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エリザベス女王と安倍元首相の「国葬」を対比して考える〜権力と権威の境界があいまいになった戦後日本の統治システムの危機

英国のエリザベス女王の国葬と、日本の安倍晋三元首相の国葬が重なり、彼我の違いに注目が集まっている。ここからは何のために国葬を行うのかという本質的な問題が浮かび上がってくる。

国葬を行う最大の目的ーーそれは国家としての連帯感を高めることだろう。国家を象徴する存在や国民を統合させる存在を、国家を挙げて弔うことにこそ、その意義はある。

国威発揚の効果がある国葬に対して警戒感を抱く国民もいるに違いない。個人の自由意志を最大限尊重することを基本原理に掲げる近代国家において、国葬といえども個人に弔意を強要してはいけないのは大前提だ。

そのうえでやはり国家という共同体の存在を必要とする以上、その連帯感を高める(あるいは再確認する)ための国葬という儀式自体を全否定することはできない。

ただ、国葬の目的が連帯感を高めることである以上、国葬実施には国民の大多数の賛意が絶対不可欠であることは当然だ。国民の多くの反対を振り切って国葬を強行実施した結果、社会を分断して亀裂を生むとしたら、何のための国葬なのか。根本的にその意義は失われてしまう。

その意味で英国のエリザベス女王の国葬は「あるべき国葬」であり、日本の安倍元首相の国葬は「あってはならない国葬」の典型例といっていい。

私が安倍元首相の国葬に反対する最大の理由は、日本社会の分断を招き、国家の連帯感や国民の統合をむしろ毀損するからである。

それではなぜ安倍元首相の「国葬」への反対がここまで強いのか。

安倍元首相が権力私物化を重ね、虚偽答弁を重ねたこと。アベノミクスが格差を拡大させたこと。旧統一教会と自民党との歪んだ関係を増幅させた張本人であることーーさまざまな理由があろう。

だが最大の理由は、安倍元首相という政治家の存在が国論を二分し、社会を分断してきたからだと私は考える。

そもそも安倍元首相の政治手法が「敵と味方」を二分し、敵には厳しく味方には甘いものだった。選挙の街頭演説で自分を批判する人々に「こんな人たちに負けるわけにはいかない」という言葉を浴びせたのは、社会の分断を煽って支持を引き寄せる政治手法を象徴するシーンだった。安倍政治の本質は「社会の分断」にあったのだ。

政治家という職業は権力闘争と切り離せない。その過程で「対立」や「分断」が生じることは避けられない。安倍元首相はそうした側面がとりわけ強かったにせよ、そもそも政治には「対立」や「分断」という要素が潜り込むものだ。

だからこそ、近代国家においては「権力」と「権威」を切り分け、政治家は権力闘争を通じて切磋琢磨する一方、権力闘争とは一線を画する「権威」を「国民の統合」「連帯感の象徴」として担ぐ知恵が施されてきた。英国の王室も日本の天皇も、「対立」や「分断」を内在する権力闘争とは一線を画する「権威」として全国民を統合する象徴であることに、その存在意義があるのだ。

国家の「権威」であるエリザベス女王の国葬が行われるのは極めて自然な流れである。それと同様に、日本国憲法で「日本国および日本国民統合の象徴」と規定される天皇が国家の「権威」として国葬の対象になるのもまた自然なことだ(天皇制自体の是非があるとしても現憲法のもとではそう考えるべきであろう)。

だが、政治家という存在はそもそも別物である。英国や日本のように王室を元首としている国家は、生々しい権力闘争と一線を画するために国民の大多数が「権威」として認める元首をあえて制度的に用意しているのだ。権力の座にいた政治家を「国葬」の対象とすること自体が制度上の自己矛盾をはらんでいると私は考える。

仮にその政治家の業績が立派なものだったとしても、「権力」と「権威」を峻別する国家統治システムを尊重するならば、やはり政治家の国葬は行うべきではない。

安倍元首相の国葬に多くの国民が反対するのは、安倍氏特有の事情に加え、その根底には「安倍さんは天皇ではない」という国民感覚があるのではないか。天皇の国葬ならば、大多数の国民が賛意を示すに違いない。

米国のように国民が直接選ぶ大統領を元首とする国家の場合、大統領経験者を「国葬」の対象とするかどうかの判断は悩ましい。これは民主国家の政治的選択となるが、やはり国論を二分させるリスクはあるだろう。そうした事態を避けるために、英国や日本は「権力」と「権威」を峻別する国家統治システムを採用していると考えればよい。

安倍元首相の国葬をめぐる世論の対立は、「権力」と「権威」を峻別してきた日本の国家統治システムの揺らぎを意味しているかもしれない。

歴代最長となった安倍政権のもとでは、天皇家と安倍官邸の主導権争いが繰り返し報じられた。政治権力が国家権威の領域に踏み込んだのである。

一方、皇室側でも秋篠宮家が婚姻問題で「皇族個人の自由」を強調するなど「権威」を自ら喪失させるような動きが相次ぎ、国論を二分する事態を招いた。

そもそも戦後日本が採用した象徴天皇制の存在価値はどこにあるのか。「日本国および日本国民統合の象徴」とはいかなるものなのか。

天皇の国葬に国民の大多数がためらいもなく賛意を示すのなら、国家の権威としての象徴天皇制は機能しているといえるし、裏を返せば「税金の無駄遣いだ」という批判が噴出して国論が二分するとしたら、天皇の権威は消失して「象徴天皇制」は存亡の危機を迎えるといえるだろう。

安倍元首相の国葬問題は、単に政治権力のあり方にとどまらず、象徴天皇制のあり方も問いかけている。


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