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こちらアイスランド(122)60代大学生活ラストスパート。アイスランド語授業終了。残るは期末試験のみ〜小倉悠加

アイスランド大学によるアイスランド語基本過程の1年間の授業を本日終了した。残るは期末試験だ。それが成績の50%を占める。40年ぶりの学生生活は、試験終了と共に終わる。

60代の最年長学生が、無事に授業を受け終えることができてよかった。少しばかり肩の荷が降りた。

とりあえずはほっとしたので、これを書いている。

授業最後の日の通学路。水面に写る雲を手ですくい取りたくなった。

このプログラムを受講し始めた頃に何度か書いた通り、特にアイスランド語を学びたいと熱望していた訳ではない。結局その心持ちはあまり変わらない。

それでも、アイスランド語はなかなか興味深いし奥が深く、深く探れば大変に面白くなる気配は濃厚に感じる。という色気を少し感じてはいるが、私は物事を自分のペースで追いかけたい。大学という枠の中で育てられることもあろうと思うけれど、今の私にそれは合わない。枠を苦しく感じるからだ。

結果、目指した以下でも以上でもなく、思っていた通りの場所に帰結した。

この教科過程を受講し始めた頃の思いは以下のように綴ってきた。

『勉強めんどい!アイスランド語をサボり続けた私が大学へ』を読み返すと、これほど動機薄の輩が入り込んでいいのかと思うほど、及び腰なのがありありとわかる。

続いての『語学教室か大学か、入学許可は降りたが辞退する?!迷った末の通学先』も同じことで、「この人、きっと無理だよね」という感想しかない。自分のことなのに(苦)。

私の知る自分はとても臆病だ。最初にモチベーションを上げてしまうと息切れするのは目に見えていた。なので、意図的に物事を低く、ひく〜く、抑え気味に見るようにした。興味があることに対しては貪欲になれるが、興味があまりないことに従事するのは難しい。とにかく挫折せず、継続できるような心持ちでいたかったからだ。

アイスランド語は興味がゼロではなかったし、基礎だけはやりたいと思っていた。それは本当だ。それ以上を望むと焦ったり、劣等感に悩まされたりしそうなので、そこへは行かないことにした。

とりあえず好奇心はあるので、40年ぶりの大学は面白かった。若い頃の学生時代との差も驚きながら楽しんだ。教室で、教師を前にして何かを学ぶことは新鮮だった。

思い返せばアイスランドに住まいを移すまでは、教師側の立場にあった。講習会などに呼ばれたり、自分のイベントでも人前に立って話をした。早稲田大学ではゲスト講師として年に数回アイスランド音楽についてを話してきた。8年間も続けただろうか。その時の学生の中には、現在アイスランド大学に在籍したり、日本留学を経て日本のことを大学で教える講師もいる。私の先輩格だ。いやはや、時は流れたものだと、彼らに会う度に痛感する。

若かった学生時代との大きな違いは、教師側の苦労が理解できることかもしれない。だからこそ、宿題や試験の点数を気にするだけ(だけか?)で済む気楽な身分を、さわやかに堪能した。

アイスランド語自体の構造はインド・ヨーロピアン語なので、語尾変化を除いては英語と同じと考えていい。その観点から見れば、日本語は異常に特殊だ。日本語だけの場所から英語を覚えた時に比べると、アイスランド語の学習が随分と楽に感じる。英語の方が何倍も難しかった。

私がすでにアイスランドの文化や地理等に詳しかったことも幸いだった。意味を知る単語がところどころにあれば、たちまち物事を理解した。それを周囲の学生に(英語で)説明したり、写真を見せたりすることが重なり、最後の頃は「小倉に聞けば分かる」になっていった。単なる年の功でしかないが、日頃のドライブや培ってきた豆知識にも支えられた。

1年間の過程とは言うが、実質的に通学したのは半年間だ。話せるようになったかは、大いに疑問ではある。それでも、日本の中学3年間で習った英語の単語力と表現力程度は身につけた気がする。決して日常に十分ではないけれど、周囲に英語話者が皆無であっても、生き残ることはできる。

ヨーロッパでは数ヶ国語を操る人がとても多い。学生の頃、ヨーロッパ出身の友人が3ヶ国語を話すと聞くと、ものすごい天才かと思ったものだった。今はそうは思わない。インド・ヨーロピアン語をひとつ会得すれば、同じ仲間の言語はそれほど難しくはないことがわかったからだ。

裏を返せば、それほど英語と日本語の隔たりは宇宙ほど大きかった。あれほどの苦労はしなくとも、アイスランド語を身につけることはできる。日本語の母語者が英語やドイツ語、そのほかのインド・ヨーロピアン語を会得することは、本当に大変だ。改めてその大変さを、アイスランド語を学ぶことにより再認識した。

1年間のアイスランド語基本過程終了後は、3年間の第二ヶ国語としてのアイスランド語の学位過程履修を大学側は奨めている。3年間みっちりやって学位を取れということではなく、基礎課程を終了しても日常生活には不十分なので、続けられそうなコースを一教科でもとり続けろという意味だ。とてもいいアドバイスだと思う。

正面玄関前に狛犬よろしく設置されている植木鉢がヴァイキング船であることに今日気づいた。

「できる範囲で続けてみてはどうか?」

そう言われて少し考えてはみたものの、やはり私はここでお暇しようと思う。アイスランド語の基礎を学ぶ目的は果たすことができた。アイスランド語が話せるようになることは最初から目標にしていない。それでもご愛嬌程度には話せるようになったし、簡単な物事は理解できるようになった。誠にありがたい。

語学の勉強には時間が必要だ。あと数十年この地に腰を下ろす予定があれば、時間をかける価値もあるだろう。私はそこまで考えられないのだ。理想的には、日本とアイスランドを半々程度でずっと行き来したい。けれど昨今の仕事の状況や航空便の高騰では、望み薄としか言えない。必須ではない語学学習に、いろいろな意味でこれ以上時間をかける余裕がない。

それに今後は独学で学習を続けることもできる。基礎中の基礎は学ぶことができたし、何をどう教材にすればいいかもわかった。土台はしっかりと構築したので、あとは独学でもひどく大きな間違いはしないだろう。その気があれば、数年後に学位コースに入学することもできる。

最初に書いた通り、まだ期末試験がドカンと残っている。気を抜いてはいけないけれど、気持ちは既に次の場所へと向かい始めている。

小倉悠加(おぐらゆうか):東京生まれ。上智大学外国語学部卒。メディアコーディネーター、コラムニスト、翻訳家、ツアー企画ガイド等をしている。独自企画のアイスランドツアーを10年以上催行。当地の音楽シーン、自然環境、性差別が少ないことに魅了され、子育て後に拠点を移す。好きなのは旅行、食べ歩き、編み物。

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