政治を斬る!

公文書館は「権力者の館」だった!デジタル改革で「歴史の記録」を市民の手に

デジタル改革は低迷する日本を救うのかーー。政治家、学者、弁護士、ジャーナリストがとことん議論する異例のトークイベントに、私もジャーナリストとして出演させていただいた。「図書館とデジタルメディア、 融合の可能性」(主催・図書館総合展運営委員会)である。

昨年11月27日のイベント前にSAMEJIMA TIMESの記事『デジタル改革は「政治を開く」切り札だ〜11.27オンライン・トークイベントで山田太郎参院議員や福井健策弁護士らと徹底討論します!』でも紹介させていただいた。このたび、全内容がYouTubeで一般公開されたので紹介したい。出演者は以下である。

デジタル大臣政務官を務める自民党参院議員の山田太郎さん

デジタルアーカイブ学会会長で東京大学大学院教授の吉見俊哉さん

著作権界の第一人者である弁護士の福井健策さん

ジャーナリストの鮫島浩(私)

司会は共同通信社の内田朋子さん

2時間半にわたる大討論である。テーマは多岐にわたった。「そんなに見てる暇ないよ」という方々へ、私が独断で選んだふたつの「ハイライト」を記事にしたのでぜひご覧ください。


●公文書館は「権力者の館」だった

財務省が公文書を改竄し、国土交通省が統計データを操作する時代。歴史に残る「記録」そのものへの信頼が揺らぐ。そのなかで図書館や公文書館という「アーカイブ」の役割が改めて注目を集めている。

そもそもアーカイブとは何なのか。2017年設立のデジタルアーカイブ学会の会長を務める吉見さんの解説が面白かった。以下、私なりにまとめてみる。

古代ギリシアでアーカイブは「権力者の館」を意味していた。権力を行使するには領地や領民の記録を集めて管理する必要がある。「記録を持つ」ことこそ「権力を持つ」ことだった。ヨーロッパでは中世までそうだった。王侯貴族や教会が「記録」を握り「統治」をしてきた。

それを大きく変えたのがフランス革命だ。市民革命によって「権力者の館」は「市民の手」に引き渡された。記録を管理するのは「権力者」ではなく「国家」となり、その「国家」の代表は「市民」であるという構図に変わったのである。

活版印刷の登場による「印刷革命」がそれを後押しした。情報を集めて市民に広く開放することが可能になったのだ。かくして「記録」は権力者のものから市民みんなのものになる。アーカイブの概念が180度変わったのだ。

現代の私たちはその先に生きている。国家や社会の「記録」を保持する図書館や公文書館は誰のものか。記録媒体が「紙」から「デジタル」へ移行するなかで、根本的な問いがますます重要になってきたーー。

以上が、吉見さんの問題提起である。

これに対し、デジタル担当政務官として政府のデジタル政策を担う山田さんの発言は衝撃的だった。これまでの図書館や公文書館は「紙に書かれたものを管理する書庫」だったが、デジタルは「書庫」にある必要はない。紙は中古品として流通されるが、デジタルは劣化せず「中古品」になりえない。紙とデジタルの性質は根本的に異なり、「紙の書庫」であった図書館というものは本当に必要なのかーーという根源的な問いである。図書館や公文書館のあり方を全否定する趣旨ではなく、デジタル時代に即した姿に変革する必要があるという指摘であろう。

私はすべての公文書をデジタル化して永久保存する制度を導入することで、公文書改竄や統計操作といった不正を防止するだけでなく、不透明な政策決定を健全化させる効果が期待できると主張。「デジタル改革によって公文書は本当の意味で『国民の館』になる。デジタル改革を政治改革の切り札と位置付けたい」と提案した。

司会の内田朋子さん

これに対し、政府当局者の山田さんは「政府内はFAXでのやり取りがほとんど。そもそもデジタル化が遅れているのだが、公文書が開示請求対象となり、官僚は怖がって、文書をできるだけ残さないようになった。政府内部の自由な議論をどう保障するかとセットで考えなければならない」と指摘した。

吉見さんも「フランス革命以降、フランス国家が公文書館をつくった理由は統治の継続性がいちばん大きい。彼らは王侯貴族を焼き払い、カトリック教会を潰し、統治の継続性を支えてきた官僚システムがなくなった。そこで困ったのは、どうやって統治するかだ。ここの土地は誰の財産か、記録がないと統治できない。公文書館はもともと国民のためではなく国家のためにできた。それが少しずつ市民に開放されていった」という歴史を紹介した。

なかでも印象に残ったのは、公文書大国と言われるアメリカの歴史だ。1930年代のニューデール政策で官僚システムが巨大化し、官僚たちが自分たちで何をやっているかわからなくなり、統治の一貫性を持たせるために公文書館システムが発達したのだという。

もともと権力者が「統治」のためにつくった公文書館。「民主主義」の発展とともにそれが市民の手に移る歴史的プロセスのなかに現代社会はあるのかもしれない。「統治」と「民主主義」のせめぎ合いは現在進行中なのだ。

弁護士の福井さんは「情報を公開してシェアしていく安全保障と、大事な情報は独占管理する安全保障がせめぎ合っている。両者のバランスが大切だ」としつつ、「公開するものと公開したらまずいものをしっかり仕分けすると、99%は公開してもかまわない情報になるのではないか」と指摘した。

私は「誰が仕分けをするかが重要だ。政治家や官僚に仕分けを委ねて信用できるのか」と述べた。福井さんは保存期間などを定めた公開・非公開の客観的基準やそれを判断する独立性の高い第三者委員会の設置を提案。具体的な対応については議論が詰まりきらなかったが、「統治」と「民主主義」のせめぎ合いの中で公文書管理のあり方は決まってくるのだろうと私は認識した。

●著作権に守られたマスコミの政治報道

朝日新聞社を辞めて「小さなネットメディア」を立ち上げた私の立場からは、政治取材の現場で記者クラブ加盟のテレビ新聞など既存メディアがいかに著作権で守られているのかということを問題提起した。

政治の舞台裏を読み解いたり、先行きを展望したりする「政治記事」において、私はテレビ新聞の政治部と勝負できないとは考えていない。もちろん記者数や取材費は桁違いに及ばず、記事本数や速報性、発信力で劣るのはやむを得ないが、オリジナルな記事内容という意味ではひとりでも十分に対抗できると思っている。

だが、どうしても太刀打ちできないのは映像だ。

例えば、首相官邸で突然発生することがある首相のぶらさがり取材。官邸記者クラブ常駐の記者たちが首相を取り囲み、質疑が行われる。この場で首相が突如として退陣表明したり、重大な政策発表をしたりすることはしばしばある。その場に居合わせることができるのは、マスコミの記者だけだ。

この場で首相が発言したことに著作権の制約はもちろんなく、誰でもマスコミ報道を通じて知った首相の発言を勝手に引用することは可能だ。問題となるのは、そこでマスコミ各社が撮影した映像や写真である。これにはマスコミ各社の著作権が発生し、勝手に使うと著作権侵害になる可能性が高い。

これは大きな「記者クラブ利権」だ。テレビ新聞は記者クラブに属しているだけで「首相ぶらさがり」の映像や写真を排他的に独占しているのだ。テレビが視聴率を稼ぐ一因はその映像の優位性にある。新聞も映像や写真を多数保管し、コラージュなどに自由に使えるため、コンテンツ制作で優位に立てる。マスコミが報じる映像や写真を外部の人間は勝手に使うことができない(著作権法上の例外規定を除く)。ネットメディアが映像や写真を用意するのはコスト面を含めて負担が重い。

デジタル時代に多様なネットメディアが登場した今、オールドメディアが「首相ぶら下がり」の映像や写真を独占使用しているのは、正当性を欠く既得権益である。あまりにアンフェアではないか。国民の知る権利を代表して記者クラブに常駐しているだけなのだから、自社の利益のためだけに使うのはおかしい。記者クラブに加盟することで得た映像や写真は、著作権フリー素材として誰でも自由に使えるように認めるべきではないかーーというのが私の提案である。

これは首相官邸の取材に限らない。衆参の国会中継にもNHKや衆参両院の著作権が発生する可能性があるという(固定カメラで写しただけの映像は「著作物」にあたらない可能性が高いが、カメラの構図を変えたりズームにしたりする行為には「創作性」が認められ「著作物」になりうる)。政治取材の現場以外にも記者クラブ加盟社の既得権益は数知れない。

これらを著作権フリーとし、テレビ新聞が記者クラブ加盟社の特権として得た映像や写真は誰でも使用できるようにすれば、テレビ新聞も記者クラブ加盟で得た情報で競争力を維持できなくなり、解説記事や調査報道に力を入れるほかなく、報道全体が進化することになろう。

著作権界の第一人者である福井さんからは「著作権者が意思表示すれば誰でも自由に使えるようになる。そこを攻めたら面白い」との指摘があった。テレビ局や新聞社に対し、記者クラブを拠点に撮影した映像や写真は著作権フリーにするよう世論全体で圧力をかけるのは一案であるということだろう。

福井さんはさらに「私の発言はすべて自由に転載利用してくださいという『CC(クリエイティブ・コモンズ)政治家』はまだいない。山田さんに初のCC政治家になってほしい」と提案。山田さんは「いろんな切り取り方をされるのをどうするか、検討させてください。でも、大事なことです」と応じた。

「権力者の館」に秘蔵される公文書に加えて、テレビ新聞が特権的立場を利用して撮影した映像や写真の数々も「マスコミの館」から市民の手に引きずり出すことが必要である。


私なりにふたつの「ハイライト」を紹介させていただいた。実際のトークイベントでは、デジタル改革が「新しい資本主義」や「地方創生」「教育」など多方面にどのような影響を与えていくのか幅広い議論が展開された。詳細はYouTubeでご覧いただきたい。

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