実際に見た火山の噴火は、このうえなく美しく、気高く、心あたたまる自然の驚異だった。
当コラムの門出を祝すかのように噴火したアイスランドの火山。それもレイキャネス半島では約800年ぶりのこと。名前はまだ定められておらず、「ゲルディンガルダルル噴火」や「ファグラダルスフィヤル噴火」になると思われる。こうなると直接お礼に行くのが筋だろう。安全性に問題はないと判断し、私は現場へ向かった。
噴火が確認されたのは2021年3月19日、金曜の夜。噴火直後にヘリコプターで調査に向かった科学者がインタビューに応え、「安全な場所から、みなさんに見てもらいたい」。
え? 噴火現場に、民間人を招きたい??
日本の過剰防衛、事なかれ主義であれば、少々の「危険の可能性」があれば、なんとしてでも人を遠ざけるだろう。
レイキャネス半島では2月末にM5.7の大きな地震があり、群発地震が続いていた。2-3週間も地震が続くと、「大地の揺れで酔いそう」「地震が憂鬱で仕方がない」等の不調を訴える声が聞こえていた。正直なところ私も、いつ始まるとも知れない噴火への不安と、地が揺れ続けることにへきえきし、コロナも手伝い気持ちがひどく落ち込んでいた。
噴火は災害を伴う物事だ。気安く噴火を望むものではない。けれど、心の中では「噴火してくれればいいのに」と思っていた。
そんな矢先、タイミングよく火山噴火が始まった!
調べたところ、噴火に一番近い南側の道路は閉鎖されているが、遠回りでも片道を6キロ歩けば行けるルートが、西と南とでふたつある(後日これが10キロ強であったことを知る)。日頃の運動不足に加え、前夜の食事会での酒が残っているが、ここで奮起せずにどうする!と、自分を励まし、西ルートに挑むことにした。
ハイキングコースを歩き始めたのは14時40分過ぎ。遅い!遅すぎる!けれど、私が二日酔い気味で、朝、足がつったこともあり、起きてから少し時間が必要だったのだ。人出は多い。色とりどりのジャケットが、彩の少ない溶岩台地を進んでいく。
溶岩台地は起伏が激しいことも多いが、思っていたよりも平坦な道のりがつづいて楽だった。それでも、二日酔いの身体には厳しく、今朝つった左足のふくらはぎが早々と痛んできた。
「水飲みた〜い、チョコ食べた〜い」と、30-40分に一度、休憩を挟んだ。強風の場所もあったが、耐えられる範囲でもあった。ちょっと疲れてきて無理なんですけど〜。という雰囲気に私がなってきた時、南と西のルートが出会う場所に到達した。
犬を連れている人、マウンテンバイクを持っている人。幼稚園の年長さんから小学生低学年の子供連れの姿も。
「ユーカ、もうすぐだ。この斜面を登れば、5分で噴火が見えてくるそうだ」
滑りやすそうな斜面で、登ったはいいが、下りの方が怖い。文句を言うだけ無駄なので、ここは無言でゆっくりと進んだ。
歩き初めてから2時間半後、ついにその瞬間は訪れた。目に、噴火口が飛び込んできた。
「うわ、なに、すごーい、キレイ!!」
神々しい。鮮やかなオレンジ色。「刀の火入れ時の、あの色だ」と、日本の誇るべき伝統芸術を、私はマグマに重ね合わせた。
噴火口が、ふー、ふーっと、息をするように、リズミカルに、マグマを吐いていた。驚異ではあるけれど、脅威ではないどころかーー神々しい、美しい。
「マグマを吐き出さないといけないので、安全な場所を選びました。みなさんに危害を加えませんから、どうぞ私の中のものを愛でてやってください」。そんな風に語りかけている感じさえした。
マグマを吹き上げる時には、海の波のようなドスン、ドスンという音がする。流れ出す溶岩の音も独特だった。ドロドロというより、ドゥワドゥワという感じか。
日本の噴火は暴力的だ。火山灰、火砕流が飛び跳ね、人を蹴散らし、恐怖をまき散らす。が、目の前にした噴火口では、マグマを吹き上げても、それは再度、噴火口の中へ吸い込まれて戻っていく。火山なのに、なんと穏やかな行為であろうか。
山の中腹まで来ると、あかあかとオレンジ色に燃えるマグマが、ズズズズと音を立てるように動いていくではないか。そのごく近くに、大勢の人がいる。人の波もオレンジの動きと共に進んでいく。度肝を抜かれた。
動画を上記ツイッターにあげたところ、ものすごい勢いでリツートされた。約10万件の「いいね」が付いた。コメントに、「怖くない?」「危険じゃない?」という言及が多くあったが、ぜ〜〜んぜん!
不思議と怖くなかった。母なる大地の営みとして、穏やかさを感じた。
火山灰や火砕流が飛び出すような噴火ではないことは事前に予想されていたし、研究者も、それが確認できたので、安全な場所からであれば「どうぞ」と明言したのだろう。無茶をしなければ、大丈夫。問題ない。
現場には自衛団の姿もある。有毒ガスが立ち込める地域は、立ち入り禁止になっている。
マグマを吹き上げる噴火口は見ていて飽きない。黒くゴツゴツとした噴火口から、輝くようなオレンジの液体が、ドワン、ドワンと、音を立てて飛び散る。水のような粒ではなく、飴のような粘性を感じる不思議な形状をたくさん散らしながら、一瞬空とたわむれ、また噴火口の中へと戻っていく。
時々、閃光が外に飛び出し、噴火口の周りを明るくしたかと思うと、次の瞬間にはもう黒い周囲と同化してわからなくなる。ふたつとして同じ瞬間は起きない。
世にも稀な、そして最高のエンタメだ。夢を見ているのかと思うほど、現実離れしている。
長時間のハイキングを強いられることもあり、浮かれて、はしゃいでいる人はあまり見かけなかった。みんなどことなく嬉しそうな感じで、それでも粛々と、距離を保ち、この稀有な瞬間を楽しんでいた。
一通り遠くから見たので、少しだけ近づいてみることにする。
「あったかい」
ほおにふわりと暖かなものを感じた。溶岩との距離は50メートル程度か。
汗をかいた身体が冷えてきたので、ありがたい。少しの間、溶岩の近くで暖をとることにした。
私は自分の中に地球の息吹を取り込むように、マグマといっしょに呼吸をした。噴火口はやさしいお母さんのようだ。私たちは、なんと贅沢な、最高のキャンプファイヤーを囲んでいるのだろう。
匂いもする。花火の後の、火薬のような感じーーあ、花火だ!
目の前にある火花は、花火の感覚で見ているのかもしれない。いや、人間は、火山の火花を時々見たくて、人工的に作り出せないかと、花火を作ったのではないか。
火は人間に災害も、悲劇も、恵も、芸術も、音楽も、何もかも、すべてをもたらす。全知全能、万能の神であろう。そう、神だ。信仰だ。
いろいろな光や火は見てきたが、地球の奥から吹き出されるマグマの火を実際に見たのはこれが初めてだ。わかる、信仰して、あまりある存在だ。
黒く大きな溶岩のかたまりに、さらに近づいてみることにする。隙間から、オレンジ色の光が見えている。温度はわからないが、触ったら最後、火傷どころか、蒸発する運命かもしれない。
私は、ハイキング用のウォーキングスティックを使い、端の方にある小さな溶岩を手元に引き寄せた。最初は遠くから手をかざし温度を確かめた。大丈夫そうなので、ツンツンと指先で生まれたての溶岩をつついてみる。
てのひらに乗せると、溶岩はほんのり温かかった。出来立てホヤホヤだ。多くの空気孔があり、トゲトゲしている。色は黒く、角度によっては光っている。少しだけブルーがかっているような気がしないでもない。よく見れば、ところどころに透明の結晶のようなものが混ざっている。
立ち入り禁止区域の反対側が、風上でガスが吹いてくる心配も少なく、眺めもいい。帰路につくまえに、もう一度、腰をおろして噴火の様子を眺めた。
「最高の噴火ショーだね」「怖いどころか、心あたたまるね」「息をしてるみたいだね」「噴火が収まった後、どうなったか見にきたいね」
有無を言わさぬ出来事を前にして、厳粛な気持ちがした。同時に、とても楽しくもあった。なぜか笑みが出てくる。笑ってしまう。噴火ショーが楽しいのか、人間がちっぽけすぎて笑ってしまうのか、よくわからない。太古に触れた、感動というのでもない。
もっと、もっと、眺めつづけていたいけど、すでに日没時間になってしまった。名残惜しいが、帰路につくことにした。陽は落ち、周囲の空気が急に変わった。急ごう。
最初の一時間は、残り日で少しだけ道も見えたので、追い風も利用して進んだ。冷え込みは激しくなり、風が強くなり、視界がなくなり、足は疲れているを通り越して、ヘロヘロになっていた。
「ごめん、一瞬寝っ転がらせて」
道中、何度も私は弱音を吐いた。無理をしすぎて動けなくなるのを避けたかった。溶岩台地ではあちこちにふかふかの、苔のベッドが用意されている。辛くなると、苔ベッドタイムを要求した。
陽は完全に落ちている。3時間歩き続けてもまだまだ駐車場に行き着かない。この時間帯からやってくる猛者は、みなヘッドライトを額にしつらえている。彼が私の足元を携帯のライトで照らしてくれる。石につまずかないよう歩くのは、疲れた足にはひどく負担だった。
車に戻れたのは23時30分。往路は2時間半、復路は4時間かかった。
深夜12時、急に天候が悪くなったのか、SMS経由で当局から一斉連絡がはいってきた。「天候急変。強風につき噴火地付近に居る者はただちに帰宅を」。間一髪で抜け出せていた。
噴火がいつまで続くかわからないが、ここにライブカメラをリンクしておく。みなさん、それぞれにお楽しみください。
小倉悠加(おぐら・ゆうか):東京生まれ。上智大学外国語学部卒。アイスランド政府外郭団体UTON公認アイスランド音楽大使。一言で表せる肩書きがなく、アイスランド在住メディアコーディネーター、コラムニスト、翻訳家、カーペンターズ研究家等を仕事に応じて使い分けている。本場のロック聴きたさに高校で米国留学。学生時代に音楽評論家・湯川れい子さんの助手をつとめ、レコード会社勤務を経てフリーランスに。アイスランドとの出会いは2003年。アイスランド専門音楽レーベル・ショップを設立。独自企画のアイスランドツアーを10年以上催行。アイスランドと日本の文化の架け橋として現地新聞に大きく取り上げられる存在に。当地の音楽シーン、自然環境、性差別が少ないことに魅了され、子育て後に拠点を移す。好きなのは旅行、食べ歩き、編み物。