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日本の民法は夫婦同姓を強制している〜裁判官の友人から届いたメールに気づかされたこと

最高裁が夫婦別姓を認めない民法の規定を「合憲」とする判断を示したことについて、『「国民の多くは夫婦別姓に賛成なのに」最高裁が”ずるい判決”を出した本当の理由』をプレジデントオンラインに寄稿したところ、裁判官の友人から感想を綴ったメールが届いた。

私はこの記事で、①裁判所はそもそも政治問題を決着させる場所ではなく、いま目の前にいるひとりの人間の基本的人権を守るための場所である、②今回の最高裁決定は「申し立てをした夫妻の敗北」であっても「選択的夫婦別姓の敗北」ではない、③最高裁は「この種の制度のあり方は国会で判断されるべきだ」として国会に民法改正の検討を促している、④選択的夫婦別姓の是非は秋の総選挙の争点とすべきだ、⑤選択的夫婦別姓を支持する人は今回の最高裁決定に絶望せず、総選挙でこれを公約に掲げる政治家や政党を応援してほしいーーという考えを示した。

これに対し、裁判官の友人は「裁判所の役割は個別救済が主目的というのはそのとおり」「一票の格差のように可視化されやすい権利であれば、裁判所は直接介入しやすいが、夫婦別姓という価値判断が割れる論点は、国会の議論が煮詰まっていないうちは介入しにくい」という一般論を説明したうえで、以下のような「私見」を示したのだった。

個人的には、夫婦同姓の強制は、比較法的にも異例の制度で、同姓を強いられている配偶者に諸々の不利益が生じているので、違憲状態だと思います

私よりはるかにリベラル(=国家の利益より個人の自由を重んじる立場)である。右派イデオロギーを前面に掲げた安倍政権以降、首相官邸におもねる判決を重ねる裁判所に苛立ちを感じていたが、その中でこのような裁判官が存在することに心を洗われた気がした。

彼は、最高裁が積極的に違憲判断を出すことについては「内閣が指名した最高裁判事が、内閣の気に入らない法律を次々に違憲と判断することもできてしまう」として慎重な考えを示す一方、今回の最高裁決定は国会に民法改正の検討を促していると指摘し「このまま国会がろくに議論もせずに放置すると、将来、立法不作為違憲とされる可能性も高まる」との見方を示したのだった。これは私よりも「裁判所の役割」を積極的にとらえた立場といえるだろう。

私は彼のメールから「裁判官の良心」を強く感じた。さらにもうひとつ、強く感銘を受けたところがある。それは夫婦別姓を認めない民法の規定を「夫婦同姓を強制している」と表現した部分だった。

この今回の最高裁決定を報じた6月23日のNHKニュースは「夫婦別姓を認めない民法の規定」と表現している。6月24日朝日新聞朝刊一面は「夫婦同姓を定めた民法などの規定」だった。

朝日新聞の「夫婦同姓を定めた民法」はもっとも「中立的」な表現かもしれない。「定めた」という表現には一切の価値判断も入っていないからだ。NHKの「夫婦別姓を認めない民法」は朝日新聞よりは現在の日本の民法が国際的にも歴史的にも立ち遅れている現状を想起させる表現である。それでも「認めない」というのは事実を淡々と記しただけともいえ、「客観中立報道」を最重視するマスコミ業界的には「上手な表現」といえるだろう。新聞社で政治部デスクを務めた私の感覚では、朝日新聞よりNHKに軍配を上げたいところだ。

それでは、裁判官の友人が示した「夫婦同姓を強制する民法」はどうか。私はこの表現を見た時、目から鱗が落ちる思いがした。「強制」というのは非常にきつい表現であるが、国家が「夫婦別姓を認めていない」ということは「夫婦同姓を強制している」ということである。同じ事実を伝えているにもかかわらず、彼の表現からは、NHKや朝日新聞よりもはるかに国家への批判的視点〜個人の基本的人権を尊重する視点〜が伝わってくるのであった。

NHKの「夫婦別姓を認めない」は、まずは「夫婦同姓」を前提としたうえで、「夫婦別姓」を認めるかどうかという視点に立っている。これに対し、裁判官の友人の「夫婦同姓を強制する」は、「夫婦別姓」を前提としたうえで、それを認めない日本の民法を「夫婦同姓を強制するもの」と捉えているのである。彼の視点を支える根拠は「比較法的にも異例の制度で」という部分にある。「夫婦」よりも「個人」を尊重する立場から夫婦別姓を当然とする諸外国の制度と比べて、夫婦同姓を強制する日本の民法は「異例の制度」であるというのだ。

私は、裁判官の友人のほうがはるかにジャーナリスティックであり、国際的に立ち遅れている日本の民法の前時代性を鋭く突いていると思った。そして、テレビ新聞の記者たちはもっと言葉に敏感でなければならないと思った。さらに考えた。テレビ新聞の記者たちはなぜ「強制」という言葉を使わなかったのか。ここには重大な問題が潜んでいると思った。国家権力を取材しているテレビ新聞の記者たちは、国家による基本的人権の侵害に対して鈍感すぎはしないか。自省を込めて言うと、ジャーナリストとして致命的な欠陥ではないか。裁判官の友人はつねに「基本的人権を守る」ことを最優先に物事を考えているからこそ、「強制」という言葉をすぐに思い浮かべたのではないか。

夫婦別姓を認めない今の日本社会を「国家権力が国民に夫婦同姓を強制している」とみる視点こそ、権力監視を旨とする報道機関のあるべき態度である。裁判官や記者という職業は、本来、基本的人権を何よりも尊重する価値観を共有し、それを守り抜くために先頭に立つべき存在なのである。

裁判官の友人からのメールは、ジャーナリズムの原点を再認識させる機会を与えてくれた。ほんとうにありがとう。

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