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創価学会「引き締めをやめる」〜公明党の連立離脱で踏み出した一か八かの大転換

連立を離脱し、26年ぶりに野党へ転落した公明党。その直後、後ろ盾である創価学会が、日常活動の「大転換」を打ち出した。本部からの指示を減らし、組織の締め付けを大胆に緩めるという、かつてない方針変更である。

これは再生への一手なのか。それとも、公明党壊滅への引き金なのか。
池田大作名誉会長の他界後、衆院選、都議選、参院選でまさかの三連敗。創価学会と公明党は今、引き返せない分岐点に立っている。

学会本部の統制緩和という大博打

創価学会が日常活動の大転換を打ち出したのは、11月15日。池田名誉会長の三回忌という節目に、「全国総県長会議」を招集し、原田会長が重大な方針変更を表明した。

柱は三つある。
本部幹部会を月1回から年2回に減らす。
座談会の一斉実施指示をやめる。
各地の会議をできるだけ減らし、会員個々の自由な時間を確保する。

要するに、学会本部による中央集権的な管理統制を大幅に緩めるという宣言だ。高齢化が進み、会員減少に歯止めがかからない中、若者・現役世代の抵抗感を減らし、参加しやすくする狙いがあるのだろう。

だが、これは諸刃の剣でもある。
座談会は組織維持の要だった。しかし近年は形骸化が進み、拘束感が会員獲得の足かせになっていた。そこにメスを入れることで、新規獲得につながる可能性はある。

一方で、管理統制を緩めた途端、既存会員の活動量が一気に落ち込み、公明党の集票力がバケツの底が抜けたように減少する恐れもある。公明党壊滅への最後の一撃になる可能性すら否定できない。

池田大作という「重し」が外れた後

創価学会を急拡大させ、公明党を主要政党に押し上げた最大の原動力は、池田名誉会長の圧倒的なカリスマ性だった。その功罪はともかく、戦後日本社会でも屈指の存在感を放った人物である。

象徴的なのが、落選議員への対応だ。池田氏は、議席を減らしたことそのものではなく、「必死に応援した学会員を悲しませた」ことを激しく叱責したという。議席数よりも、学会員一人一人の思いを重んじる。この姿勢が、学会と公明党を強固に結びつけてきた。

だからこそ、公明党には「全員当選」という至上命題が課されてきた。
しかし、名誉会長の死によって、その精神的支柱は失われた。高齢化が進む中、組織力の低下は加速し、公明党の集票力は急速に落ち込んでいった。

三連敗が突きつけた現実

その結果が、衆院選、都議選、参院選の三連敗である。
昨年10月の衆院選では、全員当選を掲げた11選挙区で7人が落選。
今年6月の都議選では、過去8回続いた全員当選が途切れ、3人が落選した。
今年7月の参院選でも、改選14議席を8議席に減らした。

かつて900万票に迫った比例票は、今や500万票台前半まで落ち込んだ。第三極の台頭、新興勢力の乱立の中で、公明党の存在感は急速に薄れている。

高市政権の誕生で、ついに連立離脱に追い込まれたのは、こうした流れの必然だった。次の衆院選では、自民党が公明現職に対抗馬を立てる可能性すらある。全員当選どころか、小選挙区での議席確保自体が難しい局面だ。

「野党宣言」に込めた覚悟

創価学会は、連立離脱後しばらく沈黙を保っていた。だが、日常活動の大転換を打ち出した11月15日、ついに見解を示した。

「政権は移ろいやすいものにすぎない」。
この言葉の紹介は、自民党との再連立を断ち切る決意表明と受け取れる。

続く創立記念日の本部幹部会では、公明党に「中道改革勢力の軸」となることを求め、「政治とカネ」の徹底追及を強調した。右寄りの高市政権との決別、そして立憲民主党との連携をにらんだメッセージと見るのが自然だ。

公明党執行部も、自民・維新を激しく批判し、「与党ボケから脱却する」と宣言した。創価学会の方針転換を受け、自民党と決別する姿勢を鮮明にしたのである。

創価学会と公明党の大転換は、成功するのか、それとも壊滅への道なのか。
年明け早々、解散・総選挙があれば、その答えはすぐに突きつけられる。ここで惨敗すれば、国政撤退論が一気に現実味を帯びるだろう。

創価学会と公明党は今、歴史的な曲がり角に立っている。