岸田文雄首相の所信表明演説の目玉は、企業に賃上げを促すための優遇税制の拡充だった。来年度の税制改正で、賃上げした企業の法人税の税額控除率を最大で大企業30%、中小企業40%にそれぞれ引き上げる方向で調整しているという。
岸田首相は演説で「成長も分配も実現する『新しい資本主義』を具体化する」として「企業の税額控除率を大胆に引き上げる」と胸を張った。
ただし、当初の演説案では「大企業は最大30%、中小企業は最大40%」という具体的な数字を盛り込んでいたのだが、公明党から反発を受けて直前に削除したという。
マスコミ各社の報道をみると、この与党内の調整不足という政局的視点に加え、国家財政をさらに悪化させるバラマキ政策への批判という財務省的な視点で報じる記事が圧倒的に多い。
もちろん政局的視点や財政健全化の視点からの報道が不要というつもりはない。だが、一連の報道はいかにも紋切り型で、自公政権が抱える本質的な問題点に迫っていないように私には思えてならない。
この企業優遇税制の目的は「従業員の人件費を引き上げて富の分配を進める」ことである。そのために「人件費を引き上げた企業に対して減税をする」というのである。
本質的な疑問は「なぜ分配を進めるために企業減税を行う必要があるのか」ということだ。
大胆な金融緩和による円安株高と大胆な企業減税で大企業を優遇してきたのがアベノミクスの本質だった。この結果、企業の内部留保は膨れ上がり、株主や経営者は莫大な利益を得る一方、従業員の給料は上がらず、安倍政権下で貧富の格差はみるみる拡大したのである。
岸田政権の「新しい資本主義」はその経済格差を修正するところに狙いがあるはずだ。それなのに、なぜ、株主や経営者をますます富ませる企業減税を繰り返すのか? まったくもって疑問である。
分配を進めるのなら、これまで潤ってきた大企業への課税を強化し、それを財源にひとりひとりの個人に「現金10万円の一律給付」のようなかたちでお金を給付するべきである。それこそ富の分配であろう。
なのになぜ、人件費をあげた企業に減税するという回りくどい仕組みをつくるのか。なぜひとりひとりの個人に直接現金を給付しないで企業減税を通して賃金をあげるという形で間接的に個人を支援するのか。
その理由は簡単だ。個人ひとりひとりを直接支援するよりも、企業減税を通じてひとりひとりの賃金をあげるほうが、企業が潤い、企業に感謝されるからである。つまり「企業減税分」の恩恵はすべて個人の賃金引き上げに回らず、一部は企業が「中抜き」するのである。企業はその一部を政治家や政党への献金や、官僚の天下り受け入れという形で「還流」させるのだ。
この仕組みを「政官業の癒着」という。自民党や霞が関はこの仕組みのなかで懐を肥してきた。割りを食うのはひとりひとりの個人である。つまり自民党政治の税金の使い方は「企業」を優先し「個人」を後回しにしているのだ。
岸田政権がまとめた補正予算案は過去最大の総額35.9兆円。この巨額の税金を、企業を通さず個人ひとりひとりに現金一律給付のような形で直接支援すれば、企業減税を通じて実現する賃上げなどよりはるかにおおくのお金が個人ひとりひとりの手元に届き、多くの人々を救うに違いない。企業に中抜きされてきたお金をそのまま個人ひとりひとりに配るのだ。
そして「個人への直接支援」は「企業を通じた間接支援」よりも景気を上向かせる経済政策としても効果があると私は思う。なぜなら、企業を支援しても内部留保として蓄えられるか、あるいは株主や経営者の利益となって海外投資に回る可能性が高いが、個人ひとりひとりに直接給付すれば、国内消費に費やされ、内需を拡大させる効果がより期待できるだろう。「富の分配」こそ最強の景気対策なのだ。「政官業の癒着」による不公平な税金の使い方が景気回復を妨げる最大要因なのである。
立憲民主党をはじめとする野党は、自公政権の「企業支援」に対抗する経済政策の柱として「個人への直接支援」を掲げればよいと思う。実に鮮明な経済政策の対立軸だ。
民主党政権は実は「個人への直接支援」をめざしていた。子ども手当や農家への戸別所得補償はまさに「個人への直接支援」の思想に基づく大胆な経済政策だった。自公政権が復帰し、これらの政策は「企業・団体を通した間接支援型(中抜き型)」に逆戻りしてしまった。
立憲民主党は今こそ民主党政権の「個人への直接支援」の理念を取り戻し、自公政権の「間接支援」との違いを鮮明にすべきであろう。「個人支援」か「企業支援」か、という対立軸は有権者に響くのではないか。
そこで立ちはだかるのは連合である。連合は大企業の代弁者と化している。連合が求めるのは企業・団体を通じた支援であることが多い。政府から個人ひとりひとりへの直接支援が充実すれば連合(労組)の存在意義が低下しかねないからだ。
立憲民主党が「個人への直接支援」を政策理念の基軸に掲げることができるか否かは、連合から自立し、組織より個人を大切にする政党へ脱皮できるかどうかの試金石といえる。その意味で現在の立憲民主党よりはかつての民主党のほうがまだ連合から自立していたといえるのではないか。
マスコミ報道にも注文をつけたい。このような経済政策について「企業へのバラマキ」と「個人へのバラマキ」を区別せず、財務省的な視点で同列に「バラマキ批判」を展開する報道はもう卒業したらどうだろう。同じ「バラマキ」でも企業へのバラマキと個人へのバラマキはまったく性格が違う。経済格差を是正する「分配」のあり方が経済政策の主要な論点である以上、バラマキ方の中身を問う報道を望みたい。