連合の芳野友子会長の「自民接近」が止まらない。自民党の麻生太郎副総裁ら幹部と会食を重ねたあげく、ついには自民党本部で開かれた会議に招かれ講演した。(朝日新聞デジタル『連合芳野会長が自民で講演 麻生氏歓迎「酒を飲めるところまできた」』参照)
今夏の参院選が迫るなかで立憲民主党からはさすがに不満が漏れたが、芳野会長はどこ吹く風。彼女のはしゃぎぶりをみると、もはや気分はすっかり「与党の一員」のようだ。
連合は参院選ではどの政党も支持しない方針を掲げて「野党からの離脱」を着実に進めている。もはや立憲民主党に遠慮することはないーー芳野会長はそう思い定めているようである。
立憲民主党の支持率は長らく低迷し、政権交代の気運がまったく盛り上がらないどころか、財界寄りの新自由主義を掲げる日本維新の会に野党第一党の座を追われそうな気配である。立憲と袂を分かった国民民主党は当初予算案に賛成して与党入りに突き進む。
参院選に向けて野党は戦線崩壊状態だ。立憲民主党は参院選前後に空中分解するのではないかという観測も永田町では強まっている。
いつ消滅するかわからない立憲民主党など当てにできない。連合の主張を実現するには自民党にすり寄るしかないーー芳野会長の気持ちもわからないではない。
だが、連合が野党を見限り自民党に接近することは、そもそもの連合の存在意義を自己否定するものである。芳野会長はそれを自覚しているだろうか。
連合の歴史を振り返りながら、その存在意義を改めて考えてみよう。
連合は1989年、地方公務員の自治労や教職員の日教組など旧社会党系の労組を束ねる「総評」と製造業大手など民間産別を主体とする旧民社党系の労組を束ねる「同盟」が合流して誕生した。労働者の声を結集し「自民党+財界」に対抗する政治勢力をつくることが、そもそもの狙いだったのである。(当初から共産党系労組は除外していた)
1993年には自民党の小沢一郎氏が最大派閥・経世会の内紛から離党し、社会党、公明党、民社党に加え、細川護煕氏(元熊本県知事)が旗揚げした日本新党や、武村正義氏(元滋賀県知事)が旗揚げした新党さきがけなど非自民8党(共産党を除く)が衆院選で過半数を握り、連立政権を誕生させた。自民党長期政権はいったん幕を閉じたのである。連合はこの非自民連立政権を全面的に支援し、1993年政権交代の立役者となった。
非自民連立政権は野党自民党との間で、与野党一騎討ちの小選挙区制度の導入を柱とする「政治改革」で合意。野党は小沢氏率いる新進党に集約され、1996年衆院選で「自民党vs新進党」が政権をかけて激突した。二大政党政治が本格始動したのだ。
新進党はこの衆院選で敗北して解党に追い込まれ、代わって野党第一党に躍り出たのが鳩山由紀夫氏と菅直人氏が旗揚げした民主党だった。「労働者代表」の連合は新進党や民主党など野党第一党を常に支持して「自民党+財界」に対抗してきた。
「自民党+財界」vs「民主党+連合」ーー日本の二大政党政治はこのような対決構図で発展し、2009年衆院選でついに民主党が自民党に圧勝して政権を奪取したのである。連合はこの時も民主党を全面的に支援した。
ところが、民主党政権は「小沢氏vs菅氏」の内紛が続いて3年余で崩壊。2012年末の衆院選で自民党が政権復帰した後、民主党は分裂・再編を重ね、現在の立憲民主党と国民民主党に至った。
連合は旧民主党勢力を常に支持し、自民党に対抗する旧民主党勢力が再結集するよう強く求めてきたが、それが実現することはなく、野党は低迷を続け、政権交代の機運は消え失せた。自民党政権が延々と続くという見通しが強まるなかで、連合は、立憲が昨年の衆院選で共産と共闘に踏み切ったことをいわば「口実」にして野党陣営と一線を画し、自民党へ急接近したのである。
連合の「野党離れ・自民接近」は、日本政界において「自民党+財界」vs「野党第一党+連合」の二大政党政治が崩壊したことを意味している。「財界vs労働界」の対決を前提として1990年代に始まった二大政党政治は終焉し、それ以前の「自民党は万年与党」の時代に逆戻りしたことを印象付ける政治事象といっていい。
実は日本政界が二大政党政治のお手本としてきた米英では、日本を先取りして二大政党政治が崩れている。
英国では1990年代、労働党のブレア首相が「第三の道」を掲げて労組と一線を画し、財界に接近した。労働市場をはじめさまざまな規制緩和を推進し、貧富の格差が急拡大したのである。
保守党と労働党の二大政党はいずれも財界からの支持を競い合い、労働者の声は政治に反映されなくなった。財界にすれば二大政党のどちらが政権を取っても安泰という、実に都合の良い政治状況が出現したのだ。
労働党に見捨てられた労働者たちは労働党から離れた。ある者は地域政党へ走り、ある者は二大政党政治を批判する第三極の政党へ転じた。労働党は保守党に政権を奪還された後、政党としての理念を見失って低迷を続けている。
保守党も主流派のキャメロン政権は勢いを欠き、ロンドン市長だった非主流派のボリス・ジョンソン氏が二大政党に批判的な大衆の人気を引き寄せて一気に首相の座を射止めた。財界からの支持を競い合った保守党・労働党はともに大衆の支持を失ったのである。
米国も同様だ。1990年代のクリントン民主党政権は東西冷戦崩壊後の「米国一強」の国際情勢を背景に国内産業保護を中心とする従来の労組寄りの姿勢を転換し、急速なグローバル化と規制緩和を推し進めてウォール街など財界の支持を引き寄せた。民主党は「人権」などの理念でリベラル色を前面に掲げたが、経済政策では「強者」の側に立ち、貧富の格差を急拡大させたのである。
その流れはブッシュ共和党政権、オバマ民主党政権にも引き継がれた。財界にとっては二大政党のどちらが勝っても安泰であるという好都合の政治情勢が出現し、労働者の声はワシントン政界にまったく届かなくなった。
これに対して低所得者層を中心とした労働者たちはワシントン主導の政界全体に不満を強めた。さらにはワシントン政界と結びつく財界やマスコミ界にも強い不信感を抱いたのである。彼らに鬱積した不満・反感が、異端児であるトランプ氏を一気に大統領に押し上げたのだ。
トランプ氏を倒したバイデン大統領は「反トランプ」のもとに結集する政界・財界・マスコミ界の強い支持を受けている。しかし、そもそも政界・財界・マスコミ界に不信を強める労働者層はバイデン政権を毛嫌いして根強いトランプ人気を支えており、米国社会は「二大政党の対立」以上に「貧富の格差による上下の対立」で分断されている。
このように、英国の労働党、米国の民主党が労組と一線を画して財界に接近したことが、貧富の格差の急拡大を招き、大衆の政界全体に対する不信を掻き立て、二大政党政治そのものを弱体化させたといえる。
この現象は今の日本と酷似している。日本でも二大政党に代わって労働者層を中心とした大衆の不満を引き寄せる第三極が左右問わずに躍進する土壌は整っているのだ。そうした現象はすでに日本維新の会の躍進やれいわ新選組の台頭というかたちで現れ始めているといっていい。
連合が自分たちの政策要求を実現させるため、「万年野党」と化しつつある立憲民主党を見捨て、「万年与党」の地位を回復しつつある自民に接近するのは自由である。それによって立憲民主党は遠からず解党に追い込まれ、二大政党政治は終焉し、野党は再編され、多党制の時代に突入するだろう。
その時、「財界vs労働界」の対決構図を政界に持ち込んで二大政党政治を支えてきた連合は、政治的な存在意義を失うことを忘れてはいけない。連合が労働組合を束ねて特定政党を支持するのは、もう実態にそぐわない。多様化している各労組がそれぞれの立場に基づいて多様な政党のなかから支持政党を選べばよいのである。
自公政権が進めた労働市場の規制緩和によって非正規労働者が急増し、連合加盟の労組に加入している労働者は全体の2割を切っている。連合の組合員は大企業の正社員が中心だ。連合の主張は「ごくごく一部の恵まれた労働者たち」の声にすぎず、非正規をはじめ格差社会で苦しむ大半の労働者の声を代弁していない。
連合は「すべての労働者の代表」を名乗るのを今すぐやめるべきである。
連合は政府の審議会などに「労働者の代表」として参加し、自公政権に「労働者の声を聞いた」というアリバイ作りに使われてきた。その結果、非正規労働者の声が政治に反映されなくなり、貧富の格差が急拡大した。恵まれた大企業の正社員の立場ばかりを優先してきた連合の責任は重大だ。「すべての労働者の代表」を気取るのは許されない。
連合の「自民接近」は「大企業の正社員の声」を代弁してきた連合の実像に即しているといえるかもしれない。いっそのこと「大企業の正社員たちの労組」を正々堂々と名乗り、自民党支持を鮮明にした方がフェアだ。「すべての労働者の代表」と偽るよりマシである。
その連合についていけない労組は連合から離脱し、自民党と対決する新しい労働組合のグループを立ち上げたらどうか。
地道に働く労働組合の組合員たちの貴重な組合費を芳野会長ら労働貴族が自民党に接近してはしゃぐために上納するのは、無駄遣いにとどまらず、自民党が主導した規制緩和で雇用環境が悪化した労働者たちの権利を損なう背信行為である。芳野会長ら労働貴族の社交のために組合費を払いたい人がどれほどいるだろうか。
野党再編に先駆けて「労組再編」を行うのだ。
以上は、日本政界を長年追ってきた私の連合論です。このような考え方に基づいてデモクラシータイムスに出演し、労組活動の最前線に立ってきた鈴木剛さんらと「連合」について徹底討論しました。
非常に興味深い番組になったと思うのでぜひご覧ください。以下のツイートからYouTubeを再生できます。