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こちらアイスランド(69)世紀のエンタメ、火山噴火見学その2。オーロラと世紀の饗宴も目撃〜小倉悠加

火山噴火はDNAにでも深く刻まれているのか、私は噴火に魅了された。「火山見学やたら歩く!疲れる!」という意思を無視するように、身体の細胞の一つ一つが火山に操られるが如く、噴火開始から終了までの間、私は10回以上見学に出向いた。

さすがに10回も行けば世紀の大エンタメも慣れてくるし、それを毎回お伝えしてもうっとおしい。とはいえ、どの角度から見ても一瞬一瞬が一期一会の貴重な体験。火山噴火初体験をこのSAMEJIMA TIMESに掲載して以来、どこかの区切りで続報をお知らせしたいと思っていた。

区切りといっても火山噴火を直接体験するのは初めてのことで、予備知識はゼロ。どこが区切りなのか、そもそも区切りなんて存在するのか?噴火は変化し続け、自分の中で踏ん切りをつけるタイミングもわからずで、時間が過ぎてしまった。

3月に始まった噴火は半年後に表からはマグマが観測されなくなり、その3ヶ月後の12月に学者が噴火終了を宣言。溶岩はすぐには冷えない。ドームの中でフツフツしながら、じっくり冷えていくに違いない。そんな溶岩の変化に興味があり、実は先週4月5日、久々に現地を訪れた。

前置きが長くなったけど、今週から二回に分けて、私の火山噴火体験をつづっていきたい。

まずはおさらい。レイキャネス半島内での噴火は815年ぶり。ケプラヴィク国際空港からも近いファグラダルスフャットル(Fagradalsfjall)の火山システム内で、2021年3月19日から9月18日までの半年間、時折休憩を入れつつ、比較的コンスタントに噴火を続けた。

噴火現地はレイキャビクから車で40分程度の場所へ行き、その後は徒歩3.5キロ(往復7キロ)。ただし最初はそこへの道を閉鎖したため、往復25キロの道なき道のハイキングを強いられた。また、当初は登山道も整備されておらず、足を滑らせての怪我人が続出。早急に道を整備するも、溶岩が押し寄せて使えなくなる度に新たな道を作り、いやはや、本当に大変だと毎回行く度に感謝の気持ちを抱いた。

2021年5月9日、自宅のベランダから肉眼でも噴火の様子がよく見えていた。

いつ火山を見に行ったのかは、ICELANDiaサロン内に残したメモをご紹介したい。

1:3月21日 超遠回り 往復25キロ
2:3月26日 近くの道路の片側車線が駐車場。急斜面にロープ登場。氷点下。
3:4月18日 山の裏のルートA 。急斜面は未整備。あられ。
4:4月25日 Bルート、噴火はあまりよく見えない。オーロラ
5:5月12日 山裏ルートA。急斜面、臨時整備済み。天候よく最高
6:5月18日 山裏ルートA。臨時整備した急斜面を潰して、新たになだらかな道を設置。天候よく最高。
7:6月2日  山裏ルートA。火口へ近づける山への道が閉ざされる2日前。天気良好。
8:6月6日  Natthagiの溶岩のみを見にいく。記念写真を撮った場所は二日後の早朝、溶岩に囲まれる。
9 : 6月13日 Natthagiの溶岩のみ。新たに決壊した谷の上から流れ落ちる溶岩をたっぷり見ることができた。
10 : 6月17日 Natthagiの溶岩のみ。離れた場所の駐車場から、牧場を通るコースを歩く。まもなく溶岩はNatthagiから次の場所へ出ようとしている気配。
11 : 7月2日 旧ルートAから火口を見に行く。Natthagiの溶岩がどの程度進んだかも偵察。
12 : 9月22日  旧ルートAを通り、7月2日と同じコースをたどった。
13 : 2022年4月5日 Natthagiの溶岩のみ。メイン駐車場使用。

アイスランドが6月から夏休みが始まり、8月下旬に学校や仕事に戻っていく。会社員である彼も六週間の夏休みがある(日本では考えられない長期休暇!)。7-8月に火山見学が手薄なのは、5-6月の絶好調の時に楽しんでしまったのと、夏休みの関係が大きい。

2021年3月26日
噴火が数日で終わる可能性もあり、先日の強行軍で万全ではない足をひきずり、氷点下に耐えられる服装を練り、いざ出陣。

火口の横にキプカが形成され、溶岩がゲルリンガダルル渓谷(Gerlingadalur)を埋めていく

キプカというのは火山用語で、新しい溶岩が流れ込み、古い土地が島のように残されることを示すという。へ〜、そんな用語があったんだ。知らなかった。

火山噴火に伴う知識は、ツイッターで専門家の方々からずいぶんと教えてもらった。にわかでも付け焼き刃でも知識があると無いのでは随分と違うので、それは本当にありがたかった。この場を借りて、再度お礼を。いろいろなことを教えてくれて、本当にありがとう!

この日の印象に残ってるのは、寒過ぎて、鼻水をかんだティッシュをポケットの中に入れておくと、瞬時でカキンカキンに凍ってたこと!近くに居た子供が、「パパなんでテント持ってこなかったの?」と、噴火をすごく気に入ってしまい、外泊(?)したがっていたこと。

この噴火を囲む人がみな幸せそうで、まるでキャンプファイヤーのようだった
このルートは割れ目噴火の可能性が指摘され、数日後に封鎖された。

4月18日
ルート変更があり、山を迂回していかなければならなかった。ここがいわゆるルートAとされている。メモ書きにもある通り、急斜面が未整備で、ここで足を滑らせて骨折者が毎日のように出ていた。

まず目に飛び込んできたのが溶岩の流れる先を見守るレスキュー隊だった。写真の目の前に見えている山の側へ行きたかったが、有毒ガスが立ち込めているとのことで止められた。火口を正面から見るチャンスは後にも先にもこれ一度となり、いまだにちょっと悔しい。けれど、安全第一!

ここがキプカとなるまでの二ヶ月間、観察者の丘(Spectator’s hill)として人気のスポットとなった
パホイホイ溶岩。表面が滑らかで割れていないのが特徴。流れてそのまま固まった溶岩の形状。

溶岩の形状はふたつある。ひとつはパホイホイ。もうひとつはアッア。キプカも然りで、ハワイの言葉だという。納得!こうして私の火山知識が少しずつ増えていく。

授けられた知識は、表面的な「知識としては知ってます」ではなく、溶岩ひとつをとっても、いろいろな形態があり、匂いも、熱も、流れる様子も、音も、色の変化も全部実体験として身につけた。だからフィールドワークが大切なんだ!ということも痛感した。

そうそう、音!これは本当に意外だった。溶岩は黒く重そうなのに、流れ落ちる音はまるでガラスのよう(実際にガラス成分が多いということを、後日教えてもらった)。その時にツイートしたのがこれ。是非音を聞いてほしい。

4月25日
ルートAは何度か行ったのと、有毒ガスの関係で確かこの日はルートAが閉鎖されていた覚えが。また、火口が増えて、「ルートBの方がよく見えるかも、ルートB一度くらい行ってもいいよね?」ということでルートBヘ。

ルートAとかBとか言っても、地図出さないとわかんないですよね。次回分には載せるように工夫させてください。

火口の数は合計で7ヶ所できたと記憶。この写真では少なくとも三ヶ所は噴火していたはず

何かとブーすか不満げな私だったけれど、ひとつうれしかったのは、我が家のお友達を連れてこられたこと。小さなシュタイフベアはお守りのような子で、彼がハートを持った子を見つけてプレゼントしてくれた。やよいちゃんプラッシュは息子がくれたものなので、擬似家族のようで大好きなのです。

子供っぽいけど、世界が平和だからこその、他愛のない日常でよかったと思ったり。

もういいよ、早く帰ろう。と、山を降るとやたら進行方向逆の方を見てる人が多い。え?なに?もしや新しい火山でも噴火した?と思って振り返ると。

オーロラ!!!!!

4月26日といえば暦の上ではもう夏。日照も深夜近くまである。オーロラを見ることができる最後のチャンスの数日間。でも、オーロラが出るとは思わなかったし、オーロラ指数をチェックさえしていなかった。

4月26日?うそ!27日になってた。空を見上げると、オレンジの噴火の色とまだ少し残っている青い空、そしてオーロラの緑色が複雑に絡み合い、舞っている。オーロラ単体も色が濃くて、激しく動き回り、アイスランド人の彼でさえ「これほどのオーロラは初めてだ」という素晴らしさ。

ずっと上を見上げているのが苦しくなり、私は適当な場所に寝っ転がった。地面は雪解けでぬかるんでいるところもあり、夜露もある。

「濡れるよ」と言われたけど、いいじゃん、もう帰るんだから。

すると彼も私の横に加わった。ね、楽だしよく見えるでしょ!

最後に火山とオーロラの素晴らしい饗宴を見ることができて、いたく幸せになった。(次回に続く)

小倉悠加(おぐら・ゆうか):東京生まれ。上智大学外国語学部卒。アイスランド政府外郭団体UTON公認アイスランド音楽大使。一言で表せる肩書きがなく、メディアコーディネーター、コラムニスト、翻訳家、カーペンターズ研究家等を仕事に応じて使い分けている。アイスランドとの出会いは2003年。アイスランド専門音楽レーベル・ショップを設立。独自企画のアイスランドツアーを10年以上催行。当地の音楽シーン、自然環境、性差別が少ないことに魅了され、子育て後に拠点を移す。好きなのは旅行、食べ歩き、編み物。自己紹介コラムはこちら

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