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国債は「国の借金」か「国民の資産」か〜山本太郎が衆院選で投げかけた経済政策の新たな対立軸

れいわ新選組の山本太郎代表が衆院選で積極財政論を展開している。財務省やマスコミが唱えてきた「国債は国の借金」という従来の常識に真っ向から挑むものだ。

国債を「国の借金」として「悪」とみなすのではなく、「国民の金融資産」として肯定的に評価して格差是正に積極活用する考え方は政界や言論界に広がりつつあり、衆院選後の政界の大きな対立軸となるだろう。

山本氏の持論は消費税廃止である。消費税を「消費に対する罰金」と位置づけ、消費税こそ日本の25年間にわたる景気低迷(デフレ)の主犯とする立場だ。

1989年の消費税導入以降、実に消費税収の73%が法人税減税の穴埋めに使われてきた。山本氏は「消費税は社会保障の財源」という政府の主張はウソで「そもそも大企業を潤わせるために導入された税制」と批判。消費税は貧困層や中小企業など社会的弱者に重くのしかかり、格差社会を助長する諸悪の根源と位置付けている。

消費税を廃止しても日本の財政は破綻しないのか? 

山本氏は消費税に代わる財源は「国債」だと明言している。政府が自国通貨(円)建てで国民からお金を集めている限り、それは「国の借金」というより「国民の金融資産(投資)」という立場だ。

政府は通貨発行権を持っているのだから、一般の家計と違い、収支をトントンに合わせる必要はない。資金が必要ならばその分だけ国債を発行して資金を創出し、「国民からの投資=資本金」を膨らませていけばよいという考え方だ。

財務省も2002年、当時の黒田東彦財務官(現・日銀総裁)の名で「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない」との意見書を外国格付け会社に送っている。山本氏はこれをもとに政府が自国通貨建ての国債をどれだけ発行してもデフォルト(債務超過)にはならないとし、問題はインフレの可能性があることだけだと主張。そのうえで、人口減社会の日本はデフレ傾向が強く、インフレは起きにくいため、巨額の国債発行を財源に大胆な財政出動をしても、自公政権が目標としてきた「2%のインフレ」が起きるまでにはまだまだ余裕があると強調し、いま目の前の生活に苦しんでいる人々を救うために大胆にお金をばらまけと主張している。

山本氏はさらに「税金=財源確保の手段」という常識自体に疑問を呈している。財源は国債発行で賄えばよく、税金はむしろ「社会の歪みを正す手段」という主張だ。

例えば、たばこ税は健康被害を抑制するためのもの。炭素税は地球温暖化を抑制するためのもの。いずれも「財源」を確保することよりも「社会の公正さ」を確保することを目的とした税制だ。

この立場からすると、法人税増税や金融所得課税の強化も「財源確保」という以上に「金持ちばかりがより豊かになるという歪んだ社会を正す」という社会的公正を実現するための手段ということになる。財務省やマスコミが唱えてきた「税金=財源確保の手段」という常識を根本的に問い直すものといえよう。

消費税廃止を掲げる山本氏の台頭を受けて、立憲民主党の枝野幸男代表は長年の「消費税重視」の姿勢を軌道修正し、今回の衆院選では「消費税5%への時限的減税」に舵を切った。しかし、あくまでも「時限的な減税」であり、消費税廃止には極めて慎重な立場だ。

その背景には枝野氏が「国債は国の借金」であるという財務省やマスコミの長年の見解と歩調をあわせていることがある。

この立場からは、消費税を廃止すれば国債発行(国の借金)はウナギ登りに膨れ上がり、いずれ国家財政を破綻させてしまうことになる。貴重な財源である消費税を廃止することなどとんでもない愚策というわけだ。

消費税そのものは悪い制度ではない。自公政権の消費税の使い方が悪いだけであって、消費税自体は社会保障の安定に不可欠な税制だ。消費税5%への減税はコロナ対策のための「期間限定措置」にすぎず、コロナ禍が終われば再び消費税率を引き上げ、財源をしっかり確保していかなければならないという考え方である。

枝野氏と山本氏の確執の背景には「国債」をどう考えるかという経済政策の根幹にかかわる認識の差がある。立憲民主党、共産党、社民党、れいわの野党4党の目玉公約である「消費税5%への減税」は、自公政権に対抗するための「呉越同舟」に過ぎないことを端的に示すものといえるだろう。

国債を「国の借金」と考えるか「国民の金融資産」と考えるか。この経済政策をめぐる根本的な立場の違いは自民党や立憲民主党の内部にも存在する。衆院選後、与野党の枠組みを超え、主要な政治的対立軸となっていくのではないか。

財務省がマスコミを通じて「国債発行=悪」というイメージを作り上げてきたのは、戦後政治史有数の「世論誘導」だと私は思っている。この「常識」を私も長く信じ込んできた。財政収支を均衡させることを大前提として経済財政政策を考えてきたのである。

新聞社で財務省を取材するのは経済部である。各社経済部の花形ポストが財務省の記者クラブ「財政研究会(財研)」だ。新聞社の経済報道は財務省と一体化してきた。政治部が首相官邸に、社会部が検察・警察に付き従ってきたように、経済部は概して財務省の言いなりだった。

私は1999年に政治部に着任して小渕恵三内閣の首相秘書官だった財務省の細川興一氏(後に財務事務次官)を担当したことを皮切りに霞ヶ関では圧倒的に財務省に知り合いが増えた。小泉政権の経済政策の司令塔だった竹中平蔵氏や民主党の菅直人氏を担当した時は、竹中氏や菅氏の手の内を探ろうとする財務省幹部からしばしばアプローチされたこともある。

財政再建派の急先鋒であり「文藝春秋」に「財務次官、モノ申す『このままでは国家財政は破綻する』」を寄稿して波紋を呼んでいる現在の矢野康治・財務事務次官も、彼が福田康夫内閣で町村信孝官房長官の秘書官を務めた時から知っている(私は町村官房長官の番記者だった)。政治部の記者としては偶然にも数多くの財務官僚を長く深く取材してきたし、財務省と経済部の「癒着」も冷ややかに眺めてきた。

私の経験からして断言できるのは、財務省は「経済官庁」ではない。国家権力の中枢に陣取る「政治官庁」である。予算編成を仕切る財務省の中核「主計局」の最大の仕事は、「経済政策」を立案することではない。予算委員会をはじめ国会を円滑に回し、政権運営を安定させ、財務省の影響力を最大限に引き上げる「政界工作」こそ、主計局のお家芸だ。

財務官僚は経済記者を相手にする時は財政再建など経済財政政策の話を中心にする。しかし、私が取材してきた財務省中枢の幹部たちの関心は「政局」一色だった。いかに与党を転がし、いかに財務省主導で予算編成を進め、いかに財務省の影響力を拡大するかという「省益」の確保に財務省を挙げて取り組む組織力はすさまじかった。

財務省の権力の源泉は「予算配分権」にある。限られた予算をどこにどう配分するかを決める決定権を握っているからこそ、財務省は与党に対しても他省庁に対しても優位に立てるのだ。予算編成を担う主計局が財務省内で幅を利かせているのもそのためである。

裏を返せば、国債を無尽蔵に発行することが可能となり予算をいくらでも積み増せるようになれば、財務省(主計局)の影響力は一挙に低下する。財務省が財政再建を強く主張し、国債発行に極めて後ろ向きなのは、国家財政を守るという経済政策を突き詰めた結果というよりは、財務省が自らの影響力・政治力を守るためであるというのが、私が長年の取材でたどりついた結論だ。

国債は「国の借金」か「国民の金融資産か」という問いに対し、「国の借金」という財務省の主張に対して私が疑念を抱いているのは、財務省は「経済官庁」ではなく「政治官庁」であるという、政治記者としての見解に基づくものである。

山本氏らが経済政策的に「国の借金」という財務省の主張に反論しているのに対し、私は長年の財務省取材に基づく政治構造論的に財務省の主張に首を傾げている。「国家の財政」を口実に「いま苦しんでいる人々」を救わない政治は本末転倒である。

ただ、国債を「国民の金融資産」とみなして大胆に発行することに不安がないではない。

ひとつは円安の進行だ。円建て国債をいくら発行しても財政は破綻しないだろうが、巨額の財政出動を続ければ円の価値が下落し、円安が進行するだろう。いまの日本社会はグローバル化のなかで衣食住をはじめ原油や食料品などの生活必需品を輸入に依存している。この社会構造を維持したまま円安が急速に進めば、国民生活は大打撃を受けるだろう。

すでにコロナ対策で財政出動が増えた今、円安は大きく進行している。この円安進行に対してどう対処するかは山本氏らの課題のひとつであろう。

もうひとつはモラルの崩壊だ。国債発行に限度がなくなれば、際限なく予算が執行される可能性がある。すでに財政規律が崩壊したコロナ禍のもとで、GOTOトラベルなどの国家プロジェクトで数多くの「中抜き」が発覚した。このような「不正」や「無駄遣い」は社会全体のモラル崩壊を進めるだろう。

巨額の財政出動は本来、「社会的弱者を救う公正さ」を追求して行われるべきものである。それが政権に近い業界や業者を潤わせる「不公正さ」のために使われる恐れは否定できない。そこをどう担保するのか。

私は財政出動の対象を「業界」から「個人」に大胆に切り替えることが不可欠だと思っている。GOTOトラベルもコロナ対策の医療機関などへの支援も、自公政権はつねに「個人」ではなく「業界」への支援策ばかり続けてきた(唯一の例外は現金10万円の一律支給だった)。業界支援のほうが「中抜き」が可能で、政治献金や天下り先の確保という形で税金を還流できるからだ。

これを現金一律給付のような「個人への直接給付」に大胆に置き換えれば、多くの人々が救われ、「中抜き」などの不正も減り、「公正な社会」へ大きく前進するのではないか。

国債の大胆な発行によってモラル崩壊が進行することを防ぐためにも、「業界」から「個人」へ、支援のあり方を転換させることが不可欠だ。

国債をはじめとする難解な問題を「お金とは何か」からわかりやすく解説しているのが、元民主党国会議員の中村哲治さんである。私とは京大法学部の同期。現在は政治活動とは一線を画し、「お金のしくみ」を広く伝える活動に取り組んでいる。

中村さんは、国債は「国の借金」ではなく「国民の金融資産」と考えている。政府の負債を「国の借金」と呼び財政危機を煽る人たちは金融利権を守っていると主張。経済危機で国民が困っている今だからこそ、政府は税金を取らずに国民への給付を厚くすべきとの立場だ。

以下のユーチューブはいちから「お金のしくみ」を解説し、「国債=国の借金」という常識に異議を唱える内容。ぜひご覧いただきたい。

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