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こちらアイスランド(126)学業から解放!青春映画に迷い込んだ一年だった〜小倉悠加

アイスランド大学でのアイスランド語基礎コースの1年間を、無事に終えることができた。追試にならなくてよかった!!

5月11日最後の試験終了直後に前週の試験結果が発表され、残りの結果は本日(木曜日)ですべて出揃った。おぉ、今週土曜日のサメタイの話題に間に合った。

四教科(スピーチ、リスニングと発音、独習、語彙と文法)を平均すると、成績は悪くなかった。足を引っ張ったのが「語彙と文法」で、成績の50%を期末試験が占めるのに、ほとんど綴りがあやふやだった。

宿題や出席はいい感じでこなし、そこで試験以外の50%はがっぽり稼いでいた。大学側も、そこに救いを入れておいたと見る。

それにしてもこの一ヶ月間はとても辛かった。全ての授業を終えた後、正直なところ「まだあるのかよ〜」と悪態をつきたいほど、嫌気が差していたのだ。そいう言葉では書かなかったけれど、前回大学のことを書いたコラムには、「もう結構です」という気持ちがありありと現れている。

アイスランド語は本当に難しいのか?

アイスランド語を本格的に語る資格はないけれど、うーん、どーでしょーかぁ。私には英語の方が絶対的に難しかった。

これは母語と、他の言語の習得レベルによるかと思う。時代背景も大きいだろう。

英語は中学生になり、学校で勉強をし始めた。最初のフレーズは「This is Japan.」だった。次の章に「This is a pen.」があった。中学に入り洋楽に夢中になったので、その関係で英語にも興味を持つようになった。かなり積極的に勉強したけれど、理解できないことばかりだった。

50年前のことだから、現在のように手軽に音声や動画が入手できた時代ではなかった。英語を話せる人も周囲にいなかった(当時の英語の先生が英語を話せたかも大いに疑問だし)。

実質8-9ヶ月間の学習で身につけることができたアイスランド語は、高校3年生の時に留学した、その当初の能力に近いと思う。

ということは、若い10代の頃の5年分!?

というような単純な物事でもない。アイスランド語はインド・ヨーロピアン語族で英語と親戚だ。親戚の英語を話すようになってかれこれ40年にもなる。

英語の何が難しかったかといえば、「です・ます」の肯定・否定が最後にくる日本語と、最初にそれをつけなければいけない英語の文法状の違い。アルファベットを一文字も知らず、全ての単語の意味と綴りを覚える必要があった英語は、まさに月とスッポンだった。

どちらが月でどちらがスッポンは知らないが、英語の親戚の言語を覚えるのは思いのほか楽だった。

だって語順が英語と同じなんだもん。発音ほぼローマ字読みだし。

文法が基本的に英語と同じなのも楽だった。英語と似たような単語も結構あるし、関係代名詞のようなものも、英語の類推で大丈夫。知らない単語もよく眺めて分解すれば、ある程度の類推はつくようになった。

アイスランド語の語尾の変化は、世間で言われるように確かにエグイ。アイスランド人でも間違える人が多いし、書き物もするウチの夫でも、考えながら書いている。私も日本語の「てにをは」を迷うことは多い。とはいえ、語尾の変化は慣れでもある。慣れればほとんど類推できる範囲と見た。

そんな訳で、既にひとつでもインド・ヨーロピアン語を身につけている人は、アイスランド語はそこまで難しくないはずだ。勝手知ったる言語が日本語のみの場合、アイスランド語の学習は・・・たぶん死ぬと思う(でも、死なないで!)。

英語の方が難しかったという私の感想は、インド・ヨーロピアン語の基礎中の基礎を身につけるのに時間がかかったという意味が大きい。10代の5年分の勉強を、60代で9ヶ月でこなしたというより、英語が既に身についていたことで、数年分を飛ばすことができたと言った方が正確だろう。

おかげさまで日常会話はある程度わかるようになったし、それで十分だ。

アイスランド語で仕事をしたり、本格的に大学で勉強をするにはまだ無理なので、一教科だけでも来年も取り続けたらどうか?と言われる。確かに続けたら続けたなりに力はつくだろう。

昔の日本人気質なのか、「学業をおろそかにしてはいけない」という考えが染み付いている。なので、学業があると他のことが手につかない。アイスランド語を流暢に話せるようになりたいとも思わないし、まずは無理だ。後期は勉学をおろそかにしたくないが、実利的でないことに時間を使いすぎているというジレンマが急激に増していった。特に最後の一ヶ月は本当に辛かった。

後期の、特に後半の授業のペースがいやに早かった気がする。後半は次から次へとヘヴィな文法がてんこ盛りで、私は萎えてしまった。それでなくても、忘れっぽいお年頃だ。前半に比べると詰め込みの密度が高くなり、消化できないまま次に進むしかないことが重なっていった。

そう言いながらも、大枠では意外と成績はよかった。でも、やっぱり単語の綴りは覚えられなかった!文法の試験は記入問題が多く、単語の綴を覚えられない私は苦笑いするしかなかった。あまり結果はよくなかったけど、それはご愛嬌で済まそう。

教授軍がとても素晴らしかったことも、ここに一言入れておきたい。個性的で熱意ある粒ぞろいの講師ばかりだった。

久々の気のおけない友

「独習」教科はスクーリングが二週間に一度で人数も多かったが、それ以外はどのクラスも15-20人だった。少人数なので、最後にはごく見慣れた顔ぶれとなり、個人的に仲良くなる人も出てきた。

学生は世界各国からの詰め合わせセットだった。一番多かったのはフィリピン人で、多くが健康産業に携わっている。老人ホームや病院のナースだ。地理的に遠くて驚いたのがメキシコとブラジル。あとは移民の多数派のポーランド、それからリトアニア、ベトナム、ドイツ、カナダ等だった。純粋にアイスランド語を学びにやってきた留学生はごく少なかった。

年間60単位の勉強を仕事を持ちながらこなすのは大変だ。アイスランド語に「独習」という教科が設けられているのは、そういった背景も考慮してのことかと思う。講師の人件費も減らせるしね。

最後の試験の後、クラスの打ち上げとして、学生寮に入っている人の共同キッチンへ向かった。共同キッチンは各フロアにあり、リビングも兼ねているらしく、大きなテレビとソファも置いてあった。10名程度が座れるテーブルもあり、広さは15畳程度だろうか。

見晴らしがよく、窓が大きくて明るいそのキッチンで、私たちは出前ピザとビールで乾杯した。髪の色も目の色も違う外国人男女がワイワイと盛り上がる様子は、まるで青春映画を見ているようだった。

他人事のようにその光景を見ていたが、同時に私は違和感なくそこに溶け込んでいた。そんな自分がとても不思議だった。周囲との年齢差は30-40歳。親子はもちろんのこと、最年少の19歳の女性とは、孫のような年齢差がある。もしかして、青春映画に紛れ込んだ一年間だったのか。

年齢差はどうとも、同じ教室で同じ教科を学び同じ宿題をこなした仲だ。気のおけない友でもある。友情は年齢ではなく、共通の体験がもたらすものなのかと、改めてしみじみと感じた。

クラスの中で「あの人は面白い!」と思っている女性が二人いる。一人は最初の自己紹介の時に、かっこいいアイスランド人ボーイフレンドがほしいと率直に語ったのが印象的なKさんで、もうひとりは、ハスキーなアルトヴォイスでかわいらしい感じのMさんだ。

そのMさんが、通りかかった親子連れを見て「アイスランドにも養子制度ってあるよね?子供好きなのよね〜。子供ほしいなぁ」と言った。その後、「私、子供を育てたいのよね」とダメ押しのように私を見て言う。

「養子制度、きっとこの国にもあるよね?」と改めて尋ねてきたので、「当然あるわよ」と答えた。

なぜ養子にこだわるんだろう。まだ若いのにーー

「でも、養子を考える前に、自分で作ればいいじゃん」と私。

「え?何いってるの?私は子供は作れないのよ」とMさん。

え?!一瞬私は青ざめた。重い病気でもして、子供が産めないとわかっているのか。これは大変に失礼なことを言ったものだ。どうフォローすればいいものかと固まってしまう私を見て、彼女は笑いながら言った。

「ユーカ、一年もいっしょにすごして知らなかったの。私、トランスよ!」

え”〜〜、びっくり〜〜。確かに最初声を聞いた時は、少しハスキーで低めだと思ったけれど、見た目がどうしても女性なので、すっかり普通の女性として彼女を見ていた。

「最初は声が低い人だと思ったけど、見た目とても可愛いし、女の子っぽい雰囲気ムンムンだし、全然気づかなかったわ」

戸惑う私に彼女は笑うしかなかった。

だからといって何が変わる訳ではない。余計に彼女を尊敬する程度だ。

話があちこちへ飛んだけど、期末試験は終わった。日本ではちょうどコロナが2種から5種指定になった。旅行企画も含めて、やっとこれから物事を動かすことができそうだ。

小倉悠加(おぐらゆうか):東京生まれ。上智大学外国語学部卒。メディアコーディネーター、コラムニスト、翻訳家、ツアー企画ガイド等をしている。独自企画のアイスランドツアーを10年以上催行。当地の音楽シーン、自然環境、性差別が少ないことに魅了され、子育て後に拠点を移す。好きなのは旅行、食べ歩き、編み物。

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