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天皇がコロナ禍の五輪開催に示した憂慮〜谷誠・京大名誉教授の論考から「惰性で進む日本」を考える

日本国民の多数の反対を振り切って菅政権が強行開催した東京五輪は、日本社会を大きく分断した。人権軽視をめぐる問題が相次いで発覚した開会式に出席して開会を宣言した「日本国民統合の象徴」(憲法1条)である天皇は、東京五輪がもたらした日本社会の分断をどんな思いで眺めているのだろうか。

このたいへん興味深いテーマについて、京都大学名誉教授の谷誠さんがSAMEJIMA TIMESに意見を寄せてくれた。谷さんは林野庁の研究者から京大教授に転じた森林の水・土砂害を抑制する効果に関する専門家で、水文・水資源学会の会長も歴任している。そのかたわら、谷さんが自ら運営する「水と土と森 谷誠ホームページ」に公表した『「空気を読む」を深層で支えるメタ空気』は、「コロナ禍での五輪開催への天皇の憂慮」について鋭く分析する論考だ。

谷さんは社会学者の大澤真幸さんと憲法学者の木村草太さんが対談した「むずかしい天皇制」(晶文社、2021)をベースに論考したとしている。きょうは谷さんの考察を紹介しながら「コロナ禍での東京五輪」と「天皇制」について考えたい。

東京五輪に対する天皇の意向に注目が集まるきっかけとなったのは、宮内庁の西村泰彦長官の6月24日の記者会見だった。西村長官は「陛下は現下の新型コロナウイルス感染症の感染状況を大変ご心配しておられます。国民の間に不安の声がある中で、ご自身が名誉総裁をお務めになるオリンピック・パラリンピックの開催が感染拡大につながらないか、ご懸念されている、ご心配であると拝察をいたします」と発言したのだ。

西村長官は警察庁出身で、安倍政権が皇室監視のために送り込んだとみられている。菅政権が東京五輪の強行開催に突き進むさなかに、その西村長官が個人的な思惑で「天皇の憂慮」を表明することはありえない。つまりこの「憂慮」は天皇自身の強い意思を西村長官が明かしたものであると広く受け止められたのだった。

谷さんは「もし多くの国民が五輪開催を心待ちにしていると天皇が認識しているのなら、絶対にこのような憂慮を発信するはずがありません」と指摘したうえ、西村長官の発言には「実は天皇も国民と同様に思っているのだよ」というメッセージが込められていると読み解く。そして、この背景には、長い歴史を通じて天皇と日本で暮らす人々との間に築かれた独特の関係があるというのである。

この独特の関係とは何か。先に紹介した「むずかしい天皇制」における大澤さんの解説がわかりやすい。

天皇は最後に判断することが重要なのです・・(中略)・・天皇が自分のきわめて独自の見解などをいい始めて、日本人の空気とまったく一致しなかったら大混乱なので、普通は、空気がほぼ見えてきたところで、天皇も「実はそう思っていた」というかたちにしなくてはならない。

このような天皇の立ち振る舞いが顕著に現れたのが、先の大戦だった。

何度も敗戦を決断すべき悲惨な戦況が生じたにもかかわらず、帝国政府は自国民を見捨て、敗戦を決断しなかった。「負けるに違いない」と腹で思っていたにもかかわらず、政府の空気は「一億玉砕、最後まで戦う」で統一されていた。多数に抵抗して「敗戦」を主張したら、反日・非国民とつるし上げられるので、正しい判断と逆方向に進んでいったーーと谷さんは分析した上、昭和天皇が広島・長崎に原爆が投下された後にようやく玉音放送で敗戦を宣言した理由を以下のように読み解いている。

戦況の悪化、将兵と民間人の辛苦を十分把握していた昭和天皇は、なぜもっと早くこの役割を行使しなかったのでしょうか。これは難しい問題ですが、天皇は、立場上、いかに空気を読むという「同調圧への依存性」から自由であったにしても、一億玉砕の空気に対して、このままではさすがに国が滅びかねないとの空気のほうが上回ったことを確認できてはじめて、やむをえず敗戦を決断するほかはない、明晰な頭脳をもちかつ現実主義者であった昭和天皇は、自己の役割を慎重に見極めていたと推測されます。

この分析を現下の「コロナ禍の五輪開催」にあてはめると「天皇の憂慮」の意図が浮かび上がってくる。菅政権が国民の多数の反対を振り切って強行開催に突き進むなかで、天皇が「このままではさすがに国が滅びかねないとの空気のほうが上回ったこと」と確信したからこそ「憂慮」を表明したということになる。天皇が「実は自分もそう思っていた」と言わなければならないほど現下の危機が切迫しているといえるかもしれない。

谷さんの分析は続く。「宮内庁長官の発言は、上皇の強い意思を反映していると思います」というのである。

上皇は、昭和天皇の遺志を受け継いで「天皇は、みずからが象徴とされていると認識している国あるいは国体は未来永劫継続し、その永続性を代替わりしても代表する『メタ空気』そのものでなければならない」と考えており、五輪を通じた感染症拡大の事態に際して「国民多数がそうなるのではないかと危惧する空気が充満してきて、私物化と無策を特徴とする安倍・菅政権に従順な空気の流れがずれ始めている」と感じ、「頼りなさが拭えない現天皇に対して、天皇のメタ空気としての役割の意味を、この「コロナ禍の五輪」の問題を通じて、教授した」と谷さんは分析している。

たしかに上皇が昭和天皇から「敗戦」というリアルな現実を通じて受け継いだ「天皇の役割」を現天皇に直接伝授する具体的な機会はこれまでなかったかもしれない。谷さんはコロナ禍の五輪開催を受けた宮内庁長官の発言を「上皇の覚悟を示すもの」と解釈している。

谷さんはこのような天皇と国民との関係を称賛しているわけではない。むしろ「結果的に、空気を読んで多数に同調する日本国民の特徴は維持され、その空気を読んでいいのだよ、という安心感・楽観的な幻想は、天皇制というメタ空気によって、国民の間に共有され続ける」と指摘している。日本社会に浸透する強い同調圧力や「馬鹿げた現実を追認し惰性で進行してしまう空気」は、天皇制によって醸成され続けているという分析だ。

谷さんの論考『「空気を読む」を深層で支えるメタ空気』を私なりに解説させていただいた。ご意見・ご提言は政治倶楽部に無料会員登録して以下のコメント欄から投稿していただきたい。

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