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創価学会のカリスマ・池田大作名誉会長の死去で公明党はどうなる?山口代表の世代交代も間近、自民党内には連立解消論も

創価学会のカリスマとして君臨し、公明党を創設した池田大作名誉会長が95歳で亡くなった。

創価学会が創立記念日の11月18日に発表した。亡くなったのは11月15日とのことである。10年以上表舞台から遠ざかり、闘病生活を送っていたようだが、カリスマを失った創価学会や公明党にどのような影響がでるのか、目が離せない。

池田氏は戦後まもない1947年に19歳で創価学会に入り、組織拡大で頭角を現し、日本社会が高度経済成長に突入する1960年に32歳で第3代会長に就任した。

翌年に公明党の前身となる「公明政治連盟」を結成して政界へ進出し、中央政界で大きな存在感を示した。中国と強力なパイプをつくったほか、世界54の国や地域を訪れて指導者や文化人と交流を重ね、平和運動にも取り組んで国連平和賞も受賞した。

池田氏が表舞台から遠ざかった後、創価学会内の主導権争いが報じられることもあった。池田氏の秘書的役割を長く務めてきた現会長の原田稔氏(第6代)も82歳である。

公明党の山口那津男代表も70歳を超え、昨年夏の参院選後に政界引退の方向だったが、後継代表をめぐる調整がつかず、一転して留任した経緯がある。遠からず代表交代が行われるだろう。カリスマ指導者を失ったなかで創価学会・公明党とも円滑に世代交代が進むのか、予断を許さない。

しかも創価学会の組織力には大きな陰りがみえる。学会員の高齢化が進み、公明党の集票力は2005年衆院選の898万票をピークに減少。2022年参院選では前年衆院選から93万票減の618万票にとどまった。

池田氏は政界進出へ強い思いがあり、「平和の党」「福祉の党」を掲げてきた。公明党の選挙支援は確かに学会員を結束させる大きなツールでもあった。創価学会にとって選挙は組織引き締めの「祭り」的な要素があった。

他方、高齢化が進む学会員たちにとって選挙は重荷となってきたのも事実だ。選挙のたびに得票数が減少を重ねるなかでモチベーションを維持するのも大変になってきた。池田氏の死去を契機に創価学会の政治離れが徐々に進む可能性はある。

戦後日本の高度経済成長期に農村部から都市部に働きに出てきた労働者階級を引き寄せたのが公明党だった。財界や地主、地域に根差した中小企業、農村部などを地盤とする自民党、労組に加入している労働者らを地盤とする社会党の双方から取り残された人々をすくいあげてきたともいえる。そのような人々の支持を奪い合って、都市部で共産党とはげしいつば競り合いを続けてきた。

池田氏の「大衆とともに」の旗印で組織拡大を続けてきた創価学会も、2世・3世は裕福になり、外交官や検事などエリート官僚として国家権力中枢に入る者も増えてきた。さらに自公連立政権入り後は「平和」や「福祉」で自民党に譲歩を重ねる一方、国土交通大臣ポストを手に入れて建設業界を味方に引き入れるなど、公明党の体質は大きく変質した。

将来の代表候補と言われる岡本三成衆院議員は、創価大学を卒業した後、シティ・バンクを経てゴールドマン・サックスで執行役員を務めた後に政界入り。週刊文春に「日米に10億円を超える資産を持つ大富豪議員」と報じられた。公明党の変質を象徴する議員といえるかもしれない。

このような変化は、池田氏が表舞台から遠ざかり、闘病生活を送っているといわれていたこの10年で加速した。池田氏死去を受けて、さらに加速するだろう。

一方、自民党にも公明党との連立見直しの機運はある。とくに岸田政権の後ろ盾である麻生太郎副総裁の公明嫌いは有名だ。池田氏死去が連立解消や政界再編への機運を後押しする可能性は否定できない。


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