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こちらアイスランド(12)家族の姓はバラバラ、大統領もファーストネーム呼び捨て!は鉄則〜小倉悠加

島国、火山、温泉と、国土に関しては日本との共通点が目立つのに、アイスランドでは予期せぬ事態に泡を吹くことが多々ある。日本人として身についた社会的常識が、まったく使い物にならないのだ。

たとえば、日本の首相である菅義偉氏に会い、いきなり「こんにちは、義偉さん」や「こんにちは、義偉」と呼び捨てで声をかける日本人はいないだろう。個人的な友だちでもないのに失礼だ。ふつうは「菅総理、こんにちは」だろう。(私は古い世代なので「こんにちは」が正しい言葉遣いだと思ってる)。

アイスランドの首相はカトリン・ヤコブスドッティル氏だ。彼女と面識はないが、会えば「こんにちは、カトリン」と呼び捨てであいさつをすることになる。これがアイスランドでは最も正しい挨拶の仕方になる。

たぶん「カトリン首相」でも問題ないと思うが、肩書きをつけて名前を呼ぶのは一般的でないため、やはり呼び捨てが一番無難。

首相が国際的な慣習をご存知であることは言うまでもない。「ヤコブスドッティル首相」と呼ばれるのは慣れている。外国人からそう呼ばれるのは問題ない。が、アイスランド人からそう言われたら、失礼だと感じることだろう。

不思議なもので、初対面の外人から「ユーカ、今日はありがとう」と言われても、ごく普通のことと感じる。これが初対面の日本人からの言葉だとしたら、ギョッとする。頭がおかしいのか?!というレベルに仰天することだろう。同じ言葉遣いでも、文化風習の違いで、これほど感じ方が変わるかと思うほど。

これはアイスランドの命名システムが、日本や他の欧米社会とは決定的に異なるからだ。ここでそのことを、かいつまんで説明したい。今回の「家族の姓はバラバラ〜」は、前回「親子を血縁と思うなかれ。結婚していると思うなかれ」の話ともつながる。

日本であれば、苗字が同じなら結婚しているに違いない。結婚当初、私は職業上、郵便物が夫よりも圧倒的に多かった。合理性を考え、籍は入れても表札は別姓で出していた。別姓大賛成派だ。それができなかったので、仕方なく表札だけ別姓にした。

レイキャビクでは大胆なストリート・アートをよく見かける。

アイスランドの命名方法を、ここでかいつまんで説明したい。わかりやすく説明できるか、ちょっと自信がない。うまく伝わりますように。

まずは下の名前を見て、4人の関係を考えてみよう。
スヴァラ・グズナドッティル
ヴィグディス・フィンボガドッティル
エイナル・グズナソン
グズニ・ヨハネソン

名前がバラバラだ。姓がまったく一致していない。
この4名が両親と血縁の子供である可能性はあるか?答えは「ある。」
両親が結婚している可能性はあるか?「ある。」
4名の姓がバラバラではあるが、結婚している男女であり、その子供達である可能性は十分にある。

前回の「親子を血縁と思うなかれ。結婚していると思うなかれ」にづつき、今度は「姓がちがっても血縁でないと思うな」だ。ここで日本人の常識が崩壊しないわけがない(涙)。

「家」「家系」が大切な日本では、「姓を継ぐ」ことが重要視される。何百年も脈々と継がれる「家」がよいとされる。これが日本で別姓に踏み切れない要因のひとつでもありそうだ。

その点アイスランドは明快だ。伝統的に「家系」をあらわす「姓」は存在しない!

え?え?ないんですか?ウソっしょ?!ホントはあるっしょ?!まったくご冗談をぉ〜〜。

とアイスランド人に詰め寄っても、彼らを困らせるだけだ。存在しないのだから仕方がない。理屈ではなく「姓はない」と理解するしかない。

それでも前述の4人全員にラストネームはある。それはなぜか?ラストネームは「家系」ではなく、「誰が親であるか」の名前が特定できるシステムになっている。

日本人には馴染みのないコンセプトではあるけれど、アイスランド人のラストネームは、伝統的に父親の名前と、その後に息子(son)ないし娘(dottir)が付けられるのだ。

つまり「フィンボがドッティル」は、「Finngobi + dottir(フィンボギの娘)」であり、「ヨハネソン」は「Johaness + son(ヨハネスの息子)」となる。

同様に他の二人も「グズナソン = グズニの息子」「グズナドッティル = グズニの娘」と解釈できる。つまりは、母親がヴィグディスで、二人の子供の父親はグズニ(日本の固有名詞は絶対に変化しないが、アイスランドの固有名詞は格により変化し、グズナとなる)。

これを踏まえれば、カトリン・ヤコブスドッティル首相に「ヤコブの娘首相」と呼びかけるのが、いかに場違いかをご理解いただけよう。

このシステムを無理やり日本人化してみよう。鮫島浩の息子が悠真であれば、「悠真・浩息子」。娘が生まれて結菜と名付ければ、「結菜・浩娘」という名前になる。読者のあなたは「xx娘」「yy息子」になるのか、想像してみてほしい。自分の名前があるのに、「yy息子首相」と呼ばれたらどう感じるか?もっとも日本人は、下の名前よりも姓を名乗るので、あまり違和感はないのか?

ちなみにヴィグディス・フィンボガドッティルは世界初の女性大統領、グズニ・ヨハネソンは現大統領の名前。覚えておくと、にわかアイスランド通になれる。

右からグズニ大統領、筆者、エリザ大統領夫人(2016年撮影)

家族の名前がバラバラでの不便は?

アイスランド国内では特にない。けれど、家族で海外旅行をする際、パスポート名が全員異なると諸外国での入国審査に問題が生じる場合がある。アイスランドの常識が世界の非常識である例だ。なので、パスポートを申請する際、全員の名前(姓)を統一することはできる。

伝統的には父親の名前をラストネームにつけるが、近年は母親でもいいし、父母の名前の組み合わせでもオッケーとなっている。以前も母親の名前を使うことはあったが、それは父親がわからなかったり、どうしても父親と縁を切りたい等、特殊な事情があることが多かった。さきにファミリーネームは存在しないと書いたが、親が外国人であるなど、例外的にファミリーネームを使うことを許可されている場合もある。

ヴィグディスがグズニと結婚しても、ヴィグディスがフィンボギの娘であることは変わらない。結婚を理由にヴィグディスの下にヨハネスの息子をくっ付けるのは異様すぎるし、意味がない。そのような発想もない。つまりは、アイスランド人は名前を見ただけでは婚姻関係は判明しない。

日本人は下の名前ではなく、姓である「鮫島さん」や「小倉さん」と呼びかける。外国人が相手ならば、ファーストネーム呼び捨ては親しい仲であることを示唆するが(古くは「ロン・ヤス」がよく知られていた)、外国人に対しても丁寧に呼びかけたい場合は、ファミリーネームを使う。例えばドナルド・トランプであれば、姓の前にプレジデントやミスターを付けて、プレジデント・トランプやミスター・トランプと呼びかけるだろう。親しい仲でもないのに、「ドナルド、こんにちは」はない。

なのに、なのに、アイスランドではそれが真逆!

最初は私もファーストネームで呼びかけるのには抵抗があり、下の名前にミスターやミズを付けて呼びかけていた。そして、一様に困った顔をされた。

今はとても仲が良く、会うたびに冗談を言い合う音楽ショップのオーナーとも、最初はこんな会話があった。

「ミスター・ヨハネソン、おすすめのアイスランド音楽はどれでしょう?」
「僕のことはファーストネームで呼んでほしい」
「いえ、まだお会いしたばかりですので、ミスター・ヨハネソンと呼ばせてください」
「いや、ラウルスと呼んでくれた方がいい」
「幼い頃からひと様には丁寧にと教えられ、ここはミスター・ヨハネソンと呼ばせてください」
「なんで君はそんな風なんだ、僕は僕だと呼んでくれ!」

という、トンチンカンな押し問答をした。この時に、ファーストネームで呼ばれたい理由を教えてくれれば私も理解しただろう。当たり障りなく丁寧でありたいのに、下の名前はヤダという人が何人か続き、「なんで?」というのを、誰かに尋ねた気がする。そして私の常識が、またしてもくつがえされた。

アイスランドでは、とりあえずファーストネームで呼びかけておけば間違いはない。首相であろうが、大統領であろうが、「ファーストネーム呼び捨て!」が鉄則だ。


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小倉悠加(おぐら・ゆうか):東京生まれ。上智大学外国語学部卒。アイスランド政府外郭団体UTON公認アイスランド音楽大使。一言で表せる肩書きがなく、アイスランド在住メディアコーディネーター、コラムニスト、翻訳家、カーペンターズ研究家等を仕事に応じて使い分けている。本場のロック聴きたさに高校で米国留学。学生時代に音楽評論家・湯川れい子さんの助手をつとめ、レコード会社勤務を経てフリーランスに。アイスランドとの出会いは2003年。アイスランド専門音楽レーベル・ショップを設立。独自企画のアイスランドツアーを10年以上催行。アイスランドと日本の文化の架け橋として現地新聞に大きく取り上げられる存在に。当地の音楽シーン、自然環境、性差別が少ないことに魅了され、子育て後に拠点を移す。好きなのは旅行、食べ歩き、編み物。

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