこの3人の働きぶりを目の当たりにして、自民党取材で追いつくのは至難の業だと思った。そこで政治部3年目に1年間だけ担当した民主党に賭けてみようと思った。大先輩の3人を追い越すには、新興勢力の民主党に人脈を築くのが得策だと目論んだのである。私はその後、首相官邸や自民党を担当することが多かったが、その合間に民主党人脈を耕し続けた。

この狙いは的中した。民主党は当初、政治記者たちの間でも「政権交代などあり得ない」と軽視されていたが、自民党は失政を重ねて世論からそっぽを向かれ、2009年衆院選でついに政権交代が実現したのだ。この時私の民主党人脈は、朝日新聞だけではなく各社政治部のなかでも屈指のレベルに達していたと思う。

民主党のなかでも私が深く食い込んでいたのは菅直人氏だった。菅政権の時は連日のように電話で話していた。私の知るかぎり、朝日新聞の政治記者で現役の首相と毎日のように接触し、いつでもコンタクトがとれる関係を築いて内情を知り尽くしていたのは、早野さんと田中角栄、星さんと小渕恵三、曽我さんと麻生太郎、そして私と菅直人の4パターンしかない。私は良くも悪くも典型的な旧来型の政治記者だった。

拙著『朝日新聞政治部』では私の実体験を赤裸々に明かすことで「政治報道の功罪」を問うている。

星さんはオピニオン編集長、曽我さんは政治部長を歴任しており、現場主義を貫いたのはやはり早野さんだった。送別会や忘年会の挨拶も早野さんが断然エッジが立っていて、面白かった。

私は政治部デスクを経た後、特別報道部デスクを務め、「吉田調書報道」で解任された(詳細は『朝日新聞政治部』で)。あのまま管理職のルートを歩んでいたら、現場からどんどん離れ、今頃は発行部数が続落している朝日新聞でリストラの旗を振っていたかもしれない。

管理職を長々と務めるとジャーナリストとしての切れ味は鈍る。会社員としての出世と記者としての取材は相容れないのだろう。現場主義を貫いた早野さんの記者人生を改めて思った。

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