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経世会のゼネコン利権を受け継いだのは公明党だった!国土交通大臣ポストを10年以上独占、かつての「平和の党」「福祉の党」は「公共事業の党」に変質した

公明党の山口那津男代表は、同党の斉藤鉄夫氏が務める国土交通相のポストについて「公明党にとってこれからも重要だ」と述べ、8〜9月に予定される内閣改造でも引き続き国交相ポストを要求する考えを示した。

国交相のポストは10年以上連続して公明党議員が務めている(太田昭宏元代表→石井啓一幹事長→赤羽一嘉幹事長代行→斉藤鉄夫元幹事長)。

自公連立政権の発足当初、公明党は「福祉の党」として厚生労働相(坂口力氏)のポストを得ていたが、2004年に北側一雄氏、2006年に冬柴鉄三氏が国土交通相に就任した後は、公共事業を握る同ポストの旨みを熟知したようだ。自公が2012年に政権復帰した後、安倍・菅・岸田政権では、国交相ポストはすっかり公明党の指摘席となった。

道路やダムの公共事業利権を握る旧建設省(現国交省)はもともと、自民党最大派閥の経世会(田中派→竹下派→小渕派)の牙城だった。ゼネコンは経世会を選挙でも政治資金でもフルに支援し、見返りとして公共事業を受注するという癒着構造が成り立っていた。

自公連立政権が発足してまもなく、自民党内では清和会の小泉政権が誕生して経世会が没落し、代わって清和会が最大派閥に躍り出た。このころ公共事業利権を差配していたのは、古賀誠元幹事長や二階俊博元幹事長らである。彼らは清和会に公共事業利権を握られることを恐れ、気脈を通じていた公明党に国土交通相のポストを明け渡し、公明党とのパイプを通じて公共事業利権を維持することにした。

もちろん公明党も黙って大臣の椅子に座っているだけではない。創価学会の高齢化で組織力が弱まるなか、ゼネコンの集票力は公明党にとって大きな魅力だった。10年以上にわたって国交相のポストを独占するうちに、公明党の選挙の決起集会にゼネコンが駆けつけることは恒例行事となり、双方の関係は極めて密接になったのである。かつて経世会が牛耳った公共事業利権は公明党に受け継がれたのだ(古賀氏や二階氏は公明党との深いパイプを維持して、当初思惑通り今なおゼネコンへの影響力を維持している)。

こうなると、公明党としては国交相ポストは手放せなくなる。山口代表の冒頭の発言の背景には、そのような事情がある。

自民党内からは「国交相をいつまでも公明党に譲るのはおかしい」として、8〜9月の内閣改造で奪還を目指す動きが出始めた。東京の選挙区調整をめぐって自公対立が激化したことを契機に、自公連立解消論が自民党右派など一部で広がっていることも、このような動きを後押ししている。

一方、自公対立の激化で、選挙地盤の弱い自民党若手を中心に「公明党の推薦を得られなければ小選挙区で勝てない」との不安が広がった。

公明党の要求を突っぱねて国交相ポストを奪い返せば、自公関係はさらに悪化し、次の衆院選に影響しかねない。自民党内の大勢は「公明党とはケンカせず」である。今の自民党若手には巨大公共事業の利権など縁のない話で、国交相ポストにさほどの魅力を感じていないのだろう。

岸田首相も公明党との強固な信頼関係に基づく選挙協力は重要との認識を示しており、国交相ポストの奪還に動く可能性は低い。

公明党はかつて「平和の党」「福祉の党」を売りにしていたが、自公連立が長引くなかで、防衛力の強化でも社会保険料の値上げでも自民党に歩調をあわせる場面が目立つようになった。代わって公共事業利権をがっちり抑え、その内実は「公共事業の党」に変質したといえるかもしれない。

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