(前回の話)それだけは避けたい!絶対にやだ!
「レーベル設立する予定なのでよろしく」
「かしこまりました。プロジェクトの進行を楽しみにしています」
それは言葉のやり取りにすぎなかった。まして「約束」したわけでも、「契約」したわけでもない。だから反故するというものでもない。だけど、それでも、どーしてもイヤだった。
5月の出張でレイキャビクの音楽シーンや、街が静かであることに魅了された私は、アイスランドの文化に関する書籍を作りたいと思った。2003年当時、アイスランドの情報はごく限られていた。北欧文学や地理に関する書籍はあったが、音楽やアートに関しては書籍もサイトも全く存在していなかった。
思えば、情報がなかったからこそ、発見も多かったのかもしれない。レイキャビクのカルチャー全般が、おもちゃ箱のようにとても楽しかった。興味をそそられるものにあふれていた。音楽アーティストとは気軽に会って話すことができたし、ライブやハプニングなどのイベントにもその自由な空気があふれていた。
例えば、後にゴールデン・グローブ賞を受賞する故ヨハン・ヨハンソンや、日本でもコアな音楽ファンに人気のキラキラ等が主催するシンク・タンク、キッチン・モーターズが定期的に、音楽とアートの刺激的な融合を試みていた時代でもあった。
レイキャビクにもっと滞在したい、日本の人々にアイスランドのポピュラーカルチャーの面白さを伝えたい、音楽ファンにレイキャビクの音楽シーンを知ってほしいと、切に願った。そういった書籍を出版し、私自身の知識や体験を積み重ねれば、レーベル設立にも役立つだろう。そのような思惑を詰め込み、秘策を練り、私は2003年に4度もアイスランドを訪れた。
よかれあしかれ、思い込むと猪突猛進になる性格だ。この場合は「よかれ」に出たと自分では評価している。ちなみに「あしかれ」は、ぜんぶ恋愛だ(あるある、ですかね?!)。
アイスランドの初出張は2003年5月で、その後8月、10月と足を運び、特に10月の三度目のレイキャビク訪問は、アイスランド最大の音楽フェスティバル、アイスランド・エアウエイブスを見ることができた。このフェスは後に独自企画の旅行ツアー企画につながっていく。
毎回アイスランドを訪れるたびに、「レーベルは?」と尋ねられた。計画通りに進んでいないことに”ごめんなさい”と言いつつ、「私で引き継げることはしますから」と曖昧にこたえた。
その言葉にうそはなかった。どのように?という方法論は後日考えることにして、とりあえずこの企画は私が引き継ぐことにした。
もちろん発端を担った廣瀬 禎彦氏の転職先であるコムビアミュージックで、この企画を実現できないかも模索した。けれど、当時のコロムビアは赤字で、その再建のために彼はヘッドハントされたのだ。売り上げの見えない孤島のインディーズ音楽に予算を注ぎ込むことが難しいのは、ビジネスがわからない私でも理解できた。
あの頃の私はまだアイスランド人をよく知らなかった。ふりかえれば、あの時ムキになってレーベル設立の意思を引き継ぐ必要はなかったかもしれない、とも感じる。私はこの時点で3度もアイスランドに足を運んでいる。その都度関係者に会い、事情を打ち明け、音楽への思い入れを話している。もしかして、私が彼らの心情を裏切りたくないと思えば思うほど、彼らの期待を大きくしてしまったのではないか。これを書きながら、ふとそんな思いがよぎってきた。
遠い東洋の国から何度も来る音楽好きの女性。最初はレーベルを作ると意気揚々としていたけれど、毎回徐々にトーンダウンしていく。それでも、何度も足しげくレイキャビクには来るし、いつも一生懸命どれほどレイキャビクの街を、音楽シーンを気に入ってるのかを熱弁していく。
そういう人物が「ごめんね、あの話、消えたんだよね」と言っても、アイスランド人は私や日本人を恨みはしなかったろう。アイスランドの音楽業界にアプローチする次なる日本人に、悪い評判を残すことにもなかっただろう。まして音楽CDを卸してほしいと話をして、日本人には卸さない!とは ーーー
マジ、言われました。卸さないと・・・(涙)。
CDを卸してくれなかった!商品、売りたくないのかよ?!なんでぇぇぇぇ???!!!!
これでは羊毛の二の舞だ(この話は前回のコラムへ)。
ある有名音楽ショップ&レーベル!おい、そこのお前だ!頭が高くないかぁ?? ーーー 今ではそう軽口を叩くこともできる。
現在では15年来の取引相手となり、難しい頼み事としても「まずい、ユーカにお願いされた。やらないとやばい」と、震え上がるような顔でこなしてくれる。私ってそんなに怖いか?
けれど、商品を卸してもらえるまでに3年かかった。それまでは仕方がないので、実績を作るために正価で購入し、ほとんどそのままの値段で販売をした。商売としてはバカでしかない。
話は少々飛ぶが、ここでひとり、重要人物を紹介したい。何の後ろ盾もないフリーランスの私のどこが気に入ったのかわからないが、アイスランドを訪れる度に必ず会ってきた人がいる。弱気な私を励まし続け、事実に反しない程度に話を盛り、私を各界の主要人物に次々と紹介してくれた。
ヤコブ・フリーマン・マグヌッソンは、アイスランドの国民的バンド、スツーヅメンのキーボード奏者であり、長年アイスランドの著作権協会の会長職を務めた音楽業界の重鎮。彼は国会に働きかけ、アーティストの著作権にかかる税金を引き下げる法案を通すなど、音楽アーティストに多大な貢献を残してきた。
2021年2月、彼の名盤『ジャック・マグネット』が日本で再リリースされたので、アーティスト名に聞き覚えがある音楽ファンもいるのではと思う。(次回に続く)
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小倉悠加(おぐら・ゆうか):東京生まれ。上智大学外国語学部卒。アイスランド政府外郭団体UTON公認アイスランド音楽大使。一言で表せる肩書きがなく、アイスランド在住メディアコーディネーター、コラムニスト、翻訳家、カーペンターズ研究家等を仕事に応じて使い分けている。アイスランドとの出会いは2003年。アイスランド専門音楽レーベル・ショップを設立。独自企画のアイスランドツアーを10年以上催行。アイスランドと日本の文化の架け橋として現地新聞に大きく取り上げられる存在に。当地の音楽シーン、自然環境、性差別が少ないことに魅了され、子育て後に拠点を移す。