立憲民主党が泉健太代表名で公表した『広島サミット閉幕をうけて(談話)』に、立憲の党勢低迷の要因が凝縮されている。
談話は冒頭で「激変する国際社会に安定と発展を取り戻すための重要な国際会議となりました。日本政府の入念な準備を労いたいと思います」と広島サミットを高く評価している。6月解散・7月総選挙の機運が高まっている最中に、岸田文雄首相が自画自賛する広島サミットをのっけから称賛している時点で、もはや立憲に勝ち目はなかろう。どこまでも「政権に抗う勢力」とみられたくない優等生集団なのだ。
談話は続いて「ウクライナのゼレンスキー大統領の参加は、あらためて力による現状変更は絶対に許されず、各国が1日も早くウクライナの平和を取り戻し、支援を強化するという強い意志を示すことにつながりました」とゼレンスキー来日を絶賛。「各国首脳が被爆の実相に触れ、核兵器の惨禍を二度と繰り返さない、核兵器による威嚇、使用を許されないという意志を固くした」とも称賛し、岸田首相が演出した「サミット成功」のシナリオ通りに手放して褒め称えている。
さらに驚くべきは、ゼレンスキー氏が戦闘機供与をG7に迫り、米国が米国製F16を同盟国が供与することを容認した結果、広島サミットはウクライナが対ロシア戦争を続行するための「武器供与サミット」と化したという最大のニュースを、この談話は黙殺していることである。「軍事支援」という負の側面を隠し、「核なき世界」という理想だけをアピールした岸田首相と軌を一にしているのだ。
しかも、岸田首相が胸を張る「広島ビジョン」は、むしろ核廃絶の動きを逆行させる内容であるという批判がNGOや広島市民から出ているのに、立憲の談話はそうした批判も黙殺している。まさに「広島サミット全面支持」なのだ。これでは「岸田政権を全面支持」と受け取られても仕方がない。
広島サミットに代表される岸田外交を評価する人の多くは与党に投票するだろう。評価しない人が最初に考えるべき投票先は本来なら野党第一党の立憲のはずだが、この談話を見たら、とても投票する気になれない。
この調子では立憲は総選挙をとても戦えない。泉代表は、岸田首相に「解散の大義」を与える内閣不信任案を6月の国会会期末にほんとうに提出できるのだろうか。
立憲はなぜ解散総選挙を目前に岸田外交を絶賛する羽目になってしまったのか。
ゼレンスキー大統領が昨春、国会オンライン演説で対ロシア戦争への支援を訴えたのに対し、立憲が自公与党に同調してスタンディングオベーションで称賛したことが、すべての失敗の始まりだと私は確信している。
当時、ウクライナに全面加担する国会決議に反対し、ゼレンスキー演説へのスタンディングオベーションにも加わらなかったのは、れいわ新選組だけだった。
私も国会決議やスタンディングオベーションに反対する論考を何度も配信した。以下はそのうちのひとつである。
しかし、れいわは(そして私も)世論から「ロシアの手先」「売国奴」と罵詈雑言を浴びた。世の中には「ウクライナ=正義、ロシア=悪」の善悪二元論が席巻し、異論を抑圧する軍事政権下のような重苦しい空気に覆われたのである。立憲もその片棒を担いだのだ。
戦争当時国の一方に全面的に肩入れしてもう一方を敵視する国会決議に参加し、国民総動員令を発して国民の国外脱出の自由を奪って戦争を遂行するゼレンスキー氏の演説を絶賛した以上、立憲はいまさらゼレンスキー氏が求める武器支援にも反対できない。
ウクライナ戦争を機に高まった日本の防衛力強化の動きにも立憲は同調してきた。岸田首相が打ち上げた防衛費の大幅増額にも、専守防衛を逸脱する敵基地攻撃能力の保有にも、国内の防衛産業を強化する法案にも理解を示し、大筋賛同してきたのである。
ゼレンスキー氏が飛び込み参加した広島サミットを立憲が手放しで称賛するのは、ゼレンスキー演説を礼賛したことの延長線上にある。もはや立憲は岸田外交との対立軸をつくれない。岸田首相が防衛力強化や広島サミットの成果を掲げて解散総選挙を仕掛けてきた場合、対抗する術がないだろう。
立憲が自公に同調して国会決議に賛成し、ゼレンスキー演説を絶賛したのは、政策論としても、政局論としても、大失敗だったのだ。
同じことは共産党にも言える。
共産党の小池晃書記局長はゼレンスキー氏の広島サミット参加について「特に、いいとも悪いとも言うことがない。それによって、何か問題が解決するということではない」と論評を避けた。
本来なら真っ先に「武器供与サミット」を批判するはずの共産党が批判を封じるのは、やはり1年前、共産党も立憲と同様、自公与党に同調してウクライナに全面加担する国会決議に賛成し、さらにはゼレンスキー国会演説をスタンディングオベーションで称賛したからだ。
共産党は岸田政権の防衛力強化には反対しているものの、ロシアとの戦争を国民総動員体制(野党の政治活動を禁じ、国民の国外脱出の自由を剥奪している!)で遂行するゼレンスキー大統領を称賛した事実は消えない。どんなに「戦争反対」と訴えたところで、国会決議への賛成とゼレンスキー絶賛は誤りだったと認めない限り、説得力も迫力も欠く。
ところが、志位和夫委員長が主導して決定した「国会決議賛成とゼレンスキー絶賛」の誤りを認めることができないからこそ、広島サミットにも歯切れが悪いのだ。トップが決めたことに異論を唱えることが許されない悪しき党文化に手足を縛られ、身動きがとれなくなっているのである。
共産党は志位体制を批判した党員を処分した「言論弾圧」問題で大逆風を浴び、今春の統一地方選では歴史的な大惨敗を喫した。それもはじまりはウクライナ戦争への対応をめぐって外交防衛論が党内で再燃したことと無縁ではなかろう。
ウクライナ戦争が泥沼化し、ロシアを敵視してウクライナへの軍事支援を強めるG7と、中立的立場から停戦を求めるグローバルサウス(中国やインド、ブラジルなど新興国)の溝が深まるなか、共産党は国会決議やゼレンスキー礼賛の誤りを認めない限り、今後の外交防衛政策の主張が大きく制約され、独自性が薄れ、党勢はますます低迷していくに違いない。
しかし、党内の異論を封じる「民主集中制」のもと、志位体制への批判が党内からわきあがる可能性は極めて低い。党再建には志位氏が自ら身を引き、世代交代を一気に進め、迷走した党運営や外交防衛政策をいったんリセットしなければ、次の総選挙はさらなる歴史的惨敗を喫するのではないか。
立憲民主党が共産党との選挙協力を否定しているのに、共産党が立憲の背中を懸命に追いかけているのも、志位体制が歴史的判断として踏み込んだ「野党共闘」の政治判断が間違っていたと認めるわけにいかないからだ。この硬直性が共産党の勢いをそぐ最大の原因といっていい。
このまま総選挙に突入したら、共産党の痛手は取り返しのつかないほど大きくなる。国会から「確かな野党」が消滅するのは、この国の民主主義の発展にとってもマイナスだ。本来は総選挙前に党首の顔を変えてイメージを刷新するのが得策だが、この組織政党はそのような機動性を有しない。そこが時代に取り残されつつある大きな要因だろう。