兵庫県尼崎市は大阪市に隣接する人口45万人のベッドタウンだ。大阪湾に面した海岸部には工業地帯が広がっているが、市域の大部分は住宅が所狭しとひしめいている。西隣の西宮市、その隣の芦屋市の高級住宅街のイメージと違って、庶民の匂いが漂う街である。電話番号の市外局番も「07〜」で始まる神戸市、西宮市、芦屋市と違って、大阪市と同じ「06」だ。人々の言葉も神戸弁よりは大阪弁の色が強い。
私は小学6年生までこの街で育った。武庫川の河川敷で少年野球に明け暮れる毎日だった。尼崎の少年野球のレベルはかなり高く、プロ野球選手も多く輩出している。私のチームの監督は広島黄金時代の捕手だった水沼四郎選手の兄だったし、後輩には世界の盗塁王と呼ばれた阪急の福本豊選手の息子もいた。私は毎年夏になると高校野球を観戦するため自転車で武庫川を渡り、西宮市にある甲子園球場へ向かった。
野球ばかりではなくケンカも強い地域だった。校内暴力が吹き荒れていた時代である。小学生も校門を一歩出ると危険地帯だった。圧倒的強者にからまれずにすり抜けていく身のこなしをこの街で鍛えられたかもしれない。
少年時代を思い出してしまったのは、11月20日投開票の尼崎市長選で、大阪を本拠地とする日本維新の会が擁立した新人候補が惨敗したからである。
尼崎市長はこの20年、政党の支援を受けない「市民派」が2代にわたって務めてきた。現職の稲村和美市長(50)は文部科学省から市教育長として出向していた松本真氏(43)を後継指名。これに対して維新は社会福祉法人理事長の大原隼人氏(44)を擁立し、一騎討ちとなった。維新は大阪や兵庫の議員や秘書約100人を尼崎に送り込み、最終日には吉村洋文・大阪府知事も選挙カーに乗り込んだ。
維新が大阪で王国を築いたのは、知事や市長といった首長ポストを次々に抑えたからである。お隣の兵庫県進出は全国政党への脱皮をめざす維新にとって重要なステップだった。とくに大阪市と神戸市の間に位置する阪神地域の市長選に力を入れてきた。しかし、これまで宝塚で2回、伊丹、西宮で1回ずつ、公認候補を立てて全敗した。維新の兵庫進出に怯える他党が連携して対抗したからだ。
今回の尼崎市長選でも与野党をまたにかけた「維新包囲網」が出来上がった。その結果、維新は4万8000票vs7万5000票の大差で敗れたのである。
大阪に最も近い尼崎で勝てなかったことは、今後の兵庫進出に暗雲が垂れ込めたといっていい。兵庫進出も難しいのなら、全国政党への脱皮は夢のまた夢だ。
維新は今夏の参院選で大阪選挙区で圧勝したものの、東京、愛知、京都などで競り負け、全国政党への脱皮に失敗し、立憲民主党を叩いて野党第一党にのしあがる戦略が頓挫した。
そのうえ、維新旗揚げから後方支援してきた自民党の菅義偉前首相が岸田政権で失脚し、菅氏の盟友である松井一郎・大阪市長は政界引退を表明。後任の馬場伸幸代表は立憲と和解して国会で共闘する方針に転じたが、政党支持率は下落し、存在感はどんどん薄れている。
永田町では「維新の勢いは止まった」「むしろこれから伸びるのは参政党だ」と囁かれるなかで迎えたのが尼崎市長選だったのだ。来春の統一地方選にとどまらず、今後の維新の政党戦略に与える影響は甚大だろう。
引き続き全国政党への脱皮を目指すのか、地域政党に立ち戻って国会議員たちは政界再編の渦に呑み込まれていくのか。維新の視界は極めて不透明になっている。
昨秋の衆院選と今夏の参院選で圧勝した岸田政権は今や瓦解しつつある。同じく昨秋の衆院選と今夏の参院選で躍進した維新も瞬く間に失速し、存在感は薄れるばかりだ。
政治の世界の一寸先は闇。時流は目まぐるしく動いていく。