岸田文雄首相は今年1月の施政方針演説で「総裁任期中に改憲を実現したい」と訴えた。これまでも改憲論議に意欲を示してきたが、改正時期に踏み込んだのは異例だった。
しかし、総裁任期は残すところあと4ヶ月(しかも岸田首相は9月の総裁選で退陣の流れが強まっている)。今国会は自民党の裏金問題一色で、改憲機運はまったく盛り上がっておらず、改憲が実現する可能性はほとんどない。
今年1月の通常国会開幕時点で、今国会は「裏金国会」になることは誰の目にも明らかだった。岸田首相の「総裁任期中に実現したい」という発言はまさに「口先」だけの「やるやる詐欺」といってよい。
なぜこんな嘘を平気でついたのか?
改憲には「衆参両院の3分の2の賛成による発議」と「国民投票で過半数の賛成」が必要である。
改憲勢力(自民、公明、維新、国民民主)は衆参両院で3分の2を超えており、形の上では改憲発議はトントン拍子に進みそうにみえる。
それでも一向に進む気配がないのはなぜか。
最初の理由としては 具体的な改憲内容について、9条改正から緊急事態条項の創設までばらつきがあり、改憲勢力のなかでもまとまっていないからだ。公明党は本音では改憲に慎重であり、連立相手に自民党に付き合うために改憲を掲げつつ、具体的内容で改憲実現に待ったをかけているという側面もあろう。
しかし、それ以上に、岸田首相をはじめ自民党執行部に本気で改憲を進める気がないのが最大の理由だ。
岸田首相はなぜ、今年はじめに、やる気がないのに9月の総裁任期満了までの改憲実現を掲げたのか?
一言でいうと、岸田首相が今年は解散総選挙の年だと考えていたからだ。9月の総裁選で再選を果たすため、その前に解散総選挙を断行して勝利し、総裁再選の流れをつくるつもりだったからだ。
つまり、選挙対策として改憲実現を打ち上げたのである。解散総選挙さえ終われば、総裁選時に改めて「今度こそ本気で改憲を目指す」と打ち上げれば、多少の批判が出たとしてもしのげるという算段だ。
だが、4月の補選全敗で岸田首相が総裁選前に解散総選挙を断行するのは困難になってきた。「総裁任期中に改憲を実現したい」という公約だけが宙に浮いた格好だ。
岸田首相の「改憲実現」には、解散総選挙を見据えた以下の3つの思惑があった。
①安倍支持層の取り込み
岸田首相は就任当初から最大派閥・安倍派の扱いに苦慮してきた。安倍支持層に広がる岸田批判を抑え込む道具として「改憲」を位置付け、さして関心もないのに「改憲論議」を唱えてきた。
ところが安倍支持層はアンチ岸田を強め、ついには昨年秋、作家の百田尚樹氏ら右派が日本保守党を旗揚げ。総選挙で自民支持層の一部が日本保守党に切り崩される恐れが出てきたのだ。
自民党はこれまで野党分断によって政権を維持してきたが、ついには自民党側も分断してしまう恐れが具現化したのである。
右派をつなぎとめるには、改憲の主張をより過激にするほかない。単なる改憲論議から「総裁任期中」という時期を明示するかたちで改憲実現を打ち出したのは、年内の解散総選挙をにらんで右派離れを阻止する必要があったためだ。
②裏金事件から目をそらす
今年の通常国会が「裏金国会」になることは誰の目にも明らかだった。そこからすこしでも目をそらすため、改憲実現を掲げて改憲派vs護憲派の議論を煽ることが次の狙いだったのだろう。「裏金追及ばかりで、改憲論議が進まなかった」という批判を野党に振り向ける戦略もあったとみられる。
③総選挙へ左右対決を煽る!
岸田首相は就任当初、格差を助長してきたアベノミクスを見直し、「成長より分配」を重視する「新しい資本主義」を掲げた。ところが、次第に「分配より投資」を主張するようになり、格差是正は進んでいない。逆に円安物価高(株高・不動産高)が加速し、賃上げは追いつかず、格差はさらに拡大して、国民生活は苦しくなる一方だ。
こうしたなか、格差是正を求めて「富裕層・大企業vs大衆」という「上下対決」の構図が強まれば、解散総選挙は大逆風となる。自民党は元来、上下対決から目をそらすために、選挙が近づくと、左右のイデオロギー対決を煽る選挙戦略をとってきた。その最たるものが改憲論議だ。
永田町では、日本社会は「右3vs左2vs無関心5」と言われる。左右のイデオロギー対決を続ける限り、投票率は5割にとどまり、右が左に競り勝つという構図だ。
貧富の格差が焦点となる「上下対決」さえ回避すれば、自民党は政権を維持できる。そのために改憲などイデオロギーによる左右対決に持ち込む。これこそ自民党の選挙対策の基本であり、岸田首相の「改憲実現」もそれに沿った発言とみていい。
裏を返せば、憲法改正が実現してしまえば、「選挙前に憲法改正を打ち上げて左右のイデオロギー対決に持ち込む」という常套手段は使えなくなる。だから改憲は「いつまでも実現しない目標」にとどめておくほうが自民党にとっては好都合なのだ。
これに対し、野党の護憲派が自民党の思惑に呼応して左右対決の土俵に乗ってしまっているのが現状である。これではいつまで経っても政権交代は起きない。
左右対決ではなく上下対決に持ち込んで、無関心層の5割を投票に借りたて、大きな政治的ムーブメントを起こすことが必要なのだ。
野党の護憲派は、改憲論議を唱えている限り、過半数を取れなくても一定の支持を得て、自らの議席を保持できるという思いがある。こちらも選挙対策なのだ。それでは政権交代は起きない。
もちろん憲法を語ることそのものは重要である。権力の暴走に歯止めをかける立憲主義を唱えることも大切だ。ただし、それだけでは政治は動かない。
自民党が政権を維持するための口先ばかりの改憲論議の土俵には乗らず、格差是正を柱とする上下対決に持ち込むことが政権交代への近道である。野党はそこをしっかりと認識し、総選挙の争点づくりを進める必要がある。