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こちらアイスランド(13)ICELANDia音楽レーベル設立裏話 1〜小倉悠加

「いつ引っ越してくるの?」

親しい音楽関係者からそういわれるようになって久しい。本気で考え始めたのは、アイスランドに通い始めて10年も過ぎた頃だった。

アイスランドに魅了される人は少なくない。自然の景色はどこを切り取っても絶景で、欧州から飛べば3-4時間の手軽な距離でもある。二度三度とくりかえしやってくる観光客は多い。住んでみたいという人も少なくないが、実際に引っ越してくる人は希有だ。

アイスランドは総人口の15%にあたる5万人が移民で、2020年1月1日現在の統計によれば、日本生まれの居住者は113名。実に少ない。ちなみに一番多いのがポーランド人で、工事現場などの労働力として活躍する彼らは、移民の半数を占める。いわゆる出稼ぎ的な要素が強い。

「空が広くて、風通しがよくて、静かだから」という、空気のような理由で住むことにしたのは、たぶん私しかいない、な。

以前書いたように、音楽業界の風通しもよく、レイキャビクの音楽シーンも活発で面白く、私はこの地でコツコツと、自分なりの足場を作った。移住を考えてのことではなく、いったん足を突っ込んでしまった関係で、後に引けなくなったからだ。

この国は人間関係が狭い。総人口は30万人にも満たなかった。外国人が何かでしくじると、次の人が困る。日本人全般の評判にもかかわる。私は先人からこんな話を聞いていた。

アイスランドに関わり始めた頃、日本でアイスランドのウール製品を扱っていたご夫妻がいた。なんでもロシア駐在中にアイスランドのセーターと出会い、これほど素晴らしい羊毛製品はないと、引退後の趣味と実益を兼ねて、販売に取り組むことにしたという。

販売するためには、まずは仕入れが必要だ。一般商品なので、すぐに購入できるだろうと彼らは思っていた。けれど、日本での販売用に卸してほしいと打診すると、ことごとく断られた。それでもどうしてもと、あちこちに連絡を入れ続け、説得し、やっと半年後、仕入れを許してくれる業者が出てきたそうだ。

断られた裏には、こんなストーリーがあった。

レイキャビクから車で30分。温熱地帯のSeltún(セルトゥン)

いつぞやか、日本の商社がアイスランドの毛糸で織物(確か膝掛けや毛布だったかと)を買い付けたいといってきた。それも大量だったらしい。よしわかったと、その工場は織物を増産できる機械を購入し、注文が来るのを待っていた。が、商社からはなしのつぶて。発注が入る気配はない。工場は大損害を負い、日本人を信じてはならぬ!とされた。

はたしてこれが、日本人であれば読み間違えることのない「考えておきます」という断りの言い回しだったのか、「発注予定なのでぜひ態勢を整えておいてください」という前向きなものだったのかはわからない。どちらにしても、日本人はアイスランドの羊毛業界から追い出された。

アイスランドの社会は狭い。4-5世代さかのぼれば全員が親戚とまでいわれる。悪い噂が広まるのは早い。噂は75日では忘れてもらえず、ご夫妻はずいぶんと苦労し、懐疑的な業者を説きふせた。

そんな話を聞いているので、音楽関係者に「レーベルを作る予定なのでよろしく!」と盛大にアナウンスしてした手前、「やっぱりダメになりました」などと、 絶対にいってはいけないと青ざめた。日本人の名誉のためにも、次にやってくる音楽関係者のためにも。

ここで少し説明を加えたい。私は2003年秋に、アイスランド音楽のサイト『IceFish』を作る依頼を受けた。単なる仕事として受けただけだった。「アイスランドのことは何も知りませんが、それでもいいのでしょうか?」「構いません。誰も知らないので、みんなで一緒に探求していきましょう」というような会話を依頼主とした覚えがある。

サイト制作の目的は、アイスランド音楽レーベル設立だった。このプロジェクトの発端は、セガを経てアットネットホームというネット配線会社のトップに就いた故廣瀬禎彦氏が、当時東京に設立されたばかりのアイスランド大使に出会ったことに始まる。

初めてアイスランドへわたった2003年5月は、そのための出張であり、目的のひとつは現地の音楽関係者と話をして、レーベル設立の下地を作ること。もうひとつはサイトのローンチ・イベントとして音楽アーティストのライブを東京で開催するにあたり、そのバンドに会っておきたかった。

イベントで演奏してもらったバンドはトラバント。そのヴォーカルを担当していたのは、当時美術学校に通っていたラグナル・キャルタンソンだ。現在は芸術家として大成し、日本では京都国際芸術祭や横浜トリエンナーレで作品が取り上げられ、海外ではビエンナーレ、グッゲンハイム美術館、MoMA等で大々的にフィーチュアされてきた。彼との逸話も、いつか披露できればと思っている。

2003年7月来日公演を行ったトラバントと筆者。黄色いシャツのラグナルは今や世界的な現代アート作家だ。

出張は5月、イベントは7月。レーベルの話を進めたいところだが、イベントが終わってもいっこうに何も話が出てこない。秋のリリースを目指していたのではなかったのか?不可思議に思っていたところに飛び込んだのが、廣瀬氏の移籍。彼はコロムビアミュージックへ移っていった。

アイスランドのレーベルの話は、廣瀬CEOのトップ・ダウン・プロジェクト。彼がいないと予算がつかない。つまりはプロジェクト解散。はい、さようなら ーーー じゃないだろう!!

出張の際、あちこちの関係者に声をかけ、お茶や食事もして、「レーベル作るからよろしく〜!」ってあいさつしたじゃん。その言葉を受けて新たにミキシングボードをスタジオに新調したなんてことはないにしても、毛糸の時みたいに、日本人御法度になったらどーすんの?アイスランドの日本人社会に泥ぬるんかぁ?!国際問題に発展するどぉりゃぁ〜〜〜〜(しないと思うけどね)。

私は変に律儀なところがある。「約束」したことは絶対に果たしたい。果たせない場合は律儀に丁寧に「ごめんなさい!」と謝らないと気が済まない。そんな性格なので、滅多なことでは約束はしない。約束を果たせないと、人間やめた方がいいんじゃないですか?!という気分になるから。

そんな私の気持ちも知らず、レーベルの話は消えた。ふわふわしていたシャボン玉のように、レーベル設立の泡はプチンと音をたてて消えていったのだ。(次回へ


小倉悠加(おぐら・ゆうか):東京生まれ。上智大学外国語学部卒。アイスランド政府外郭団体UTON公認アイスランド音楽大使。一言で表せる肩書きがなく、アイスランド在住メディアコーディネーター、コラムニスト、翻訳家、カーペンターズ研究家等を仕事に応じて使い分けている。本場のロック聴きたさに高校で米国留学。学生時代に音楽評論家・湯川れい子さんの助手をつとめ、レコード会社勤務を経てフリーランスに。アイスランドとの出会いは2003年。アイスランド専門音楽レーベル・ショップを設立。独自企画のアイスランドツアーを10年以上催行。アイスランドと日本の文化の架け橋として現地新聞に大きく取り上げられる存在に。当地の音楽シーン、自然環境、性差別が少ないことに魅了され、子育て後に拠点を移す。好きなのは旅行、食べ歩き、編み物。