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辻元清美氏の落選に想う〜枝野氏に苦言を呈するとしたら、彼女しかいなかった

立憲民主党が惨敗した今回の衆院選で、辻元清美氏が落選して国会を去った。彼女が小選挙区で勝ち上がっていたら、枝野幸男代表の後任を選ぶ代表選に出馬していただろう。

激動の政治人生を歩んできた辻元氏が何を掲げて代表選に挑むのかを見てみたかった。

社民党の土井たか子党首の誘いを受け1996年衆院選の比例近畿ブロックから出馬し初当選。自社さ政権の「与党」の一員として国会議員人生を始め、自民党の加藤紘一幹事長や山崎拓政調会長に気に入られて政策力を磨いた。社民党が連立離脱した後は政権を鋭く批判する国会質問で名をあげ、福島瑞穂参院議員と並んで土井党首を支える「社民党の顔」となった。

ところが、2002年に秘書給与流用事件が週刊誌報道で発覚して議員辞職に追い込まれ、翌年には逮捕される。時は小泉政権。辻元氏だけでなく、鈴木宗男氏ら政権に批判的な政治家が次々に強制捜査の対象となった時期であった。

辻元氏の疑惑が発覚するとマスコミの取材は過熱し、彼女はそれを避けるために雲隠れした。最も信頼を寄せていたジャーナリストは朝日新聞の大物政治記者である早野透氏で、さまざまな相談事をしていたようだ。

その事件の最中、私も辻元氏との接触に成功した数少ない政治記者の一人であった。彼女は待ち合わせ場所に変装して現れた。私がまったく気づかないほどだった。辻元氏は疲れ切っていた。逮捕され、保釈された後はしばらく音信不通になった。その間も早野氏とは連絡を取り合っていたと思われる。

辻元氏がこの事件で国会を去っていた時、土井氏は福島氏を後継指名した。辻元氏は2005年衆院選で社民党公認で出馬して当選し、国政に復帰した。

2009年の民主党政権誕生で、辻元氏は社民党から国土交通副大臣に起用される。この時の印象は「政権批判の辻元」というよりは「自社さ政権で政策力を磨いた辻元」に近く、思いのほか官僚とも穏当に接し、JAL再生などを実務的にこなしていた。2010年に社民党が普天間基地問題に反発して連立離脱した際に涙ながらに国土交通副大臣を辞任。それからしばらくして社民党を離党し、ほどなく民主党入りしたのだった。

2017年衆院選では枝野氏が旗揚げした立憲民主党に参画し、国対委員長や幹事長代行など要職を担ってきた。

ざっと振り返っても、激動の政治人生である。彼女のように挫折を経験し、はい上がってきた政治家は、さまざまな矛盾を抱えながらも、やはり見どころがある。

一方で、私が辻元氏に抱いてきた印象は「常に誰か大物の庇護を受けている」だった。最初は社民党の土井氏である。そして加藤氏や山崎氏である。早野氏もそうだろう。辻元氏は切れ味が鋭く、大物が期待を寄せるのはよくわかる。その分、彼女は常に「誰かの後ろ盾を得ながら暴れている」という感じがしたのだった。それは辻元氏の「たくましさ」の中に紛れ込む「ひ弱さ」の原因かもしれなかった。

辻元氏が秘書給与流用事件で議員辞職していなかったら、社民党党首は福島氏ではなく辻元氏であったという見方があるが、私は否定的だ。辻元氏は攻撃力は強いが、防御力が弱い。一方、福島氏はいかなる攻撃にも動じない安定感があり、辻元氏にただよう「ひ弱さ」を感じない。土井氏は辻元氏の事件がなくても、さまざまな批判の矢面に立つ党首としては福島氏のほうが適任であると判断したように私は思う。

辻元氏自身も少数政党のリーダーとして多方面からの批判を一身に浴びるよりも、民主党という大所帯に加わって自らの持ち場で思う存分に力を発揮したほうが居心地が良かったのではなかろうか。国土交通副大臣として生き生きと働く姿をみて私はそう感じていた。

立憲民主党の旗揚げ後、辻元氏の後ろ盾は年下の枝野氏となった。かつての土井氏や加藤氏、山崎氏らとはまったく性格を異にする「後ろ盾」である。辻元氏が政治家として自立する機会が訪れたといえるかもしれなかった。

立憲民主党は枝野代表と福山哲郎幹事長の「独裁」と言われる状況が続き、辻元氏もこのままでは良くないと考えていたようである。とくに枝野氏が消費税減税をかたくなに拒み、共産党やれいわ新選組との関係がぎくしゃくしていた時期、辻元氏は枝野氏に直言する機会を何度も探っているようだった。

私は当時、朝日新聞の言論サイト「論座」で主に政治分野を担当していたが、辻元氏から寄稿の打診を受けたことがある。消費税減税を含む大胆な政策と党運営の改革を柱とする内容で「枝野批判」とも受け取られかねない内容だった。「辻元氏もついに勝負に出るのか」と思ったものだ。当時の立憲民主党で枝野氏に苦言を呈するのに最適任だったのは辻元氏であったと思う。

だが、辻元氏は最終的にその原稿の掲載を決断することができなかった。党幹部として枝野氏の足を引っ張ることになるという躊躇があったのだろう。

それはある意味で辻元氏らしい結論だった。アイデアも発信力も抜群なのだが、最後に慎重さが勝り決断が鈍ることがある。それは過去に手痛い経験をしたゆえの「怯れ」なのかもしれない。あの時、辻元提案が世の中に提起され、その流れで立憲民主党が変革していれば、今回の衆院選の惨敗はなく、枝野氏の代表辞任も辻元氏の落選もなかったのではないかと想像したくなる。

辻元氏は落選を受けて「何が足りなかったのか」を自問自答すると動画で発信していた。彼女らしいまっすぐな言葉だと思った。再び襲いかかってきた試練を乗り越え、今度は真に自立した政治家として国政へ復帰し、真に弱き者の立場にたったリーダーを目指して欲しい。今回の挫折でさらにひとまわり大きな政治家になるはずだ。

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