拙著『朝日新聞政治部』では政治取材の内幕を赤裸々に明かしている。そのなかで最も伝えたかったことのひとつは、オフレコ取材の危うさだ。
政治家取材には主に3つのスタイルがある。①記者会見やインタビュー、②記者懇談会、③サシ取材。このうち①はオンレコ(政治家の名前を明示して報道できる)だが、②や③の多くはオフレコである。
政治記者は日々の取材結果をメモにしてデスクやキャップに上げるのだが、その際には取材相手や取材日時、同席した他社(単独取材の場合は「サシ」)など取材環境をめぐるデータに加えて、「オンレコ/オフレコ/完オフ」かを必ず明記する。
オフレコとは、事実関係や背景事情を知るための取材で、政治家が公式には話しにくいことを、非公式に聞く際には都合が良い。政治家の氏名は明示せずに「政府首脳」「政府高官」「党幹部」「首相周辺」などの発言として記事に引用されることも多い。そのような形も含めて一切の引用を禁じる場合を業界用語で特に「完オフ」と呼ぶ。
オフレコ取材は政治家の本音を知る有効な手段である一方、政治家はその発言の真偽について責任を問われないため、情報操作に利用されるリスクが極めて高い。都合の悪い情報をあえて話すことはほとんどないし、都合の良い情報を大げさに話すことは珍しくない。まったく虚偽の情報を流すことさえある。
だからオフレコ取材には相当な注意が必要である。政治家のオフレコ発言の多くは「嘘」か「大げさ」であるとまずは疑うことが肝要だ。
汗を流して取材しても騙されて利用されるだけでは意味がない。政治家のオフレコ発言を、その政治家の過去の言動、その時に置かれた政治状況、他の政治家の発言などを照らし合わせて真偽を吟味し、真偽を見極め、ふるいにかけて記事に盛り込む作業が絶対に欠かせない。
優秀な政治記者には2つの類型があり、ひとつは「真偽不明ながらも一次情報を入手してくる記者」、もうひとつは「玉石混淆の情報を整理・分析して真偽を見極め、全体像を描く記者」だ。前者は現場記者、後者はキャップやデスクに求められる資質ともいえる。
多くの政治記者が勘違いしているのは、各社が出席しているオンレコの記者会見よりも、自分だけのオフレコ取材のほうが「政治家は本音を明かす」と信じ込んでいることだ。自意識過剰としかいいようがない。政治家はつねに政治記者を情報操作の道具としかみておらず、記者として評価しているから秘密を打ち明けるなどということは滅多にないことをまずは自覚する必要がある。
私は政治部デスク時代に「オフレコ取材よりはオンレコの記者会見をまずは信じるように。記者会見で嘘をつかれたら後で責任追及できるが、オフレコで嘘をつかれても責任追及できない。記者会見で真正面からガンガン質問することが何よりも重要だ」と部下に繰り返し言っていた。
政治家が政治記者を相手にするのは、情報を操作したいからだ。なのに多くの政治記者はすこし政治家に相手にしてもらえると「自分は政治家に食い込んだ」と勘違いし、会食や電話やSNSを通じて政治家が自分だけに明かした情報を「真実」と信じ込んでしまうのである。政治家にすれば、このような記者ほど情報操作に利用しやすいので周囲にはべらせる。多くの政治記者はそれに気づかない。
以上、オフレコ取材の危うさを述べたのは、それを象徴する出来事が起きたからだ。高市早苗経済安保担当大臣の「8割大陸」発言である。
これは、高市氏が名古屋市であった「日本会議東海地方議員連盟設立総会」の非公開会議(つまりオフレコの会議)で、「国葬反対のSNS発信の8割が隣の大陸からだった」と発言したのかどうか、真相があやふやになっている問題である。
この会議に参加した三重県の小林貴虎県議が「国葬反対のSNS発信の8割が隣の大陸からだったという分析が出ているという。今日の講演で伺った話。ソースは以前三重の政治大学院でもご講演頂いた事のある現職」とツイートしたことが発端だった。これに対して「根拠不明」「差別的」などの批判が相次ぐと、小林県議は「私が総理大臣になって頂きたいと強く願っている高市早苗先生が、政府の調査結果としてお伝えいただいた内容です」とツイートで打ち明けたのである。
そもそも「国葬反対のSNS発信の8割が隣の大陸からだった」という表現自体があやふやだ。このような分析を正確に行うには、さまざまなSNSについて国葬反対の発信を相当数抽出し、それぞれの発信元を割り出してそのうち8割が「大陸」だったことを突き詰めなければならない。相当な困難を伴う作業である。しかも「大陸」というくくりがあいまいだ。それを「政府が調査」して「分析」し、大臣に伝えているとしたら、政府の調査機関(公安警察の場合が多い)はよほどずさんということになる。
まともな政治記者ならば、三重県議のツイートをみて、まずは①この情報は怪しい、②三重県議が完全な創作情報を流したとは考えにくい、③三重県議が勘違いしたのか、大げさに発信したのか、あるいは高市氏の情報操作に乗ったのかーーと考え、高市氏の発言内容を確認する取材に走る。
ところが、高市氏を担当する記者たちによる記者会見での追及が甘く、真相はなかなかはっきりしなかった。ダメな政治取材の典型だ。その後、三重県議が発言を撤回し、うやむやに終わらせる狙いがありありである。
これまでのところ、アエラ・ドットの記事が最も早く真相に近づいたように思う。参加した市議のひとりが取材に対して以下のように明かしている。
「高市大臣は『国葬に反対の人も多かったと思うが、弔問に来られた方は本当に多かった』と振り返っていました。安倍元首相の写真も演台の横に置かれており、思うところがあったのだと思います。そこで『国葬反対のSNS発信の8割が隣の大陸の人かなと思っている』といった発言をしました」
おそらくこれが真相に近いのだろう。高市氏は「政府の調査」の結果を明かしたのではなく、日本会議に加盟する右寄りの地方議員たちが集まる「オフレコ」の会議で、自らの人気を高めるためのリップサービスとして「8割大陸」発言をしたのではないか。それがもっともらしい情報としてネット上に広がり、国内世論の右傾化・排外主義が進むことは、安倍晋三氏亡き現在の政界で高市氏の存在感を高めることにつながるという打診もあったかもしれない。
そのような目論見は、三重県議が「オフレコ破り」で高市氏の名前を明かしてしまったことで見事に崩れた。三重県議は自らに殺到した批判を交わすために高市氏の名前を持ち出したのだろう。
彼を擁護するつもりはさらさらないが、ここで確認しておきたいのは「オフレコ」は不可侵の合意ではないということである。政治家の発言が差別的な要素を含んでいるなど看過できない場合、「オフレコ」であっても名前を出して報じたケースは過去にいくらでもある。
オフレコを政治家が一方的に情報操作する手段にさせてはいけない。時にオフレコは破られるという現実を突きつけ、オフレコ発言にも緊張感を持たせることが、政治家の言い分を垂れ流すだけの政治報道から脱却するためには有効だ。
ちなみに私は朝日新聞政治部の記者時代、オフレコ破りの常習犯だった。まず大事なことは、記者としてオフレコを破る大義名分をしっかり持っておくことだ。それでもオフレコ発言を報じてしまうと、政治家が抗議してくる場合は少なくない。ここでどう対応するかが勝負である(大物政治家は破られることを見越してオフレコ設定することもある。記者には相手の真意を見抜く力も必要だ)。ピンチはチャンスである。政治家の抗議を跳ね返して納得させ、「こいつはやり手の政治記者だ。敵に回すよりは良好な関係をつくっておこう」と力量を認めさせれば、政治家の腰巾着から対等な取材関係へ発展させることができる。
具体的手法の一端は『朝日新聞政治部』に明かしているので、よろしければご覧ください。
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