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敵基地攻撃能力の保有(米国からのミサイル購入)を認めつつ、行使(ミサイル発射による先制攻撃)は認めないという立憲民主党の「言葉遊び」

岸田内閣が敵基地攻撃能力の保有を認める「安保3文書」を12月16日にも閣議決定するのにあわせて、立憲民主党が賛成するのか反対するのかで揺れている。

党外交・安全保障戦略プロジェクトチームの座長を務める玄葉光一郎元外相らは、憲法の専守防衛を逸脱する「先制攻撃」にあたるとして反対する党内の声に配慮し、全面的に賛成することは避けながらも、米国から敵基地攻撃能力のあるミサイルを購入することは容認し、「防衛力増強・防衛費増額」の方向は支持することで意見集約を目指しているようだ。

しかし党内の慎重論は根強く、岸田内閣の閣議決定に最終決定をまとめるのは困難とみて、16日には現時点での党の立場を「談話」として発表することにした。要するに「先送り」である。年内の意見集約は困難な情勢なのだろう。

そもそも敵基地攻撃能力の保有に対する賛否を決められない中で発表する「談話」なのだから、あいまいな内容になるのは当然だ。「談話の原案」を報じた共同通信の報道も実にわかりにくい。以下に引用したうえで、この内容を解説してみよう。

 政府が安全保障関連3文書を16日にも閣議決定する際、立憲民主党が発表する談話の原案が判明した。敵の射程圏外から攻撃可能な「スタンド・オフ・ミサイル」について「防衛上容認せざるを得ない」と明記し、反撃能力の保有を一部認めた。「着手段階での第一撃は撃つべきではない」とも記し、先制攻撃の恐れがある反撃能力は否定。政府が想定する反撃能力に関しては「これまでの政府見解と異なり、専守防衛の枠を超える」と批判し、一線を画した。  党関係者が13日、明らかにした。泉健太代表らは一定程度、現実的な安保政策を示したい意向。装備容認を盛り込み、反撃能力自体は全否定しない方向だ。

この報道通り、「敵の射程圏外から攻撃可能な」ミサイルを米国から購入して保有することを「防衛上容認せざるを得ない」と明記するとしたら、紛れもなく「敵基地攻撃能力の保有」を認めたことになる。記事中の「一部認めた」という表現は間違いだ。少なくとも「敵基地攻撃能力」を「保有」することは全面的に認めたと言わなければならない。

そのうえで「(相手国のミサイル発射)着手段階での第一撃は撃つべきではない」という記述は、敵基地攻撃能力の「保有(=ミサイルの購入)」は認めるものの「行使(ミサイルの発射)」に一定の制限をかけるという内容である。これにより、憲法の専守防衛を逸脱する「先制攻撃」にはあてはまらないという理屈で党内の慎重論を抑える狙いなのだろう。

しかし憲法の専守防衛を守るのなら、そもそも「先制攻撃」することが可能な「敵基地攻撃能力」を「保有(=ミサイルの購入)」する必要はない。「行使(=ミサイルの発射)」しないと明言しながら巨額の予算を投じて米国からミサイルを購入するのは無駄遣いそのものだ。「保有」を認める以上、「行使」を前提にしていると言わざるを得ない。

問題はどのような場合に「行使(=ミサイルの発射)」を認めるのかということだろう。

相手国が核弾頭を積んだミサイルが一発でも日本列島に落ちたら壊滅的被害を受ける。岸田内閣は「相手国がミサイル発射に着手した段階で、米国から購入したミサイルを相手国のミサイル基地に向けて発射して粉砕し、相手国からのミサイル攻撃を防ぐ」という立場である。

これでミサイル攻撃を完全に防ぐことができるという発想自体、可動式ミサイル発射台などの軍事技術が急速に進化する現実世界と遊離した「お花畑」の感覚としかいいようがないが、それでも理屈(屁理屈?)の上では「着手段階で撃つ」というのならミサイルを保有する根拠は一応成り立つ(憲法の専守防衛を逸脱して違憲の疑いが濃厚だが、安全保障論としての理屈は一応とおっている)。

しかし立憲民主党が党内で割れる賛否に配慮してまとめた談話のように、敵基地攻撃能力を持つミサイルを保有しながら、着手段階で発射できないとしたら、このミサイルは「無用の長物」だ。日本列島にミサイルが撃ち込まれて壊滅的な被害を受けて初めて反撃としてミサイルを発射できるとしたら、それは日本というよりも同盟国(米国)を守るためのものでしかない。

それをわざわざ巨額の予算を投じて米国から購入する意味は「米国の軍需産業を潤わせる」ということでしかない。中国や北朝鮮に対する抑止力のためというのであれば、すでに在日米軍が駐留してミサイルも戦闘機も潜水艦も保有しているのだからそれで十分なはず。わざわざ日本の自衛隊が米国からミサイルを購入する必要はない。

立憲が用意している「談話の原案」は、憲法の専守防衛を守ろうとする慎重派と、対米追従の枠から外に踏み出せない賛成派の両方に配慮した「言葉遊び」そのものであり、その結果として浮かび上がる結論は「憲法の専守防衛を逸脱しないという建前を形式上は守りながら、米国の軍需産業を潤わせるために巨額の予算を投じて『無用の長物』を購入することは容認し、米政府や岸田内閣に顔を立てる」ということである。対米追従、自民追従そのものだ。

さらに問題なのは、「保有(=ミサイルの購入)」すれども「行使(=ミサイルの発射)」せずという、玉虫色の「言葉遊び」が、単なる「言葉遊び」に終わらない危険性をはらんでいることだ。

敵基地攻撃能力を備えたミサイルを保有した以上、軍事的緊張が高まった時に、先制攻撃に踏み切ることになるリスクはかなり高いとみておいたほうがいい。古今東西、戦争というものは、軍事的緊張が高まった時に「先制攻撃されたくない」という警戒感が極限に達して開戦されるものである。だからこそ、先制攻撃可能な武力は保有しないというのが憲法の「専守防衛」の大原則なのだ。

その意味で、立憲民主党は敵基地攻撃能力の保有を明確に否定できない時点で、もはや憲法の専守防衛の理念を逸脱しているといっていい。

立憲民主党が談話を「言葉遊び」でどのように誤魔化したところで、この事実は隠せない。立憲民主党内の慎重派がこの「言葉遊び」を受け入れたら、もはや「立憲」を名乗る資格はない。


立憲民主党をはじめ、敵基地攻撃能力の保有や「防衛増税」をめぐる、岸田首相、清和会、財務省などの思惑をユーチューブ動画で解説しています。ぜひご覧ください。

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